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遠足

昼の月は、雪に照らされて仄白い。毎夜月を映していた湖は、氷に蓋されて黙りこんでいる。
初めての冬をむかえる若い鳥たちは、白く塗りかえられた世界に圧倒されていた。つんと冷えた空気も、透明な静けさも、この地ならではだ。
どさり、と雪の塊が落ちた。続いてまたひとつ、ふたつ。トビたちが枝から枝へと雪を落としてまわっているのだった。ほかの鳥たちも木の枝に積もった雪を食べてみたり、地面の雪に頭を突っ込んだり。水鳥たちは湖面でスケートを楽しんでいる。初めての鳥も老いた鳥も、ここへ来るとはしゃぎ出す。文字通り羽を伸ばして遊べる、冬の遠足だ。僕は凍った草をシャリシャリと鳴らすのが好きなので、水際の草を踏むのに夢中になっていた。
ずっと聞こえていたにぎやかな声が急に止んだ。顔を上げると、湖の上に皆が集まっている。あの辺りはまだ完全に凍っていないのでは。注意しに近寄ると、鳥たちが氷の一点を見ていた。
「変なんだ」
カケスが僕を見つけて言った。
「ここらだけ氷が黒い」
「濁ったことない湖なのに」
「魚の群れなんじゃないの」
白鳥たちが首を交互に伸ばしては正体を確かめようとするが、氷ごしでははっきりとは見えない。たしかに水の中が黒い。それもかなりの広さだ。水の濁りでないなら何かが沈んでいるのだろう。白鳥の言うように魚の群れが凍りついていることもあるが、そしてそれは雪解けの頃には皆のご馳走となるのだが、残念ながら魚ではなさそうだった。僕は皆を下がらせて、黒い塊の全体を見ようと飛んだ。空から見下ろした黒い影は、意外な形だった。
「影の鳥」
ぼそりと誰かが口にした、その言葉に鳥たちは一瞬で黙りこみ、ばさばさと湖から離れた。さっきまでのけらけらとくつろいでいた空気はもうない。
「影の鳥だって?」
鳥の国の空に時おり現れる巨大な鳥。太陽をさえぎり国に闇を落とし、鳥たちを脅かしてきた黒い影。
「死んでるの?」
ヒタキのおびえた声。
「氷漬けになってるんだから、おそらくはね」
カモの兄妹が僕の両羽を引っ張って、この場を去ろうとせっつく。
「まだ完全に凍ってないんなら、生き返るかもしれないよ!」
生き返る?
よほどのことがない限り、鳥の国では鳥たちは死なない。死ぬときは鳥の国の外で。それが掟だ。もっとも影の鳥がこの掟に縛られているとも思えないけれど。
僕とカモ以外、もうほかの鳥たちは逃げ出して誰もいなくなっていた。湖は静けさを取り戻した。

その日のうちに塔へと飛び報告をすると、このことはただちに浮き島に伝えられた。
表沙汰にするなと口止めをされたが、水鳥たちがすでに片端から言いふらしたあとだった。影の鳥を見つけたのは不吉だが、死んで見つかったのだとすれば鳥たちにとってこの上なくいい知らせなのだ。黙っていられるわけがない。しかし真実を確かめようと自ら出向く者はおらず、王から遣わされた視察隊を案内したのは僕だけだった。視察隊は湖の上空をうろうろと飛び、判断をつけられぬまま、春の雪解けまで監視を続けることが王の指示だと言った。僕はその場で見張りを言いつけられ、翌日複数の見張りが送られてきた。全員がもとヒトで、いろんな仕事場からの寄せ集めだった。
春になるまで氷は溶けない。冬の間ずっと見張り続けろとはきつい命令だった。寒いし食べ物を探すのに骨が折れる。それに退屈だ。雪遊びはたまのことだから楽しいのだ。見張り番の僕らは湖のほとりに集っておしゃべりをした。水中に眠る黒い影を見やりながら。

「ほんとうに影の鳥なの」
毎日同じ問いを誰かが発する。
「引き上げないと決められないんだろう」
誰かが同じ答えを返す。
「俺たちだけじゃこんな大きなもの引き上げられないぞ」
「大型の鳥たちが怖がらずに来てくれるといいが」
「沈んでるなら水鳥たちの助けもいるわよ」
「なあ」
ある日、雲吹きが言った。
「俺は雲吹きだから空をいつも見ていて、だから影の鳥を見かけることも多かったんだ。そのたびに思っていたんだが」
「何を」
「鳥たちはもれなく影の鳥を怖れるのに、どうして俺たちはそれほどでもないんだろうか」
僕らは顔を見合わせた。
雲吹きは続けた。
「影の鳥も、もとヒトなんじゃないか」


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