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原風景

神戸の下町。
高度経済成長期の吹き溜まりのような町。工場の粉塵と運河からただよう澱んだ水のにおい。

当時は公害指定区域で、空気はいつも濁っていたように思う。シュトルムに「灰色の町」という故郷を描いた詩があって、その詩に描かれた町と自分の住んでいた町を長い間重ねていた。詩をノートに写し、ことあるごとに開いて読んでいた。
町を南へ行くと地図上ではすぐに海なのだが、母の時代には歩いて泳ぎに行けたという砂浜は名残もなく、海沿いは大きな造船工場が占めていた。その工場の敷地を仕切る塀のわきには一本の木もない侘しい公園があって、滑り台のてっぺんから塀の向こうが見えないかと、背伸びして覗こうとしたものだった。存在するのに見えない海は子供の私にとって何か象徴のように思えて、嫌いだった学校や、昼でも薄暗いアパートの部屋で、明るい砂浜をふと思い浮かべるのが癖だった。

小2のある日。私はひとりでバス道と呼ばれていた国道を歩き、いつもは行き過ぎる、小さな本屋がある角を曲った。曲がったずっと先に、砂浜が見えた。瀬戸内の静かな波。陽光に光る砂の上に、子供用のバケツとスコップが転がっていたのを覚えている。でも私は気後れを感じて、憧れの海には近づくことなくそのまま引き返した。
……という記憶をずっと持っている。
でも、現実にはそこに浜はなかった。私の生まれる前から工場が建っており、本屋の前を曲がっても、ちまちました木造家屋の並びが見えるだけのはずだ。はずだと言うのは、確かめに行ってないからだ。知りたくなくて。
おそらくどこかで夢を取り違えたのだとはわかっているが、輝く砂浜の記憶は短い映像となって、灰色の下町との対比となって、ずっと私のなかにある。
夢だと決めたくなくて、いまだに保留したままでいる。

6年前にnoteで「創作をする土台にある風景とは」から書いた文で、観光地としてのイメージからほど遠い「ふるさと」の神戸です。昭和のモノクロ写真を見るようですね。灰谷健次郎氏の『兎の眼』や『太陽の子』を読まれたかたはちょうどあんなふうな町を想像していただければ正しいです(時代も地理的にも近いですし)。震災と復興を経て、当時の面影はもうほとんどありませんが。


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