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きゅーのつれづれ その22

木の実:

「だあれ?」
ブーコが語りかけたそいつは返事をしない。眠ってるんだ。
「きゅーちゃん、新入りさんをよろしくね。名前はまだないけど」
カオリはそう言って本棚の、ぼくのとなりにそいつを置いた。
「きゅーちゃん、それだあれ?」
ブーコがもう一度、今度はぼくに向かって問いかける。ぼくはアヒルだしブーコならブタだって言えるんだけど、となりのこいつは何者なんだか想像がつかない。黒い体にとがった耳。目と口は細くて、黒猫に似てはいるけど、猫じゃない。しっぽもヒゲもないし。
カオリはしばらく立ったままで、ぶつぶつと名前を考えていたけれど、どれもしっくりこなかったらしくて、首を振るとキッチンに向かった。かみなりさんと会った日に連れてきたのだから、きっとかみなりさんからの贈り物なんだろう。
「シンイリっていうのが名前なんじゃないの?」
「違うよ。まだ名前がないってカオリが言ってたろ」
シンイリさん、かわいそうねとブーコがつぶやく。ぼくたちが名付けたってそいつは目を覚まさないんだけど。

カオリは最近、仕事が忙しいんだって。朝早くから夜遅くまで出かけてばかりだ。真夜中まで机に向かってたりする。学校に行ってた頃よりずっと熱心に。新入りに名前を考えるひまもないんだ。だから部屋は散らかしっぱなしで、アイロン待ちの服が椅子の背にどっさりかかったまま、キッチンのシンクには食器を重ねたまま、勉強のために本を広げたまま、今日もテーブルの横でうたた寝してしまっている。ぽたん、と十秒ごとに水の落ちる音がするのは、キッチンの蛇口をきちんとしめていないせいだ。ほら、また。

 ぽたん……

水の音に反応したみたいに、本のページがぱらりとめくれた。すると次のページとページのあいだから、何かがにょろりと生えていた。それは丸くふくらんだと思ったら、ぱちんとはじけて、ふたつの白い葉っぱになった。双葉のかたちはちょうど広げっぱなしの本みたいだ。
と、ふたつの葉っぱのあいだから、今度はするすると白い茎が伸びてきた。上に上にと伸びて行き止まりになると、部屋の天井を突き破った。ばこんと変な音がして、大きな穴があいた。夜空が見える。
「うわあ」
ブーコにとっては初めて見る夜の空。丸いお月様と星空だ。
本の上では、文字が虫のようにもそもそと動いていた。どの文字も本の中央をめざし、そこから茎に吸い上げられていった。文字を食べた茎はじゅうぶんに太ると、今度はたくさんの枝を四方へ広げ、枝の先にぽんぽんと実をつけた。最初はピンポン球くらいだった実はぷくぷくと丸くふくれて、鈴なりになった枝が重さにしなった。
びゅうんと大きな風が吹き込んで、シンイリが本棚から落ちて床に転がった。ぼくはびっくりした。穴を囲んで、夜の鳥たちがおおぜい集まっていたんだ。天井から部屋をのぞき込んでる。木の実を狙ってるんだ。鳥たちは茎を囲んでケンカを始めた。激しい鳥たちの羽音に、ブーコはおびえた。カオリが肩をぴくりとさせたけれど、目覚めた様子はない。
パチパチと何かを鳴らす音に、鳥たちが動きを止めた。雨が屋根を打つような音だったけど、空には変わらず月と星が光っている。パチパチはさらに近づいてきたので、ああこれは拍手の音だ、とぼくにはわかった。鳥たちは手をたたく音が苦手なのか、次々に飛び去っていった。
「まったくもう」
その声にぼくとブーコは胸をなでおろしたのだった。

カオリが目を覚ました時には、空まで伸びていた茎は縮んで本の中に帰っていた。天井ももうふさがっていた。空が見えなくなったとブーコは残念がった。さっきは怖がってたくせに。
カオリは落ちていたシンイリを見つけて拾い上げると、おそるおそる抱きしめた。シンイリに向かって話そうとするのだけど、うまく言えないのか、少し困り顔で棚の上に戻した。そして代わりにぼくを抱き上げると、ちょっとだけ口元がゆるんだ。それを見てぼくもほっとした。

ノックの音がして、ぼくを抱いたままカオリがドアを開けた。ミズノさんだ。
「こんばんは」
果物かごを抱えてる。あのあと、ミズノさんが腕を伸ばして木の実を全部もいだんだ。
「これね、たくさん取ったから、カオリちゃんにもあげる」
「あ、梨狩りに行ってきたんですか?」。
ミズノさんはふふふと笑って、いたずらっぽく言った。
「ううん。知恵の実よ」

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