健康「思考」

海外で暮らしていると、時に自分の持ってきた考え方の強固さをまざまざと思い知らされることがある。今私が直面している課題はこれ。いつかもっとゆっくり言葉にしたいなと思っているけれど、ざっくり言うと「自分の意見を持つことの難しさ」だ。
たまに「日本人は自分の意見を言えない」と評されているのを見聞きする。私もこれまで、「ああ、そうかもなぁ、どうしても集団の意向や雰囲気を先に重んじる文化だから、そういうところもあるかもなー。でもそれが良いところでもあるし。」くらいに思っていた。
意外にこれ、根深い問題なんだぜ、ってことに気が付かずに。

こちらで暮らしてコミュニケーションスタイルの違いのために夫とした喧嘩は数知れず。さすがに仕事や友人関係の場で正面衝突はすることはないが、ストレートな表現を基本とするラテン民族の皆様の態度に驚いたり、受け止めきれずひっそり傷ついたり、イギリスの周りくどい表現の真意に帰り道なぞに気がついてしまって赤面したり、まぁ、こちらも枚挙にいとまがない。

ほんとうに大変だし、心の体力がいるが、新しい文化を知っていくこと、そして私の受け継いできた文化を知ってもらうことは冒険じみてて楽しくもあり、飽き性の私がこっちで根を上げずに暮らしていけるのは、この楽しさのおかげでもあると思う。

で。
文化の違いとか世間とか個人主義とか、色々小難しいことを私の足りない頭で綴ってもしょうがないので、このへんでとどめおくが、先日こんなことがあった。


その日私はすごく上手に芋が炊けて浮かれていた。娘の好物でもある。食事は終わっていたが、これ幸いとばかりに娘にしつこく食べるように勧めた。
「美味しいから食べてみてよ!これ好きでしょ?」
しかし娘はなかなか首を縦に振らない。
何度目かのやり取りの後に彼女はしっかりと私の目を見据えてこう言った。

「ママ? ママ。 これは「だいすき」だ、け、ど、
 いまはたべたくないの。だからいらない。ありがとう。」

4歳児の返答である。
私はハッとして、そうか、そうだよね、教えてくれてありがとうと、我に帰った。あなた、それどこで覚えてきたの?(絶対うちじゃない、学校だ。)

自分の気持ちを臆せず、しかし相手への敬意を忘れずしっかりと伝える。
そして周りもそれを尊重してあれこれと考えずに、そうか、と受け止める。
こんな断り方があるんだなぁ。すごいなぁ。誰も傷つかない。

言葉にすると簡単なのだが、実はものすごい難しい。ついつい自分よりも周りの気持ちを優先させてしまう。だって周りもそうだし。
この見えないルールのようなものに自覚があるならまだましなのだが、問題はこれをずっとずーっとやっていると、いつの間にか本当の自分の気持ちが分からなくなってしまうことだ。

自分の気持ちなんて分かってて当たり前じゃん、ってずっと思っていたけど、全くそんなことはないのだ。案外「こうすべきだから」「こうしてきたから」「周りを喜ばせることができるから」というものを自分の気持ちだと思い込んでいる場合が多い。
便利だからね、テンプレは。現代人、忙しいし。

異文化の中で、自分という人間の価値観と思いっきり向き合っている今、もはやどの国の文化が素晴らしいとか、何がいいとか、悪いとか、日に日にわからなくなってきているけれども、
自分の気持ちは、できるだけいつも分かっててあげたいし、なんならそれを安心して真っ直ぐ差し出せる環境にいたい、それが「健康でいる」ってことなんだ、というのは、すごく、はっきりと分かるようになった。

健康でいたい。自分のために。そして真っ直ぐに健やかさを見せつけてきてくれる可愛い娘のために。これが私の今年の課題。

と、決意を新たにしたところで、あのうまく炊けた芋の話のせいで、さっきからずっと芋が食べたくなっていることに気がついた。
ああ、芋が食べたい。何か食べたい。
時計は、21時。
せっかく気づけてあげたこの自分の「本当の気持ち」だけれども、
今宵だけは、テンプレの方にお世話になってみようと思う。

「いやいや、気のせい気のせい。
 まさか9時に芋がたべたいわけ、ないない。」

おわり。




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