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種を蒔く、種を蒔く、種を蒔く

最近しきりにつぶやいている。春というのに相変わらず暗くて雨模様のイギリスで、さして楽しみにできる直近の予定も明るい将来の展望もないまま、でもとりあえずなんとか今日という1日を、この1週間を、そしたら1ヶ月をやり過ごせるのではという、暗くもないが、穏やかで充実とは到底呼べないような心持ちで。

フェイス◯ック経由で、返事を期待しないで古い古い友人にメッセージをしてみたり、ずっと好きだった漫画の作者の方に便箋3枚びっしりのファンレターを出してみたり、オンラインのウェルビーイングコミュニティーの会員登録をしてせっせとセッションに出てみたり。そして誰一人として顔馴染みも知り合いもいないのに、そこでコメントや質問をドキドキしながらしてみたり。

えいっ!と思ってやってみても、その直後はなんでそんなことしてしまったんだ!と恥ずかしくなることがある。ファンレターなんてお会いしたこともないのに一方的に自分の思いを送りつけて良いのだろうか、しかも大の大人が!としばし赤面、入れる穴を探してうろうろ。友達の返事だってすぐには来ない。私のこととか忘れてるかなー、送らない方がよかったかなぁー。向こうは新しい人生で忙しいからなぁとかとか、ぐるぐるを2、3日はやっている。不慣れな場のコメントだってそうだ。こんな外国人がきっと的を得ない質問なんてしちゃって、空気乱してないかなとか、顔、引きつってないかなとかとか。もう自意識の塊だ。

と、それなりにすったもんだを繰り広げているけれども、そのうち忘れる。人間ってすごいなぁ、忘却力って何よりの力では?と思う。

そして忘れたのも忘れてしまった頃、ぴょこんって急に芽が出ることがあるのだ。例えば落ち込んで瞼が重い午後、何気なく目をやった携帯に、新着メッセージのお知らせが表示されたりする。あの、古い古い友人のあの子だ。あの頃と変わらない、懐かしさで胸がいっぱいになるような温度でメッセージが綴ってあって、ああ!と思うのだ。

種を蒔く、種を蒔く、種を蒔く。

変わり映えのない毎日、大きく変えることができない毎日。今は幸せだって言えるけど、でも少しだけ心のどこかにちょっとだけ不満があるのを見過ごせない時、私は今日も種を蒔く。

芽が出るかもしれないし、時と共に忘れ去られるかもしれない。無駄かもしれない。でも良いのだ!数打ちゃ当たるともいうなぁ。そんな気持ちで。

今、玄関のチューリップが長い長い冬を経てようやく色づいてきた。あと1週間、というところ。10月に植えてずっと毎日鉢を見ては楽しみにしてきた。でも気がついた。1週間後、私はいないではないか!見れないではないか、我が家のチューリップの最盛期を!半年越しの楽しみが実を結ぶ瞬間を!

そう、ホリデーで長期で家を空ける我が家、まさか誰も玄関のチューリップを愛でることができないのか、、、としばし悲しみにくれていたが、いっそのことなら!と一昨日、ほんの少しだけ色づいてきたチューリップを思い切って取ってきた。早すぎて茎なんてほとんど伸びていない、コーヒーカップになんとか収めて体裁を保つ。それが今日、私の目の前で鮮やかなピンクの八重の花びらを咲かせている。夢みたいに綺麗。

種の芽は出ないかもしれない、みたいなことを書いたけれども、それならそうで、種の芽を無理やり迎えに行くという、貪欲な方法があることも忘れないでいたい。

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