よっしゃやりまっせのもうすぐ昼

【骨子】

町で生きる


町に移住して2年、村で古着屋を始めて1年が過ぎた。

もともと10個ほどの事業を同時並行で走らせて一つあたりの収益を少なくし、暮らしと仕事のバランスを保ちながら幸せに暮らすこと、そして春夏秋働き、冬は海外で暮らすことを目的として始めた。当然一つだけでは収益が足りるわけもなく、アルバイトで繋ぎながら今期を終えようとしている。

第二、第三の矢に構想を思いめぐらしていた秋、編集社で商店街の企画が持ち上がる。

10年後の商店街を一日だけ再現する企画。同時期にライブ公演と美術館主催のアウトサイダーアートの展示の依頼を受けていた僕は、当初みかんの収穫の仕事に行く予定であった11月を辰野町で暮らすことにする。

商店街に向けて加速する町。

AKさんを中心としたゆるやかなコミュニティを中心として始まった準備は、徐々に昔から町にいた同世代をも巻き込み12月7日を迎えた。(その盛況ぶりはすでに多く語られているのでここでは割愛する)

その日僕は"No name"名義でライブハウス、カフェ、バーを運営した。
ミュージシャン、ペインター、バリスタ、古着屋、バーテン、シェフなど、自分の信頼する友人16名をスタッフに迎え、自分はオーガナイズと内装準備を担当、とても幸せな空間/時間を経験し、確かな手応えを感じた。

No nameを運営した店舗は以前2、3度まちあるきの企画で内覧をしており、広く魅力的な空間構成に思いを巡らせていた場所。今年の商店街界隈での新たなムーブメントと来年以降の流れを読み、今このタイミングで新店舗オープンに向けて動き出すことを決めた。

町で生きる。

そのためにこの場所でゲストハウス、カフェ、バー、古着屋、アートギャラリー、ライブハウス併設の空間 "know name" をつくる。

【コンセプト】

“know name”


2019年12月7日にNo name名義で店舗を運営した理由は主催者のAさんをリスペクトしているからだ。
彼は無色透明のハコをつくるのが得意で、今回の商店街での企画も街中に16店舗の空間をつくり50以上の出店者を誘致した。なのでその日は何者でもなさを表現する名前になった。

僕自身は名前にもう少し意味性とひねりを加えるのが好きで、ある夜スタジオにて0と編集社のAKさん、Oさん、役場のNさんとアイディアソンをしている時にふと”know name”にしたらいいのではないかと感じた。

響きは商店街の時と同じ。
でも少し違う。

今、生きづらさを感じている人が増えている。
僕自身その一人で、27才の時に会社勤めを辞め5年ほど季節労働と海外旅行を繰り返す生活をした。そこで社会の枠からはみ出して、逞しく、時に身を寄せ合って生きる人間に沢山出会い、生きる勇気をもらった。

know nameは生きづらさやもどかしさを感じる人の集まれる場所にしたいと思う。社会の枠というものが狭く限定されてきている中で、今そういった人間はマイノリティではなくマジョリティになっているのではないか。

ここに存在意義がある。

音楽、絵画、映像、舞踏、演劇といった芸術はレベルな感覚をもったアウトサイダー達によって創造されることが多い。know nameを10年後の未来に向けて辰野町から世界に発振できるようなアートの震源地にしたい。と、大風呂敷を広げすぎると誰も寄ってこないので、学校や会社の帰りにふらっと立ち寄れる気軽な場所にしたい。


No nameから know nameへの変化を肌感覚で感じられる空間をつくる。
artとartistを大切に育てる。
寄りどころのない人の遊べる場所になれば良い。


【実際】

ゲストハウス、カフェ、バー、古着屋、

アートギャラリー、ライブハウス


上記の機能を二階建て200平米の空間に併設する。
15時ごろから営業開始、帰路につく中高生が立ち寄れるcafe、古着屋を展開する。
店内には世界各地の楽器を設置し、自由にセッションする。
並行して壁面で絵画を展示、販売する。
同じ時間帯に2Fで展開するゲストハウスへ旅行者が到着し、彼らと中高生が気軽に交流できるような空間になる。
日没から徐々にbar営業に移行し、仕事を終えた人々が集まり始めさらに交流の輪が広がる。
時にアーティストが訪れ、ライブを行う。
空間で生まれるアートを映像に残し、発信する。