雨水が飲めないのだから

想定外の気象変動が起きはじめている現代における上下水施設の存在意義について言及したかった。
私自身富士山の8合目で3シーズン働いた経験がある。
そこでは生活水、飲料水に雨水をろ過して使っていた。
風呂は一週間に一回、みんな身を寄せ合って生きていた。

ペルー帰りで登った2年目の夏、7月22日、彼女が登って来た。
僕の人生に多大な影響を与えてくれることになるとはその時はまったく判らず、
「今年もついに出会わなかった」
そう感じた。鮮明な記憶。彼女が一番最後に合流する山小屋のメンバーだった。

とても上品な人、周りをよく観察しているのが伝わる。
自らは言葉を発さず、必要なところにいつのまにか居て手を動かす。
所作の美しさに目をひかれる。

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休み時間が重なったある日、バガヴァットギーターの話で盛り上がる。
ギーターは旅人の中ではわりとポピュラーなhindiの聖典。
田中嫺玉(カンギョク)さんの訳の美しさの話をしたり、ムビラを弾いたりしながら少しずつ仲良くなる。

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僕は彼女に興味を持った、彼女はどうだったかな。
休み時間や夜、よく散歩に誘った。
彼女は断ることはなかったと思う。

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8月13日、ペルセウス座流星群が流れているはずの霧の夜、僕たちはその日まで共に歩む約束をする。

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去年の5月22日、その日が来る。
その日が来るまでその日とわからなかったその日。
それから僕は一人だ。

年が明けて1回目のクバさんとの電話。

僕は彼との関係性を
「毎年宝くじを買うようなもの」
と言った。

彼は僕との関係性を、5回くらいその言葉を搔き消しながら恋人だという。

一人の恋人、二人の変人、二千二十年、一月十一日、九十九個目の記事。

百個目は今夜共同執筆。

いつかの下書き、二ヶ月くらいそのままで、順番前後して、今書いて。

不思議なんだけど、去年からほんとうに飛び続けてるんだ。