和定食とインスタントラーメンの狭間で

今日の晩御飯は焼きさばとだし巻き、紅白なますにお味噌汁、土鍋ごはん。梅干しもつけた。世間的には全く大したことないけど、イギリスでこれをやれるようになるまでに私は6年くらいかかってる。だからテーブルに並んだ品々を見て、我ながら悪くないなぁと自画自賛したりする。

そしてそのまさに次の日、同じ食卓の真ん中にはどーんと鍋が置いてあって、そこからインスタントラーメンをとりわけ、娘とふーふー言いながら食べている。ラーメンにはネギも、キャベツも、卵さえ入っていない。

すごい落差だなーと思う。恐るべきことに、現在、我が家ではこの眩しいくらいのコントラストは決して珍しくなく、週一以上起こっている。娘が将来どっちの方を小さい頃の食事風景として回想するのか分からないくらいだ。

毎日のお料理って本当に大変なのだ。

買い出しに始まり、献立考えて、作って、並べて食べて片付けて、残り物しまって、食洗機にもお世話になっているけれども、さすがにまだ食洗機はお皿を食器棚にまでは戻してはくれない。なので、「これをあと人生で何回するんだろう」と遠い気持ちになりながら、食洗機と棚の往復をしたりしている。あまりにもくるくると急いで往復していると、高速回転しているみたいになってめまいを起こしたりなんかして、何やってんだと突っ込みたくなってくる。キッチンの隅での主婦の地味な闘い。

食事は家族の命を繋ぐものなのに、まだ私の中でうまく誇りが持てない。元来料理が得意でも好きでもないせいもあるが、どうしても一日が食事作りと食洗機・食器棚間リレーで終わってしまうと、何をやっているんだろうと、うっかり「自分の人生はこれでいいのだろうか」、と頭の中でナレーションが入り、壮大な物語が幕を開けそうになる。

逆にインスタントラーメンの日は、びっくりするくらいやることが少なくて、食洗機もガラガラで、掃除機もいらなくて、私の毎日はこんなにも料理で埋まっていたのかと2度驚く。が、同時に先述の通り、料理と呼べない夕食の日は比較的頻繁にやってくるので、我々の栄養大丈夫か?と心配になってくる。

本当は敬愛する土井先生がご提唱されているように一汁一菜。手は特別に込んでなくても良いから毎日継続的に、それも結果にこだわりすぎず、面白がりながらお料理をしたい。提案フレーズがシンプルだから簡単そうに聞こえるけど、なんのその。コツコツって続けるって何よりも大変で尊いことなのだ。

私は今日も和定食とインスタントラーメンをせっせと往復している。
学生時代に先輩が言った、「なんてエマちゃんはいつもそうなの?0か100なの?間はないの?」が定期的に脳内再生されている。
本当そうだよ、先輩。
せめて、あまりにもくるくると急いてめまいが起きないようにだけは、とは思ってます。先輩。お元気かなぁ。



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