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カサンドラだった私が自殺を考えた日々

こんにちは、夫が発達障害と気づかず10年間 酷いモラハラに苦しんだカサンドラサバイバー 雅胡です😊

貴女はいつ頃旦那さんの発達障害を知りましたか?
筆者は結婚して10年が経ってから。お付き合いをしている頃には全く、微塵も違和感を感じることはありませんでした。彼に対して違和感を感じ始めた以降のことは別記事でおいおい書いていきますが、まぁとにかく毎日毎日 ストレスを感じない日はありませんでしたね。
夫の発達障害がわかるまでの10年間余り×365日=ざっくり3650日の間、
それはそれは日々ストレスにさらされていたわけです。

|愚痴をこぼすのは良くないこと?

皆さんは夫婦間のストレスについて誰かに話すでしょうか。家族の恥部と感じたり、夫の名誉もあるし、、と考え全てを飲み込んでいる方もいらっしゃるでしょう。
そして、そういった我慢強い方は鬱状態になられているかもしれません。筆者は、会う友達全員どころか、家に来る業者さんにまで、言わずにはいられないほどのストレスがたまっていて、口にする量に差はあるものの会う人 ほぼすべての人に何かしら夫の愚痴をこぼしていました。

当時は夫が発達障害であるなど露も知らず、発達障害の特徴である
👉 毎日ささいなことで激昂する夫に怒鳴られ (こだわりとパニック)
👉 家計は彼に握られ独身時代の私の貯金も管理され(金銭感覚)
👉 顔を合わせている間中 彼の俺話と他者批判を聞かされ(強固なマイルール)
👉 終わりの見えない弾丸トークに耐え (口多動)
👉 彼の希望は全て叶えないと許されない生活(自分が絶対正しいという揺らがない感覚)
だったので、その苦しさを誰かにわかって欲しい気持ちや夫への怒りが溢れていました。

どの友達にも、会う度 会う度、必ず夫の愚痴をこぼしていました。
どれだけ彼がひどい人なのか、理不尽に怒鳴りまくるのか、私がどれほど大変な思いをしているのかを言わずにはいられず、誰かにわかって欲しくて、友達なら夫のひどさをわかってくれるんじゃないかと、心の中でほんの少し期待をしていたと思います。

でも友達から返ってくるのは「男なんて皆そうよ」「うちは職場の話をしてくれないから真央さんのところが羨ましい」「専業主婦でいられるんだから、少し威張るのくらい我慢我慢」「旦那の愚痴を聞くのが奥さんの仕事だと思って」

友達も旦那さんが趣味にお金を遣ったりすると怒っていたけれど、数百万単位で使う人はいなかった。
妻の携帯は月1万弱の支払いが無駄だからと解約をして、自分は30万円の腕時計を買う旦那さんはいなかった。
朝 目が開いた瞬間から家を出る瞬間まで、帰宅して玄関を入った瞬間から眠りに落ちるまで絶え間なくしゃべり続ける旦那さんはいなかった。
それでも友人たちは「払えるお金を稼いでくるんだから凄いわ」
「雅胡ちゃんが聞き上手だから旦那さんも嬉しくて喋っちゃうのね」
「雅胡ちゃんのことが好きで仕方ないのよ、羨ましい」と言われる。

そじゃない! 違うよ、、、皆の旦那さんとは何か違う、、、、
話しても話しても気持ちがしっくりくることはなく、わかってもらえたと感じることは1度もなかった。
そのうちに友人たちが私の愚痴から話をそらすようになったり、会うことを避けるようになりました。

|話してはいけないことなのだと思い知った日
それでも私は自分の感情が抑えられませんでした。
辛抱強く会ってくれていたであろう友人には懲りずに愚痴をこぼしていたのですが、ある時 特に仲の良かった友人が「旦那さんは雅胡ちゃんのことが大好きなのに、そんなふうに言われて可哀想」と泣いたのです。
私を毎日 鬼の形相で怒鳴りつけ、延々と職場の同僚や友人の批判をしまくり、家電がないのに私の携帯電話は不要だと解約し、自分は趣味に何百万も投じ、数十万円の物も「僕は働いている」と言ってポンポン買う夫なのに、彼が可哀想だと。。。。

何をどう説明しても、むしろ、わかってもらおうと必死に説明すればするほど、私は意地の悪い妻で夫は可哀想な旦那さんになる。
そして、旦那さんの悪口が途絶えることのない私は一緒にいても楽しくない人になる。
誰だって愚痴三昧の人を誘いたくはないし、執拗に旦那さんの悪口を言っていたら身勝手で性格の悪い妻に映るのは当然のこと。
友人を失いたくなければ、信頼に値する人間でいたいのであれば、夫のことを話してはいけないのだと思い知りました。


|追い詰められて自殺を考える
夫の転勤に帯同していた私は家族も気心知れた友達もいない場所で、たった一人の家族である夫の恫喝に疲弊し激しい孤独感にさいなまれました。

「今日、僕のシャツの襟が立っていたよ!君が言わないから僕は恥をかいたよ!」
「洗濯機の元栓が住まっていない!」
彼の計算間違いなのに正しいと言い張り「君の脳みそはおかしい!!!」
など家でも公衆の面前でも恫喝され夫の激昂ポイントが理解できず、激昂後は何事もなかったように延々と自分の話や他者批判を1日中続ける夫に疲れ果ていました。
けれど私たちは再婚同士だったため、離婚をしたら親や姉妹、成人しているとはいえ子ども達に心配をかける、、、そう思うと離婚を口にすることも出来ず、明日が見えず、死んだら楽になれると毎日死ぬことしか思い浮かばなくなっていきます。
そして、人生を終わりにすること以外考えられなくなり、一生懸命生きてきたのに最後がこんな終わり方で申し訳ないと子ども達に心で謝りながら覚悟を決めたのです。
でも、運悪く失敗に終わりました。

今 私はあの時の失敗に心から感謝しています。
私が命を粗末にしたら子ども達が不憫ではないか、幸せになってやろうじゃないの!と気持ちを変えることが出来たからです。
そしてあれから10年以上が経った今、驚くなかれ、死を願うほど憎かった夫と笑って暮らしています。
手をつないで散歩をしています。
誕生日や結婚記念日、母の日にまで花束が贈られ外で食事を楽しんでいます。
口多動にだけは時々頭がクラクラしますが、怒鳴られることも、お金を牛耳られることもなくなりました。運転中以外は他者批判もほぼなくなりました。
発達障害の特性があっても、夫婦にとって適切な行動を習慣化してしまえば継続できるという特性に我が家はたどり着いたのです。
もちろん、それは簡単な道のりではありませんが、トライ&エラーを繰り返し、時に心折れ、また前を向く作業を繰り返しながら少しずつ少しずつ私たちの道が作られてきました。

|貴女には必ず未来があります。だから人生を諦めないで!
カサンドラ症候群になる人たちは、誰もが大きな孤独を感じています。
かつての筆者が離婚に踏み切れない状況であったように、今この時間、未来が見えない今日を過ごしている方もいらっしゃるでしょう。
それでも人生を諦めないで。必ず笑える日がきます。

筆者はいま、夫とのパワーバランスも逆転し夫が怒鳴ることはなくなりました。
お金も使えるようになりましたし、自分の意見も言えるようになり 夫もそれを聞き入れるようになりました。
ここまで来るには多くの工夫や対峙、挫折がありましたが、一番大きかったのは『私自身の想いが変わったこと』『発達障害を理解しているという思い込みに気づいたこと』だと思います。

筆者が心理士で知識があることと、スクールカウンセラー時代に軽度発達障害の子ども達支援をしていた経験から夫への対応を見直せたわけですが、それと同時に自分自身の覚悟も同じ分量で必要でした。
その2つの車輪があれば必ず未来は変わります。

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