バズり記念日 ~快慶名人誕生秘話~

周防名人が頭を下げた。誰にも渡ることがないと思われていた周防名人の名人位が快慶氏に移った瞬間だった。

「ワイ、日本で最初の競技カルタのプロになるやで」

「ちはやふる」をきっかけにカルタを始めた異例の遅咲き名人誕生に、日本中から注目が集まっていた。数知れないシャッター音が雨音のよう鳴り響き、ストロボが焚かれる中、快慶はそう宣言した。

「今、一番勝利を伝えたい人は誰でしょうか」リポーターが尋ねる。

快慶は、しばらく目を閉じた。快慶の脳裏には、忘れもしないある日の出来事が浮かんでいた。

# # #

ちはやふるを読んで、カルタの世界に飛び込んだもののまるで上達せず、周囲に「プロになる宣言」をしてみたものの、アマチュアのD級大会ですら勝てない日々が続いていた。

「さすがに、この歳では無理やったか。いくらなんでも絶対的な練習時間が足りへんわ。高校の部活で毎日やっとるような連中に追いつけん」

競技カルタへの情熱で負けているとは思えない。周防よりも、新よりも千早より、カルタへの情熱では勝っている。

しかし、社会人の自分には、公認会計士として大手の監査法人に勤める自分には、圧倒的に時間が足りない。子供のころからカルタをやってきたあの連中は、今までに自分の何百倍の時間をカルタに費やしている。練習の絶対量で勝てないことは明らかだった。

「やっぱり、この歳で競技カルタに転向は無理やったか」ため息をつく快慶のところに、師匠の原田先生がやってきた。

「どうした。ため息ばかりついてるじゃないか」

「練習時間が取れへんし、歳も高校生や大学生よりはだいぶ上やし。ワイの青春の全部掛けても強くなれへん気がしてますやで」

「青春全部かけたって強くなれない?そんなこと、かけてからいいなさい」

原田が快慶を一喝した。

「いちど、社史編纂室、行ってみるか」

「ファッ?!」

「社史編纂室だよ。このカルタ教室の」

「社史編纂室なんて、このカルタ教室にあるんか?」

「あるよ。あるだろ、そのくらい。隣の部屋の押し入れの奥にドアがある。立ち入り禁止って書かれてるけど、気にしなくていいから入りなさい」

「ファッ?!」

意味が分からない。分からないが、断れる雰囲気ではない。快慶は半信半疑で、隣の部屋の押し入れを開けた。

「なんや、、、これは」

押し入れの奥には、社史編纂室と書かれた引き戸があった。貼られたガムテープに「立ち入り禁止」と手書きで書かれている。

「入るしかないやで、、、、」

引き戸を開けると、そこには部屋が広がっていた。どういう作りなのだろう。書庫のように大量の書類が書棚に詰め込まれている。

「すんまそん」恐る恐る声を掛ける。

「なんやー、ワイ、忙しいんやで」奥から声がする。声のする方に行くと、中年の男がテレビゲームに興じていた。

行くしかない。

「ワイ、何歳に見えるやで?」快慶が切り出した。

「モ、モマエ、この状況でいきなり年齢聞くとは、只者ではないな。けどな、最強の情強のワイの目はごまかされへんで。XX歳やろ」

快慶が勝ち誇ったように、ニヤリと笑った。本当の年齢を告げる。

「そ、そんな馬鹿な、、、、ワ、ワイが、間違えるなんて」

快慶は、会話の主導権を確保出来たことを確信した。

「ワイは、快慶や。原田先生に言われて来たんや」

「ワイは社史編纂室の室長の東堂や。何の用や。ワイ、今からおやつのラーメンを食わなあかんねん。忙しいんや」

「東堂氏、よく食いそうですやんね」

「まあ、食うで」

「実は、ワイ、競技カルタ始めたんや。会計士やってん、いつもは監査の仕事しとるから、練習時間が取れないですやで。若くもないし、それで強くなれんくて、悩んどんねん」

東堂は、呆れ顔をして首を振った。

「なんや、そんなことか。モマエ、情弱やな。自分、もう十分練習しとるやないか」

「ファッ?!なに聞いとるんや。私、女子高生だけど、全然わかりません。練習時間がとれないって悩みなんですけど」

「あのな、会計もカルタも同じやで」

「な、なんやて!?」

「ここまでゆうたらなあかんか。カルタは、上の句、下の句のペアを作るんやな」

「せやで」

「貸借対照表は、左右があっとらんといかんわな。複式簿記も同じやな。自分、左右合わせること得意やん」

快慶の全身を稲妻が貫いた。

(せや、、、、ワイ、、、複式簿記なら、、、左右のペアを作ることなら、誰にも負けへん。ワイの人生そのものや!!!!)

「それだけやないで。自分、電卓使うし、数字も覚えながらチェックしていくやろ」

(せや、、、、。ワイ、右手で開示資料捲りながら、左手で電卓叩くスピードは誰も負けへん)

「それ、手を鍛えたり、瞬間記憶を鍛えたりせんと出来ひんよな」

「ほんまや、、、、、カルタ、そのものや、、、、、」快慶の中で、カルタの動きと、監査業務が繋がっていく。

「自分、今までの人生ずっとカルタのトレーニングやってたんやで。毎日やっとることも全部、カルタの練習そのものやん」

「、、、そうやったんか、、、、ワイ、カルタのために会計士になったんやったか、、、、」

全部カルタの練習だった。自分の中でマグマのように自信が湧き上がってくる。いても立ってもいられなくなっていた。

「東堂はん、ワイ、用事思い出した。ここで失礼するわ。次はもっとゆっくりするから堪忍してやー」

「ワイも、忙しいちゅねん。頑張ってやー」

会計が社史編纂室を出て、押し入れから出てくると近所の高校のかるた部員の駒野勉が来ていた。快慶はD級、駒野はB級だ。今までであればとても勝てる相手ではない。しかし、なぜか今は、負ける気がしない。

「試合してくれへんか」

4試合して、すべて快慶が圧倒した。

(ワイ、今まで何万時間カルタの練習してきたと思うとるんや。部活で2~3年やっただけのガキには負けへんで)

異変に気が付いた原田が様子をうかがいにやってきた。

「原田先生、おおきに。社史編纂室でヒント貰ったやで」

「社史編纂室?何のことだ?」

「隣の押し入れの奥に、、、、」

「私は、そんなもの知らんよ。押し入れには布団しか入ってないだろう」

そんな馬鹿な、、、快慶は立ち上がると、慌てて隣の部屋に行き、押し入れを開けた。そこには布団があるだけだ。布団を全部引き出してみたが、そこには引き戸も、立ち入り禁止のマークもなかった。

だが、今、快慶の中には確かに圧倒的な自信が生まれている。自信だけではない。今まで自分がやってきたこととカルタが完全に重なり、自分の動き、感性でカルタを取れるようになっていた。

# # #

その日以来、快慶は負けていない。今日、ここまで到達したのも、あの日があったからだ。

「一番、勝利を伝えたいのは、、、」

ニッコリと微笑みながら、快慶が言った。

「慎吾君と、はぐみはんです」

超人的な聴覚を持つ周防元名人は、星空のどこかで、「ズコーーーーーッ」という音が聞こえた気がしたが、単なる気のせいだろうと思った。そして、その音のことを思い出すことは二度となかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?