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初対面の方に悪者にされたのでnoteでわたくしが言い返すターン。なお話


クリエポの準備のめどが粗方ついてきてホッとしたのもつかの間、なんと重大ミスが見つかり憔悴しきっているトウドです。

サムネ画像の鹿さんは、ほとばしるわたくしに
「まぁまぁ落ち着けよ。ほれ、かわええ画像貼っとくから。」
と親しい友人が送ってくれた癒やし画像です。
せっかくなので使わせて頂きました。ありがとう O田氏

今回のクリエポ、サプライズの配布品として「紙製ファイル」をご用意しておりました。
部数が少ないのでSNSでの告知はせずサプライズにしようと思っていたのですが(結局ここで言っちゃってるけど)その紙製ファイルに印字されているInstagramのQRコードを読み取るとなぜか見知らぬ外国人のアカウントに飛んでしまうという不可思議現象が起きてしまったのです。
もちろん入稿前には読み取って確認しています。
そして表示されいるアドレスは確かにわたくしのっぽい…。(一瞬で消えちゃうから確認しくいけど)でも起きてしまったことはどうしようもないので、とにかく今判明したことが幸いだと思い直しました。
そしてその重大ミスに気がついて下さったのが

北斗プリント社さん
校正が終わって試し刷りしたものを念のため読み取ってみたところ不具合に気がついたとご連絡下さいました。
もともと納期も、ものすごい余裕があるわけでもないのに追加料金なしで差し替え、納期も間に合うように手配して下さり神対応でした。
わざわざにQRコードを読み取ってくれるのもそうですし、快く差し替えて下さるなんて。
このご恩、いつか返させて頂きたい。

結局同じQRコードを使用したポートフォリオ、これまた配布用にと用意していたしおりも全て差し替えとなり、疲労困憊。

その後も肝心な時にいつも必要な道具を取り出せないドラえもんみたいなエラーを連発。完全に平常心を失ってしまったので少し気分転換をした方がよいと判断し、散歩がてら買い物に出ることにしました。
こういった予期せぬトラブルに見舞われるととんでもなく狼狽えてしまい、毎回自分の器の小ささに落胆するのです。

急ぎ必要なものがあったわけでは無いけれど、一歩でも外出するためには着替えをし身なりを整えます。
そうして外出すれば自然と空や植物や生き物が目に入って癒やされると思ったからです。

ところが外に出て数分後、それは起きました。
わたくしの前方に交差する道路を賑やかに歩いているおばあさんと年の頃4~5歳くらいの男の子が目に入りました。
声が大きいなと思ったらお子さんを連れていらっしゃるのが年配の方だったので、なるほど。と思いつつ後を追う形でわたくしも角を曲がったのですが、角を曲がるとちょうどその4~5歳くらいの男の子が民家の軒先の鉢植えの花をむしろうとしているところでした。

おばあさんは「あっ!ダメよ!そんなことしたら!」と(おそらく)お孫さんを叱り、後ろからやってきたわたくしを一瞥するとわたくしを指さして
「ほら!後ろからおばちゃん来たよ!怒られるよ!おばちゃんに!」
と言い放ったのです。

わたくしは突然の名指し(というか指さし)にぽかーん
あまりのことに言い返す事も出来ずにいました。
先ほどまでのQRコードの件で憔悴しきっていてすぐに頭が回らなかったというのもありました。
しばらくして歩き始めたお二人。男の子の方はわたくしの方を何度も振り返ってはクスクスと笑っていました。
あっけにとられたまま買い物を済ませ、帰宅し段々と冷静になって思い返して見ると非常に腹立たしく感じて今に至ります。

時を戻せるのなら、
「わたしのせいにせずに、きちんと叱ってあげて下さい。」と言ってやりたい。
でももちろんそんなこと出来ませんから
そう。このやり場のないストレス今こうしてnoteに書き留めているわけです。

残念だったな。おばあさん。
こうなったら最後、執拗までに言い返してやりますわよ。
わたくしめったに腹を立てることはありませんが、今回はこのフラストレーション逃しようが無かったのです。

・見ず知らずの人に「おばちゃん」と呼称されることについて。

見ず知らずの人に「おばちゃん」と呼称されること自体が腹立たしかったのか。
わたくしは現在44歳で年齢的にも立派な「おばちゃん」であります。
むしろ子ども達のお友達に対して自らを「おばちゃん」と言うこともあります。
今の子ども達はしっかりと教育されていて基本的にみな「トウドさんのお母さん」のように呼んでくれますが、もし子供達のお友達に「トウドさんのおばちゃん」と呼ばれたとて、嫌な気はしないでしょう。
しかしながら初対面の、それもとうの昔に成人していい加減社会生活も送ってきたであろう年配者から「おばちゃん」と呼ばれたらどうでしょうか。それはわたくしがおばちゃんである事実に関わらず礼節をわきまえない大変不躾な呼称であると思います。
少なくともわたくしは初対面の方に対して「おばちゃん」とは呼びません。

・わたくしのせいにされたことについて。

やはりこれについてはかなり思うところがあります。
「あのおばちゃんに怒られるからやめなさい。」と言ってやめさせたところで、では「あのおばちゃん」さえいなければやってもいいのか。ということになります。
お子さんは何故、人のおうちのお花をむしってはいけないのかという本質的な理解が出来ぬまま成長してしまいます。

民家の軒先に咲いている花も、路地に咲く自生植物も、公園の花も幼い子どもにとってはみな「ただの花」です。
でもその花が花開くまで、水をやり、肥料をやり世話をした人がいて、ようやく開きかけたその蕾が開花する前にむしり取られてしまったらその世話をした人はどんな思いをするでしょうか。
そんな「その花の向こう側」にいる人の気持ちを想像する優しさを教えるのが本来子どもの身近にいる大人の役割です。
それをめんどくさがってその場を凌いでいたら子どもの心は育まれません。

・お子さんの態度について。

地味に思い出しては腹立たしいと感じたのは、歩き始めた後のお子さんの態度でした。
振り返ってはわたくしの顔を見てクスクス笑うのです。
本来人の顔をみて笑うこと自体が大変無礼な行為です。
仮にわたくしの顔が本当におかしかったとしてもです。
ほんの短い時間ですが、お二人のやりとりを見えいて垣間見えたのは
おそらくお子さんはおばあ様の事を若干なめているということ。
怒られても怖くないし、何なら怒るおばあちゃんを見て面白がっている。
だから反応がおもしろくて怒られそうなことをわざとにやるかも知れないし
おばあさんはそんなお孫さんに手を焼いているからこそ
「あのおばちゃん」の力を借りることにしたのかも知れません。
けれどわたくしはそれを許していませんし、その手段は長期的に見て有効ではありません。あまりにも浅はかな考えです。

こうして振り返ってみると、お祖母様から生物や、それに携わる人を思いやる。という大切なことを学ぶ機会を奪われているあのお子さんは不憫にも思えてきたし、あの時即座に「わたしのせいにしないできちんと叱ってあげて下さい。」と訴えたところで「ほら!怒られた!」とか言われそうな気もするので言い返さなくて正解だったのかも知れないと思えてきました。

そして言語化する事によってやっとこ気持ちも整理が付いてきました。

またしょうもない記事を生み出してしまった….
不愉快な記事にもかかわらずお付き合い下さったそこのあなた様
ありがとうございます。
あなた様によいことがありますように。

本文中、おばあさんの呼称が様々に変わっているのは、丁寧な呼称のバラエティは沢山あるのだという証明のようなものです。
日本語は表現豊かな言語だと思っています。
沢山ある表現の中でどれを選択するのか、それこそがその方のセンスや知性の表れだと思っています。
そして自らも同じ轍をふまぬよう、心して言葉を選んでいきたいと思った。そんな1日でした。

それではまた!次こそは真面目な記事でお会いしましょう。


TOUDO YAYOI Illustration

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