2015/09/23 宗教的なものについて
昔、人が本能から離れて少しずつ自由に思考出来るようになった頃は、世界が相当恐怖だったのではないか。それまで反射的しか世界と関わっていなかったのに、一歩踏み出すたびに何が出るか分からない世界に入ってきたような。その恐怖を治めるために、宗教的なものは生まれたのではと思った。
— ┣┣''㌠ (@todosquare) September 22, 2015
バリエーションはあるにせよ、なんでどの世界にも宗教的なあるのだろうと昔疑問に思ったが、太古に思考を始めた時の恐怖を制御するため、ここに近づかなければ大丈夫的な、レッテル貼りとしての役割があったのではないか。宗教的なものは、人間が自由に思考出来るために必要な手段だったと思う。
— ┣┣''㌠ (@todosquare) September 22, 2015
初めは宗教的なものとして畏怖されていた科学とか貨幣・金融とかが、宗教的な殻を取って爆発的な広まりを見せた。
— ┣┣''㌠ (@todosquare) September 22, 2015
宗教的な思想と手段があって、思想の影が薄まった時に、手段だけが広まったみたいな。
現在の起業家に対するインキュベーターのような感じの役割かもしれない。
貨幣でいうとビットコインは、現在は、宗教ではないが思想的なものが色濃く残っているが、やがて利便性におされて思想的なものは隠れ、手段だけが広まっていく段階にきてるのではないかと思う。かつての貨幣は相当長い時間をかけて、宗教を離脱したが。そういう現場に立ち会えるのはちょっと興奮する。
— ┣┣''㌠ (@todosquare) September 22, 2015
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