市場価値ゼロ円の私の生きる道

カネがないと、生きていけない。

仕事のとき、必ずと言っていいほど
「貴方に金を支払う価値はない」
と言われる。

企業の人材募集には最低年収が予め掲示されていることも多い。
それで面接の時に最低年収を素直に述べると
「あっはっは!あなたにそんなに払えるわけがないでしょう!!」
とせせら笑われる。

自営業として仕事を請けたところで
「貴方に支払うお金はありません。」
と笑顔で言われる。

私は、他人から金銭をもらうことができない。
なぜなら、私の市場価値がないからだ。
私に、支払う金などないからだ。
私は、世の中から必要とされていない。

生きて行くにはカネが必要だ。

そこで人は言う。
山奥に籠もって仙人のように暮らせば良い、と。
紛争中の国に渡航しろ、と。
世の中あなたより辛い思いをしている人がどれほどいるか、と。

なぜ、私は、他人と同じ境遇に立たねばならないか。
他人と同じ境遇に立ったら、値を付けてやるとでもいうのか。
皆、値付けと評価は好き勝手行うが、実際に対価を支払う事はない。
好き勝手に評価して、飽きたら捨てるだけの存在なのだ。
所詮、他人にとっての私など「使い捨てのゴミクズ」に過ぎないのだ。

私は、生まれ育った国でどうやって生きていくか模索しているのだ。
日本という国は、中途半端な生きづらさを山ほど抱えている人に辛辣な国なのかを身を以て検証しているのだ。

ここにいる人々と関わり合いながら、資本主義社会の世の中で生きて行く。
だから、生きて行くにはカネがいる。
しかし、私の市場価値はゼロである。
カネがないと生きていけない世界で、無価値の私が生きていく。
無価値の存在が資本主義社会でどこまで生きていくことができるのか。
これは、自分自身への挑戦である。

どうせ生きる価値のない人間だ。
死ぬしかなくなったら、せっかくだから皆の前で自決しようか。
どうせなら、他人の目の前で死ぬことに価値を見いだしてみるか。
みんな、生きてる人間を見飽きただろう。
本当に存在が失われるとは、こういうことだ、と。

運が良ければ
「ねえねえ、聞いてよ♪今日、目の前で自殺を見ちゃったぁ♡
写真撮ったよ!見てこれ!凄いでしょ~~~☆☆☆」
と喜んで噂したくなるほどお楽しみ頂けるかもしれない。
いや、空気にしか思っていない人たちのことだ。
私が目の前で死んだところで全く気付きもしないに違いない。
市場価値が0円なのだから。

私には何も売るものがない。
だから、何かを売って対価を得ることができない。
だったらいっそのこと、我が身を切り売りしよう。
とはいえ、知性も美貌も愛嬌も、何一つない。
私にできることといえば、醜い内面を全てさらけ出すことしかない。

世の中全員から見殺しにされることで、私が真に無価値であることが必ずや証明されることだろう。
逆に、私が生きることができるのであれば、同じ境遇の人にも生きる活路が見いだせるだろう。
だから、私は、挑戦するのだ。

こんな私に対して「1分でも長生きして何かしら情報発信してくれたら面白い」と思った方は、応援して頂けると有り難い限りである。
積極的に死ねと思っている方は、見殺しにしていただいて構わない。

私は、私の市場価値が本当にゼロ円かどうか、身を以て確認するのだ。

…ということで、これから「生きづらさを抱えたワタシの生存戦略」という主題で身の切り売りをしてみることにする。
「うわ、ウザ…。本当にメンドクセーな」とか「自分を卑下しないで!人間には誰しも生きる価値があります!!」という人に向けて書くつもりは毛頭ないので、その辺りを察しつつ興味を持った方に読んで頂けたら、というところである。

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