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ゴミになる日を想像して買い物をするお話

こんにちわ!イラストレーターのトウドです ♪
大型連休皆さんいかがお過ごしですかね 
我が家はね、長男氏体調不良により自宅安静
この長い連休どう過ごそうか思案中です。
去年の連休はまだ活動自粛していたので部屋の壁紙にペンキを塗りました。
まとまった休みがないとなかなかできないこともありますからこの機に少しお家の整理でもしましょうか。
ということで今回は物の買い方、暮らし方、そして考え方に至るまでをお話してみようかと思います。
ヘッダー画像のまだ新しくキレイな兜とタイトルが不釣り合いですが
あの真新しいかわいい兜でさえいつしかゴミになる日が来るのです。
そんなものの成れの果てを想像しましょうというそんなお話。とは言えお気にいりの兜、捨てる訳じゃないですよ

・いつかは全てゴミになる

ちょっとショッキングな小見出しですけれど考えてみればそうですよね。
どんなにキレイなものも、高価なものも、大きな建物なんかだっていつしか古びてその役目を終えたら「ゴミ」になるんです。
もちろん古びても朽ち果てない物質もありますから、一緒くたに「ゴミ」と表現してしまうと語弊がありますね。
でもその人の元での役目を終えたら「不要品」となる訳です。
おそらく今わたくしの目に入っているもの、ほとんど全てがいつしか「ゴミ」か「不要品」になるわけです。

もちろん、可能な限り再利用できるものは修理したり、壊れていなくても不要な物はもらってくれるセカンドオーナーさんを探す努力をします。
だからお買い物をする時は「わたくしの元を去る時」の事を視野に入れて購入するように心掛けています。

・影響を与えた先生の一言

そもそも、なぜその様な考え方をするようになったのか。
きっかけはわたくしの先生の一言でした。
環境問題について先生とお話しているときの事でした。
先生は昭和の初めの頃の生まれですから、今とはインフラも生活様式全く違っていたでしょう。

不燃ゴミは極限に少なかっただろうし、わずかな生活の道具や衣類や学習道具だって壊れても何度も直してみんなで大切に使っていたそうです。
そんな幼少期を過ごした先生がポツリと独り言のように仰った「人間は燃やしてはいけないものを作りすぎた」という言葉がわたくしの心に深く深く刺さりました。

それからしばらくは身の回りにあるものも、道行くものも、お店に並ぶ新品の商品でさえも全てが「いつしかゴミ」にしか見えなくなってしまいました。
「これはどうやって処分するんだろう?」「可燃ゴミ?不燃ゴミ?」とその物の行き先ばかりが気になって購買意欲がなくなってしまいました。

きっとそれまできちんと考えてこなかった事に直面して消化しきれなくなってしまったんです。

・もう1つの影響

ちょうどその頃は母方の祖父の介護をしていました。
当時祖父は88歳、明治生まれの厳格なおじいちゃんでした。
祖父はよく「ボロは着てても心は錦」と言いました。
実際本当に肌着なんかはボロボロでそんなみすぼらしい格好をする祖父を母達三姉妹は好ましく思っていなかったようですが、わたくしは物を大事にする祖父の考えは本当に大好きでした。
それでいて気前はよく、大切に取っておいたはずのお金はここぞという時にドーンと使うんです。
祖父は苦労をした人だからお金のありがたみ、物のありがたみをよーく知っているんです。
だから物もお金も大切にするけど、決してケチではなかった。
わたくしはどんなにボロを着ていても心は錦の祖父の事を尊敬していたし、憧れてもいました。

この頃のわたくしはまだ駆け出しで常に貧乏でしたから先生や祖父の言葉が深く刺さったのでしょうね。

・とは言え現代社会を生きる人として

そうは申しましても現代社会を生きる人間として
やはり電子機器やインフラの恩恵に預からずに生きて行くことは難しいです。

実際駆け出しの頃はお金がないのもあり本当に最低限の物だけで暮らしていました。

でも飲んで食べて最低限の清潔を守る程度の生活は次第にわたくしの心を荒廃させていきました。
行き着くところまで行き着いてみて
はっきりとわかったのです。
「人間は睡眠と栄養を摂取しているだけでは心が死ぬ。心が死んだらいずれそれが肉体にも及ぶ。」
自分の精神状態に危機感を覚えたわたくしは積極的に「生きるのに不要」なものも取り入れ始めました。

結婚式とかでよく言う「文化的で健康的な生活」
あれは本当に人間が「人」として心身共に健やかに生きるために必要な要項なんだと思います。

この頃から「人として生きていくのに程よい生活」を志すようになりました。
もちろん加減は難しく「必要」と「不必要」の判断を自分なりにできるようになるまで10年以上掛かったのではないかと思います。

・物の少ない我が家

友人が遊びに来ると「家がキレイだね」と言われる事があります。
これは単に家屋がまだ比較的新しいのと物が少ないからなんです。

元々若い頃から物を多く持ったり、不要なものを身の回りに置いておくのが嫌で定期的にいわゆる「断捨離」をしていました。

それはおそらく実家の体質に起因しているのだと思います。

わたくしの母達三姉妹は「物が捨てられない人」
これは祖父の「物を大切にする人」とは似て非なるものなんです。
祖父はわずかな物を大切にしていましたが、母達三姉妹は物をどんどん買う。
だから小さな家には物が溢れ返っていました。
加えて整理整頓も苦手。
母の日課は「探し物」です。

ただでさえ古くて狭い家なのに物で溢れ返った様子は返って「文化的で健康的な生活」には思えませんでした。

古い物や不要になったものを見ると「この家の時が止まっている。滞っている」「流れがない」と感じ圧迫感を感じていました。
だから独立後は思いっきり物を減らして風通しを良くして最低限の愛用品で生きていました。

実はほんの数年前までわたくし食器をほとんど購入した事がなかったんですよ。
本当はテーブルウェアとか大好きで好みの物を揃えたりしたかったけれどわたくしと夫の両実家から「買ったけど使ってない」食器達を引き受けてしまい、その食器達を大切に使っていたからです。

近年割れたり欠けたりしてようやく自分の好みの物を揃えることができました。嬉しい。(涙)

自分で使いきれぬものは本当に買わないで欲しいものです。

・仕方ない時だってある

そうそう。それでもね、仕方ない時ってありました。
例えば病気の時や、お産の時です。
いずれ記事に起こすつもりではいるんですが、実はわたくし2回のお産で2回とも結構重度な「産後うつ」になりました。

その時は1日を生きるだけで必死なので母子の心身の、健康を思えば「近い将来不要になる」物とわかっていても購入するものが多かったです。
育児用品などもやはり一時的にしか使わないものが多いので大量の不要品が出ます。

だから産後うつの経過が少し良くなってからはリサイクルを活用していました。
地域の包括センターなどでは時々不要品の交換会が行われたり、掲示板でやりとりできたりしたので利用していました。最近ではフリマアプリも充実していますから時々利用しています。

環境は大事。でも心が壊れている時は無理をしたら元も子もないですものね。

・増やさない。けれど溜めない。家の中にフローを作る

わたくしの思う「文化的で健康的な生活」はむやみに物を捨てないという事ではなく「大切に使う事」そしてそもそも「物を増やし過ぎない事」「購入する時には不要となる時の事をよく考えて購入する事」などです。

購入する時に一旦手を止めて考えます。
「似た物や、これに代替できる物はないか?」
そして本当に必要性を感じたら購入です。

もちろん家の中には生活に不必要なインテリアなど沢山あります。
でもそれが自分の心を満たしてくれる愛すべき物ならいいんじゃないのかな。と、若い頃に最低限の生活をしてみて得た結論です。
わたくしおしゃれなインテリアとか大好きなんです。
家で過ごす時間も長いですから職場環境を良くすると考えれば多少のインテリアや植物はわたくしにとっては「必要最低限」の物に入るのです。

・実践  物を増やさない工夫とその生活

物って本当にすぐ増えてしまいますよね。
ひとたびお買い物に行って帰ってくるだけでものすごく物が増えます。
購入品だけでなく、包装紙や紙袋なども一気に増えますから。
最近はエコバッグを使用している方も本当に増えましたけどね。不要なものは無料でも頂かない。
これは物を増やさない上で大切な事です。

我が家はさほど広い家ではないですし収納も限られていますから、新しい物を購入したら古いものを同じ数だけ処分します。
逆にいえば必要になってから買いに行きます。

義母と同居している時、義母にはよく
「ヤヨイちゃんは買い置きをしないんだから…」とお小言を言われましたが(笑)
確かによく食品(調味料とかね)切らしていたから
向こう10年買い置き派 (ウソです大袈裟です笑)の義母からすると「準備不足」に感じたのでしょうね。
でもその義母がストックしていたトイレットペーパー
義母が亡くなった後もつい最近まで義父が使っていました。義母が亡くなったのは2017年です。

とは言え、今は災害や天災、戦争など不測の事態が起きる時代ですから多少の備えはした方がよい、と考えを改めて現在はローリングストックをするようになりました。ですが食品以外の物は基本的に「必要になってから買う」スタンスを保っています。

でも調味料だってなんだって「あっ!あれがない!」ってなった時「何で代用ができるかな?」と考えるのはゲーム感覚で楽しくないですか?
思考力、応用力か身に付くと思うんです。
(言い訳じゃないですよ笑)

正直、コロナの物資不足の頃もわたくし内心サバイバル感覚で楽しかった所もあります。
あれがないならどうすればいいか、毎日そんなゲームに参加している気分でした。

子供達にもクイズを出したことがあります。

①紙の原料となるパルプの不足でトイレットペーパーがありません。どうしますか?
→「ティッシュ使う~(子供ら)」
②紙の原料となるパルプの不足なのでティッシュもありません。どうしますか?
→「う~ん…要らなくなった紙とか使う?」
③いいね!じゃあその紙もなくなったらどうしますか?
→「えぇ~?!じゃあ…雑巾とかにする用のお古のタオルとか使う?」
④そうだね!穴が空いたり破けたりして不要になった洋服とかも使えるよね!じゃあそれもなくなったら?どうしますか?
→「えー!もう何もないよ。どうすればいいの?!」
⑤田舎に行った時、ティッシュの代わりに葉っぱで泥を拭いたの覚えてる?葉っぱも代わりにする事ができそうだよね!しかも植物は絶えることなく生えてくるし

いつも使っているものがいざなくなると思考停止!ではなく、何を代わりにできるのか考える思考力、応用力適応力を日々養いたいものです。

 ・我が家から消えた電化製品達…

不便さの中に探求する楽しみってあると思うのですよ。
「これがなくて困る」ではなくて「これがないから代わりにどうしたら良いのか考える」のが楽しみなんです。

「これ…代わりに使えるのでは?」と思い付いた時は本当にときめく ♪ そしてそれがうまくいくと尚楽しい ♪

不便を解消するためには沢山考えたり実証してみたり
それをもとに検証してみたりととても頭を使います。
それがゲーム感覚で楽しいのですよね。
それでは実際に「これはいらんな」となって消えていった物達のご紹介。

結婚当初買い物好きの義母がいるいらないに限らず何から何まで買ってくれました(笑)
それが10年も立つ頃には壊れ初め
「なくても暮らせるか」実証をしてみてこれはなくても大丈夫と判断したもの達です。

・オーブントースター
キッチンのお魚焼きグリルで代用可

・電気ポット
都度沸かすのはそんなに手間じゃない

・蒸し器
鍋で代用可

・炊飯ジャー
よくよく考えたらジャー(保温)機能を全く使用していないので炊飯だけならガスでもできる(ちなみに我が家では圧力鍋や土鍋で炊いています)

・コーヒーメーカー
サーバーで十分

です。


土鍋ご飯。
通常は圧力鍋で炊きますが時々土鍋で炊くとみんなテンションが上がります。メインは質素でも許される不思議(笑)



さすがに掃除機や洗濯機はないと大変だと思う。
けれど少し手間を掛ければなくとも問題ないものはそのまま買い換えず代用のまま暮らしています。

便利な世の中です。
その恩恵に預かって生きていいと思う。
わたくしも全く余計なものを買わないというわけではないです。
でも購入する時にはほんの少しだけ「本当に必要か、不要になったらどうするか」考える時間を取るだけで生活は少し変わるのではと思うのであります。

今回も長かったですね(汗)
お付き合い下さってどうもありがとう。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

それでは!

 Illustrator  トウド  ヤヨイ (^_^)ノThanks!☆





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