喫茶店

つぎはぎ顔の怪物がいつもすぐそばにいるような感じがして、私は逃げたい気持ちになる。そんな気持ちを誰かに打ち明けても、誰も理解してはくれないだろう。私が言う「つぎはぎ」という言葉と、「怪物」という言葉は、世間一般に流通しているそれらの単語とは全然意味が異なってしまっているからだ。

私は堪らなくなって遂に逃げ出した。逃げ込んだ先は(どこでも良かったのだが)駅前の喫茶店だった。

私はどうして文章の形にしたためることに拘るのだろう?私は読書が好きだった。既にこの世にいない文豪、殊に三島由紀夫と梶井基次郎が好きだった。そして彼らの豊かな文学の中を逃避先に選んだりもした。それだけでは我慢ならなくなり、遂には猿真似をして、自分も小説を書いてみようと思うに至った。自分にも真似できると決して思い上がったわけではない。それは可能であるからではなく、「やらねばならないから、やる」という必要に迫られたという方が近かった。私にとってできるかできないかはどうでもよく、すでにMustなのであった。想像力を使って世の中に想いを発信しようという傲慢さを持つには、もう生きるのに疲労困憊しすぎていた。私にとって執筆はほとんど生理現象だった。

私は今日こそはと思い、喫茶店で売られていた甘味の中に逃げ込んだのだ!通っている福祉施設での福祉就労を終えた後、まっすぐ帰らずに喫茶店に行った。家の前で止めてくれるハイヤーの運転手に駅前まで連れてくように頼んだ。運転手は私の希望通りに運んでくれた。よくぞやったと、心の中で得意がった。

私は喫茶店でクッキークリームチーズケーキを注文した。帰りの車に揺られたせいで車酔いがまだ残っていて、チーズの酸味で中和したかったからだ。忙しそうにレジをしてくれた店員さんに何故か分からないが不快な思いを抱いた。完璧な接客を受けたのが、かえって自分が独りぼっちなのを際立たせる結果となったからか。チーズケーキに全ての期待を背負わすには、この小さな塊には荷が重すぎるだろう。不快感が過ぎるまで、また少し待つことにした。

不快感は頭痛に変わった。それはいつまでも私の中に居座る事を決め込んでいるようだった。何ということだろう!私が心を通わせられるのは亡き文豪とチーズケーキだけなのか!?私は過去に痛い頭を撫でられた記憶を思い出そうとした。そうして苦痛を感じないようにしようと試みた。頭痛が消えた。私の目論見が成功したのだと気づいた。

クッキークリームチーズケーキは想像した以上に甘酸っぱかった。チーズのひんやりした舌触りが快かった。甘さと酸っぱさが丁度良いバランスで配分されていた。半分以上食べてみると、親がよく洋菓子屋で買ってきた、ニューヨーカーチーズケーキの味を思い出した。次の一口を運ぶと、なぜかドッグフードっぽい香りが鼻をついた。最後の一口は檸檬の味がした。クッキークリームチーズケーキは束の間にストロボのような幻を見せて楽しませてくれた。苦いコーヒーを口に注ぎ、その幻術に終わりを付与した。


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