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風切羽

鳥の王がいなくなったとき? ああ見てたよ。
にっくき影の鳥が氷漬けになった姿を拝みに、はるばる北の湖まで行って来たんだ。誰を誘っても嫌だって言うから、ひとりで行ったが、見物に来てたのは俺らカラスくらいだった。ほかは見張りをやらされてたもとヒトばかりだ。
湖の氷がやっと溶けて、影の鳥を陸に上げるのに、もとヒトたちが水に入ってた。そんなのは水鳥の仕事なのに、押し付けられたんだろうな。タカやワシもいるにはいたけど、見るからに怖じ気づいてた。

影の鳥の様子?
あいつが本当に影の鳥だったのかね。信じられないほどにくたびれてた。たしかにあんな鳥は見たこともない。凍っていたせいで羽根も皮も朽ちちゃいないんだが、空を飛んでた頃の……おっかない力が見えないんだよ。でかいだけのただの鳥だ。皆同じことを思ったんだろうな。どうしようもないふうで、岸に上げたそいつを囲んでいた。そうしてるうちに、森のほうがざわついた。森を抜けて、一羽の鷲が現れたんだ。俺をふくめて皆が息を止めた。鳥の王だ。王を遠目に見たことがあるって、前に話しただろ? それに、誰だって会えばわかる。王がいる場所では、風が変わるんだ。もとヒトのおまえにだってわかる。

王は、半分凍っているそいつのからだを検分した。そして顔を上げると、これは影の鳥に間違いないと宣言した。太古の昔から生きている王は、影の鳥の正体をも知っていたってわけさ。それで皆ほっとしたんだが、王はまだ影の鳥に顔を寄せたままだった。何か話しかけてるみたいだった。
そのときだ。影の鳥がぴくりと動いたのは。
冬の間じゅう氷漬けで生きていられるはずはないのに、濡れた羽がびくびくと震えて、ねじ曲がった長い脚が動き出した。皆は一斉に飛びのいた。悲鳴をあげて、飛んで逃げるやつらもいた。

「治まれ」
王の声に空気が揺れた。「我が連れてゆく。我がひとりで葬ってくる。供はいらぬ。ついて来るな」
誰も王の言ってる意味はわからなかった。けど、どっちみちお供したいってやつなどいなかった。王はうごめいている影の鳥に背を向けると、そのまま歩き始めた。ゆっくりと。すると、影の鳥が立ち上がったんだ。ぐしょ濡れで痩せ細った体を引きずるように王の後ろについていった。まるで王に繋がれているかのようにさ。影の鳥が一歩進むごとに羽根は抜け落ち、痩せた体がますます細くなっていった。俺たちは驚きと怖ろしさで声も出せず、じっと王と影の鳥を見送ってた。だがそこで俺は思った。誰かがついて行くべきだ。鳥の王が襲われたりはしないか(あの様子じゃその心配はなかったろうがね)。影の鳥がたしかに死ぬまでを、誰かが見ておくべきじゃないか。と、まあ、俺の好奇心が我慢できなかったってわけさ。だから俺はかなりの距離をとって空から跡をつけることにした。影の鳥が落とす羽根を追って行けば簡単だったんだが、実のところ王には気付かれていたろうな。何もない荒野じゃ身を隠すものもないからな。

王たちは湖のさらに北、荒れ地まで来た。歩く速さに合わせて飛ぶのはずいぶんと疲れた。そりゃあだって、影の鳥はもう飛べなかったからな。そのときには羽根はほとんど失われて、皮ばかりの裸だった。影の鳥も羽根の下は黒くなかったよ。
知っているか? 荒れ地の果てに鳥の道があるっていう言い伝えを。大昔の道が隠されているっていう。
(ははあ、鳥の国の外へ捨てるためにここまで来たんだな)
そう考えたとき、王が突然立ち止まった。ぼろぼろになった影の鳥に向き合い、鷲の翼を大きく広げると、鋭くなぎ払った。影の鳥はあおられてふらつき、その落とした羽根は舞い上がり、黒い渦となって俺の視界をふさいだ。渦が去ったときには、王も影の鳥も姿を消していた。
だから王たちがどこに消えたのか、はっきりとは見てないのさ。だが太古の道へ向かったのは間違いない。いまだに王が戻らないのは、遠すぎて時間がかかっているんだろうよ。

心配はない。影の鳥はもういない。暗い時期は終わって、これからはだんだん暖かくなる。つがいになるのにいい季節だ。そうだ。一緒に卵をもらって、俺たちもつがいになろう。


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