「みんなの「わがまま」入門」を読んでみた件

富永京子先生の「みんなの「わがまま」入門」を読んでみた。

 社会学者って憧れる。次、生まれ変わったら、社会学者か、建築家になろうと思う私。社会学者の魅力は何かというと、「戦っていること」。例えば、先の都知事選の結果報道で某社会学者が候補者を苛立たせるインタビューしているのを見ていても、色々批判を喰らうかもしれないけどけど、彼なりに「戦っている」わけだと思う。その戦い方の是非は色々。ただし、戦うと人は傷つく、研究対象が社会や人だから尚更、傷つく。

彼らはそういう負傷をどういう風に昇華し、癒すのか?と現世では他人事ながら(実際は他人事ではないのだが)、来世では社会学者になるかもしれない私にとっては回復の呪文を知っておいて損はないはず。何か良い本はない?と探していたら、SNSで「この研究者、戦ってるじゃん!」って思う著者が目に留まり、本書を読み始めました。戦う社会学者もどきは結構いるが、その多くは研究活動や教育活動と両立できていないことが多い。その是非はさておき、研究も教育もやっている人が社会活動とどう向き合っているのかを知ることが、私には大切。

社会運動(組織の改革も含め)をちょっとした「わがまま」と捉えて、みんな「わがまま」言って良いんだよ。誰かが言っている「わがまま」に耳を傾けようよ。そんな風に、「わがまま」の言い方や向き合い方を分かりやすく教えてくれている。別に大きなテーマでなくても良い。「これ、こうした方が、使いやすくないですか」という程度の提案も含め、意見を言うことに躊躇する人って結構多いかもしれない。でも、そういう「わがまま」が社会を良い方向に導いていくんだということを知って欲しいというメッセージも含まれている気がした。

「わがまま」を共有し合う雰囲気づくりも大切。ただ、社会運動の行き過ぎは呪い合いなることが多い。そうなってはいけないからね。

私の勝手な解釈だけど、著書は意見を言うことを「わがまま」程度に捉えることで、色んな傷つきを昇華しているのかもしれないと、考えたりして。

若い人、来世で社会学者になりたい人、会議で意見を言いたいけど言えない人に読むことをお勧めします。

そんなことを考えました。

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