2021/05/23 死を受け入れ始める準備

在宅勤務が早く終わって、ソファーでうとうとしていたら、気が付くと奥さんが夕飯の支度を始めていた。覚えのある香りで、メニューを想像でき、寝起きでボーっとしていたものの、満ち足りた風な雰囲気で目覚めた。

次の瞬間、でも死んでいくときは、この満ち足りた自分の感覚は、どこに行くのだろうと思った。しばらく考えて、個人的には納得は行かないけれど、消えてしまうのだなと思った。

ここ数年、歳をとってきたからなのか、自分が死んだらどうなるかということを、時々思うようになった。初めてそんなことを考えたとき、自分が死んでも、そのほかの、例えば自分の家族の生活はちゃんと動いているんだという事実を認識したときは、少しショックだった。相当な孤独を感じた。

墓場までお金は持っていけない、ということをたまに聞くけど、そういうことを言う人は、自分の死に向き合うことをしないで、いいこと風の言説を言っているだけなような気がする。墓場まで持っていけないのはお金だけではなく、満ち足りた感情も、唯一無二の思い出も、たぶんすべて持っていけない。だれも付き合ってはくれない。徹頭徹尾、孤独なのだ。

歳をとってそういうことを考え始めたのは、自分の死を受け入れ始める準備なのだろうか。

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