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イラストレーターになったきっかけのお話~スピード退社からの進路変更編~

こんにちわ!イラストレーターのトウドです🖌️
最近「白湯活」を始めました。
人は1日に1.5~2Lの水を飲むといいと聞いたことがありますが、わたくし朝1杯の白湯以外は基本1日中お茶かコーヒーを頂いていました。
そのお茶を全て白湯に替えるという試みです。
仕事をしながら、息子のテニスを観賞しながら
日々お白湯を飲んで、ほったらかしだったマイボディを労っているという自己満足に浸っております。
では、近況はここら辺にして、前回に引き続き「イラストレーターになったきっかけのお話」をしていきますね。

・宣言通り普通のOLさんになりました。


時は流れること約10年後、普通科の高校を卒業後
宣言通り普通のOLさんになったわたくし。
え?なぜ高卒で就職したかって?
普通科高校でしたのでもちろん周囲は進学が当たり前でした。
就職したら友人ともあまり会えなくなるだろう事もわかってはいましたが両親に課金してもらって、頑張って勉強してでもやりたいと思える程の事が、その当時は見付からなかったからです。

行けそうな大学や専門学校に「とりあえず進学」という手もなくはなかったのでしょうけど…
自分で働きながら行きたい所へ行ったり、やりたいことをしたりしている内に好きなことが見付かったら
改めて自分のお金で進学し直せばいいや。という割りと浅はかな考えで進路を決めてしまいました。
そして後にその浅はかな考えはやはり浅はかであった痛感することとなります。

・今思えばブラックだった問屋さん時代

わたくしが就職したのは日本橋にある老舗鞄卸売り問屋さんでした。
日本橋の町は元々好きだったのですが人間関係や労働環境としては決して良いとは言えない職場でした。
もちろんいい出会いもあったのですけどね。
その出会いのお話もいつしか記事にしたためる事ができたらいいなぁと思っております。

とにかく扱う品物が鞄ですから40本60本とまとめて両腕に掛けて狭い階段を乗り降りするのはかなりの重労働。
しかも店頭以外は倉庫で埃っぽい為、すぐにひどい皮膚炎のような症状を発症してしまいました。
思い描いていたアフター5なんて夢のまた夢。
オフの日も全く動けない程疲弊する毎日の中、健康だけが取り柄だったわたくしの体がついに限界を越えてしまいます。
肺を守る胸膜という場所に腫瘍ができる「胸膜炎」という病を発症てしまいました。
たった7ヶ月というスピード退社でした(笑)

・兄、ニートの妹にナイス助言

元々次のステップも、視野に入れての入社だったとはいえ、たったの7ヶ月という想像以上のスピード退社。
そして思い描いていた事がほとんどできず、唯一の取り柄である健康さえ失ったわたくしは、しばらく家には帰らず親友宅に居候していました。
あまりのスピード、そして何も残らなかった虚無感で思考が停止していたんだと思います。
そんなある日、親友宅に兄が訪ねて来てこう言いました。
「お前は絵が描けるじゃん。そしてそれを認めてくれる先生もいるなんてラッキーじゃん?お前は恵まれてるよ。」
自分にはもう何もないと思っていたわたくしにとってこの兄の発言は目から鱗でした。
何もないなら失うものもない。画業なら病気の身でも勤まるかもしれないし…と、とにかくおくやま先生の所に行くことにしました。

ただ気がかりな事が1つ。
わたくし実は中学校を卒業後3年以上絵を全く描いていなかったのです。
現代の教育では考えられない事ですが異常な授業が行われていた結果、わたくしは中学卒業と共に1度筆を折るのですが、この空白の3年間についてもいずれ記事にします。(ちょっと怖いお話です。ひぃっ!)

・いよいよ外弟子時代。でも私何になるの(?_?)

先生の元には昔から多くの若者が出入りしておりアシスタントをしていらっしゃいました。
なんとなーくわたくしもそんな感じの事をするのかなぁ~と漠然としたイメージでした。
毎日先生の元に通い、先生のお手伝いの傍ら絵の勉強をするよう言われ、言われた事をコツコツこなす日々
でもそんなわたくしに1つの疑問が…
え?ってゆうか私…何になるの?
(笑)そう。よくわかっていなかったのです。
絵の仕事と一言に申しましても色々あります。
そんな中で自分が何になるのかがわからなかった。
よくわからぬまま、従順に言うことを聞きながら手伝いと勉強をする毎日の中で、ついに残りの50%の運を使う日がやってくるのです。


長くなりましたので続きはイラストレーターになったきっかけ~制作出版編~へとバトンを渡します。

ではまた!

   Illustrator  トウド  ヤヨイ  (^_^)ノThanks!☆



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