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東大世界史2019第1問解説

こんにちは、ねこです!
今回は東大世界史2019の第1問を解説したいと思います!
2020の第1問ほど解答に差が出る問題ではありませんが、ぜひ比較しながら勉強していってくださいね!

1 問題の実際と予備校の解答速報
今回扱う問題は以下のとおりである。

 1989年(平成元年)の冷戦終結宣言からおよそ30年が経過した。冷戦の終結は、それまでの東西対立による政治的・軍事的緊張の緩和をもたらし、世界はより平和で安全になるかに思われたが、実際にはこの間地球上の各地で様々な政治的混乱や対立、紛争、内戦が生じた。とりわけ、かつてのオスマン帝国の支配領域はいくつかの大きな紛争を経験し今日に至るが、それらの歴史的起源は、多くの場合、オスマン帝国がヨーロッパ列強の影響を受けて動揺した時代にまでさかのぼることができる。
 以上のことを踏まえ、18世紀半ばから1920年代までのオスマン帝国の解体過程について、帝国内の民族運動や帝国の維持を目指す動きに注目しつつ、記述しなさい。解答は、解答欄(イ)に22行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

 アフガーニ一 セーヴル条約 ミドハト憲法 ギュルハネ勅令 日露戦争 ロンドン会議(1830) サウード家 フサイン=マクマホン協定

では、予備校の解答速報はどのようになっているのだろうか?
〈K〉
18世紀半ばにアラビア半島で復古主義を説くワッハーブ派がサウード家と結び,ワッハーブ王国を建国する一方,ロシアにクリミア半島を奪われた。ナポレオンのエジプト遠征を機にエジプトでムハンマド=アリーが自立し,民族主義の影響を受けたギリシアは,英仏露の支持でロンドン会議で独立した。オスマン帝国はギュルハネ勅令でタンジマート改革を開始し,法の下の平等を保障するオスマン主義でバルカン諸民族の分離を阻止しようとした。クリミア戦争以降の外債累積で財政が破綻し,さらにギリシア正教徒の保護とパン=スラヴ主義を唱えるロシアの干渉でバルカンの民族運動が活発化すると,オスマン帝国はミドハト憲法を制定して立憲君主政を目指した。アブデュルハミト2世は,露土戦争が勃発すると憲法を停止して専制体制を復活し,ベルリン会議でセルビアなどバルカン半島のキリスト教地域が独立すると,アフガーニーが説いたパン=イスラーム主義を利用して内外のムスリムを統合しようとした。日露戦争の影響で青年トルコ革命が起こり立憲政は復活したが,ブルガリアは独立し,伊土戦争やバルカン戦争で領土が縮小すると,政権内でパン=トルコ主義が強まった。アラブ人などの反発が強まるなか,第一次世界大戦でイギリスはフサイン=マクマホン協定でアラブ民族主義を,バルフォア宣言でユダヤ人のシオニズムを利用した。敗戦により締結されたセーヴル条約では英仏が非トルコ人地域を委任統治領として分割し,パレスチナ問題やシリア内戦など現代の諸問題を準備した。その後,オスマン帝国はトルコ革命で滅亡した。

調べたところ、これしか見つからなかったので、ここではこの解答だけ比較対象として載せておく。確認していないので断定はできないが、赤本や青本もこの解答とさして変わらないレベルであろう。

2 解説・解答を作成する上で意識したこと
さて、前回同様意識したことをご説明する。

[1]抽象論中心で書くということ。
先ほど読んでいただいた解答速報からも分かるように、赤本や予備校の解答は具体の羅列で終わってしまい、文章がベチャっとしているのである。おそらくそれは東大世界史を以下のように解釈しているからであろう。

「東大世界史の解答を作成する際は、指定語句を説明・使用するだけでは不十分である。書くべき具体をもっと自分で探し、できる限り多く解答に反映させなければならない。」

もちろん、このような解釈もあり得るだろうし、実際にどのような答案に高得点が与えられるかは分からないので、この解釈が間違っているなどと断定することはできない。
ただ、私はそうではなく、以下のように解釈している。

「そもそも600字程度の記述で具体を書ききることなど不可能なのだから、具体をひたすら解答に書こうという意思は捨てるべきである。中心に書くべきなのは抽象で、具体は指定語句の内容のみに限定すべきである。」

前回の2020の解答を見ていただいた方ならお分かりかと思うが、今回もこの解釈の下、解答を作成している。

[2]教科書に書かれている記述を中心に抜き出すということ。
大前提として、この入試問題を課されているのは受験生である。したがって、受験生に書けるレベルで解答・解説を作成しなければ意味がない。ネットには、大学で使用するような専門書などに書かれた記述を参考に解答を作成し、ドヤっているものも存在するが、それをしたところでどれだけ受験生のためになるのであろうか?(それが許されるのであれば、私もそのように解答を作成したい笑)
だからこそ、前回同様に今回も、教科書に書かれている記述をできる限り抜き出す形で解答を作成した。教科書を塊で覚えていれば書けるものになっているのである。ちなみに、今回は帝国書院8割、東京書籍2割で作成した。

[3]解答ありきではなく、解答プロセスを重視すること。
これに関しては『東大世界史2020第1問』のほうでお話ししたので省略する。

3 解説
① 大枠について
では、解説を始めていこう。(なお、すでに問題文、指定語句、史料には目を通し、どういうことを書いているかある程度理解していることを前提とする。)

まずは設問の要求から大枠を考える。
1920年代までのオスマン帝国の解体過程について書かなければならないわけであるので、最後はトルコ共和国の成立でオスマン帝国が滅亡した、という内容になりそうだ。ここはおそらく受験生であれば誰でも分かることであろう。

そしてただ解体されたことを書くのではなく、帝国内の民族運動や帝国の維持を目指す動きに注目しなければならないようだ。つまり、帝国の解体に対抗する動きを考える必要があるということだ。ただ、我々は最終的にオスマン帝国が滅亡することを知っているので、「対抗→失敗」という構造でこの問題の解答が出来上がると推定できる。
では、「対抗」の大枠として何を書かなければならないのだろうか?
実はこの時点で思い出さなければならない内容が存在する。
それが以下の内容だ。

世界史オスマン

イスラーム世界ではさまざまな民族や宗教が共存していたが、近代にはいり西洋と出会う中で、どのような形で近代国家をつくるべきかが模索された。
「領土」を重視する場合、オスマン帝国の臣民すべてをオスマン人とし、宗教の違いなく平等に扱おうとした。
「民族」を重視する場合は、トルコ人・アラブ人など、民族的なつながりを強調し、同じ民族であれば宗教が違っても同じ民族の同胞とされる。
これらに対して、再び「宗教」によるつながりを強めて近代的なイスラーム国家をつくろうとする考え方が、パン=イスラーム主義であった。
「領土」「民族」「宗教」をめぐる考え方の違いは、中東では現代にいたるまで大きな争点となっている。(帝国書院p238 Key Word)

つまり、「対抗」における考え方は大きく分けて3つ存在し、それぞれのもとで具体的な歴史が生まれていったのである。これはどう見てもこの問題における軸となる抽象であろう。Kにも一応これらの考え方が入ってはいるが、これらをもっと抽象の軸としてアピールする解答でなければ、解答を読んでもこの構造は見えてこない。実際、Kの解答はベッタリしていたわけである。
後は、これらの3つの軸の下で、どのような具体的事例が起きていったのかを思い出していけば良い。

② 前提について
当然改革が必要になるということは、前提としてオスマン帝国が解体され始めていなければおかしい。現状に何も問題がないのに、理想を創造することなどできはしないであろう。物事は現状に課題があって始まることが多い。これは歴史においても同様である。
そういう意識で教科書を見ると以下のような記述が見つけられる。

ヨーロッパに対して軍事的劣勢におかれ、また、国内では~地方勢力も、オスマン帝国からの自立をめざした。このため、オスマン帝国では改革の必要性が認識されるようになった。
(帝国書院p203)

したがって、解答はこの記述を活用してスタートさせていく。
では、この記述は具体であろうか?それとも、抽象であろうか?
西洋に劣勢におかれたということも、地方勢力が自立をめざし始めたということも明らかに抽象であろう。ゆえに、ここに具体が添えられているとより分かりやすくなるし、説得力も高まる。
では、具体としてどんな内容を書けば良いであろう?
西洋の劣勢、地方勢力の自立それぞれの具体として使えるものが実は指定語句の中にある。
前者がロンドン会議、後者がサウード家である。

ロンドン会議は1830年に開催されたものであるが、これはオスマン帝国から独立しようとしたギリシアによって仕掛けられた戦争にオスマン帝国が敗れた延長線上にあるものである。ギリシアの後ろには西洋の強国たちがついていたわけなので、まさにこれは、オスマン帝国が西洋に対して劣勢にあるということの象徴であろう。

また、サウード家はワッハーブと連携してワッハーブ運動を起こしたことから、早い段階から独立を目指していたと言っても無理はない。

よって、これらの指定語句をできるだけ少ない字数消費で使いつつ、上記の教科書の内容を解答に書けば「前提」が完成する。

〈解答プロセス〉
1.「対抗」の内容をいきなり書くのでは不自然であると気が付き、それを解決するために前提を記述する必要があると考える。
2.教科書の抽象を思い出し、これを前提の軸に据える。
3.抽象を分かりやすく説明する形で指定語句が使用できることに気が付き、それも解答に反映すると同時に、そういう形で指定語句が消費できたことから、解答の方向性が正しいことを確認する。

③ オスマン主義について
さて、前提が書けたらいよいよ「対抗」の具体に入っていく。
オスマン主義、つまり、全臣民を平等とする考え方が反映された具体的な改革は何だったか、ということを意識しながら解答を考える。教科書には以下のような記述がある。

本格的な改革は1839年のギュルハネ勅令によって始まった。1876年まで続いたこの改革はタンジマートとよばれる。ギュルハネ勅令ではムスリム・非ムスリムを問わず全臣民が平等であること~が明示された。(帝国書院p204)

しかし、日本の明治維新のような経済改革を行うことはなく、オスマン帝国はこの時期にヨーロッパを中心とする資本主義経済に組み込まれていった。(帝国書院p204)

オスマン帝国の知識人たちはこのような危機に直面して西洋的な国民国家をつくり出す必要性を学び、立憲制を目指すようになった。1876年には~最初の憲法(ミドハト憲法)が発布された。この憲法は、~オスマン主義に立脚していた。(帝国書院p204)

つまり、最初はオスマン主義の下で改革が開始され、経済改革の不十分性を原因とする西洋の資本主義経済への従属に対抗すべく、ミドハト憲法をつくり出したというわけだ。ちょうどギュルハネ勅令とミドハト憲法が指定語句の中にあるので、ここからこの2つの語句はオスマン主義の具体として使えば良い、ということが分かった。

ではこの改革は成功したのであろうか?もちろん、成功していない。
教科書には以下のように書かれている。

議会の政府批判を嫌ったアブデュル=ハミト2世によって、1878年の露土戦争中に憲法は停止され、第一次立憲期は短命に終わった。(帝国書院p204,205)

当然改革だけを書いて話を終わらせてしまうと、その改革が最後まで成功したかのようにみられかねない。それを避けるためにも、最後は上記の内容を踏まえた記述をし、「抵抗」が失敗に終わったことを示さなければならない。

〈解答プロセス〉
1.オスマン主義を抽象の軸として据える。
2.これをもとに行われた具体的な「抵抗」がないかを思い出す。
3.調度2つの指定語句とも対応するので、ここで解答の方向性が正しいことを確認する。
4.改革が失敗に終わったこともきちんと書いて、オスマン主義の具体を締める。

④ パン=イスラーム主義について
歴史は当然連続であるので、記述もできる限りそれを反映したものにしたい。先ほど憲法を停止したアブデュル=ハミト2世はどんな考えのもとで「抵抗」しようとしたのであろうか?
それが、パン=イスラーム主義である(指定語句のアフガーニーは言うまでもなく、このパン=イスラーム主義の修飾に使うことになる)。アブデュル=ハミト2世のところで、教科書には以下のような記述を思い出したい。

オスマン帝国では短い第一次立憲期のあと、アブデュル=ハミト2世の専制的な政治が~続いた。このスルタンは、パン=イスラーム主義などによってオスマン帝国の劣勢をくつがえそうとしたため、国外ではイスラーム諸国民から大きな支持を得た。(帝国書院p239)

したがって、パン=イスラーム主義に関しては上記の内容を中心に記述をすれば良いだろう。ただし、アブデュル=ハミト2世と書くのは字数がもったいなすぎるので、スルタンと表現することにする。

では、この「抵抗」は成功したのであろうか?もちろんこれも失敗に終わっている。具体的には以下のとおりである。

専制に反対し憲法の復活を求める人々は、日露戦争での日本の勝利やイランでの立憲革命に鼓舞されて、1908年に政権を握った(青年トルコ革命)。この革命は~オスマン主義に立脚していた。(帝国書院p239)

つまり、専制に反対して憲法復活を求める人々が革命を起こし、政権を新たに握ったことでアブデュル=ハミト2世の「抵抗」は失敗に終わるわけである。なぜそれに至ったかというところで、何かに鼓舞された面があるわけだが、その具体としての日露戦争が指定語句にあることから、解答の方向性が正しいことを確認できる。(彼らを鼓舞したのは日露戦争だけでないというニュアンスも「など」という言葉を用いてきちんと解答に反映すること)
なお、この革命はオスマン主義に立脚していた、とあり、できればこれも書きたいのだが、字数の都合上、今回は記述していない。
〈解答プロセス〉
1.前回の「抵抗」の失敗がアブデュル=ハミト2世によってもたらされたことから、歴史の連続性を意識し、次はこのスルタンが別の考え方のもと、「抵抗」を開始したのではないかと考える。
2.教科書の記述から、パン=イスラーム主義の具体がここで記述すべき内容であると判断する。
3.当然この「抵抗」も失敗したのであろうと考え、革命政府に変わったことを書く。ここで日露戦争という具体が指定語句にあることから解答の方向性が正しいことを確認する。

⑤ トルコ民族主義について
さて、残り一つとなった。
パン=イスラーム主義に基づくスルタンの「抵抗」は革命政府の誕生で失敗に終わったわけであるが、その革命政府はどのような考えで「抵抗」しようとしたのであろうか?

革命政府はオスマン帝国の存続をはかるために、急速な中央集権体制の強化に努めた。その過程でオスマン主義にかわって、トルコ人意識にもとづくトルコ民族主義がしだいに強まり~(帝国書院p239)

新政権はパン=トルコ主義をかかげてトルコ人の団結を求めた~(東京書籍p320)

トルコ民族主義とパン=トルコ主義はどちらを使っても良いであろう。そこは大きな問題ではない。要は、トルコ民族主義の具体としては、革命政府の「抵抗」が挙げられるわけだ。

では、この「抵抗」はどうだったのか、というと、当然これも失敗している。教科書には以下のように書かれている。

これに触発されて、帝国支配下のアラブ地域ではアラブ民族主義が育つようになった。
(帝国書院p239)

帝国内の非トルコ系民族の反発を招き、それを利用した列強の干渉も強まった。こうして、ブルガリアの独立、オーストリアによるボスニア=ヘルツェゴヴィナの併合、イタリア=トルコ戦争、バルカン戦争などがあいついでおこった。(東京書籍p320)

このトルコ民族主義が一因となって、他の民族もその意識を高めはじめたわけだ。後者のような争い、言い換えれば、「ヨーロッパの火薬庫」の延長線上に第一次世界大戦があることはご存じのことと思う。では、「帝国内の非トルコ系民族の反発を招き、それを利用した列強の干渉も強まった」という部分の具体は何か見当たらないであろうか?
帝国書院のほうで「アラブ」と触れられているのもある意味でヒントかもしれない。

そう、指定語句の「フサイン=マクマホン協定」である。これこそまさに、トルコ民族主義が非トルコ系の民族意識を高め、それを利用する西洋の干渉を強めたことで生まれたものであると言えよう。ただし、これが結ばれたのは第一次世界大戦中なので、それは上手く反映しなければならない。
何が言いたいかというと「トルコ民族主義が非トルコ系の民族意識を高め、それを利用する西洋の干渉を強めた結果、第一次世界大戦を引き起こした。フサイン=マクマホン協定はその例である。」と書いてはいけない、ということだ。
詳しくは実際の解答を見てほしい。

〈解答プロセス〉
1. 前回の「抵抗」の失敗が革命政府によってもたらされたことから、歴史の連続性を意識し、次はこの政府が別の考え方のもと、「抵抗」を開始したのではないかと考える。
2. 教科書の記述から、トルコ民族主義の具体がここで記述すべき内容であると判断する。
3. この「抵抗」が失敗に終わり、第一次世界大戦につながっていくことを書く。指定語句のフサイン=マクマホン協定で解答の方向性が正しいことを確認する。ただし、使い方に注意する。
 
⑥ 第一次世界大戦の敗北、そして現代へ
ご存じの通り、第一次世界大戦に参戦したオスマン帝国は敗戦国となる。
指定語句にもあるように、セーヴル条約で領土をかなり失ってしまうこととなった。
だが、これでオスマン帝国が滅んだわけではない(実質は滅んでいたのであろうが)。

最初の大枠でもお伝えしたように、ケマルによってトルコ共和国が建国され、これでオスマン帝国は滅亡するのである。これを書いて、問題の要求にはきちんと答えたことになる。この内容は教科書をわざわざ持ち出すまでもないであろう。

ただし、前回同様、歴史の連続性を意識し(今回はリード文にも現代の話が書かれている)、現代に話をつなげる形で文章を締めた。使ったのは、最初にお見せした帝国書院の文章の中の以下の部分である。

「領土」「民族」「宗教」をめぐる考え方の違いは、中東では現代にいたるまで大きな争点となっている。(帝国書院p238 Key Word)

〈解答プロセス〉
1. 第一次世界大戦に敗北した流れから、オスマン帝国の滅亡まで記述する。
2. 歴史の連続性とリード文の内容を意識し、現代につなげる形で文章を締める。


〈解答〉
国内ではサウード家などの地方勢力が自立を見せ、西洋に対してはロンドン会議に象徴されるように劣勢に置かれる中で、オスマン帝国では改革の重要性が認識され、主に三つの考え方が現れた。一つ目が領土を重視し、帝国の人々を平等とみなすオスマン主義である。具体的には、これに基づくギュルハネ勅令の下でタンジマートが進められ、また、西洋の資本主義経済への従属に対抗すべく、ミドハト憲法が制定された。しかし、露土戦争を機に憲法は停止され、失敗に終わる。二つ目が宗教を重視し、近代的イスラーム国家建設を目指す、アフガーニーによって提唱されたパン=イスラーム主義である。具体的には、憲法を停止したスルタンがこれを利用してムスリムを統合し、帝国の劣勢を覆そうとした。しかし、その専制に対して憲法の復活を求める人々が日露戦争での日本の勝利などに鼓舞されて革命を起こし、政権を握ったことでこれも失敗に終わる。三つ目が民族としてのトルコ人を重視するトルコ民族主義である。具体的には、革命政府がこの考え方の下で帝国の存続をはかるべく急速な中央集権化を進めた。しかし、これは非トルコ系民族の反発を招き、また、それを利用する西洋の干渉も強め、一次大戦の勃発や性格の一因となってしまう。フサイン=マクマホン協定はその一例である。結局、大戦に敗れた帝国はセーヴル条約で領土の大半を失い、残された領土を中心にトルコ共和国が建国された結果、帝国は滅亡した。そして、帝国滅亡後から現代に至るまで、領土、宗教、民族をめぐる考え方の違いは大きな争点となっているのである。

〈教科書該当箇所〉
・国内ではサウード家などの地方勢力が自立を見せ、西洋に対してはロンドン会議に象徴されるように劣勢に置かれる中で、オスマン帝国では改革の重要性が認識され(帝国書院p203など)
・主に三つの考え方が現れた。(帝国書院p238 Key Word)
・一つ目が領土を重視し、帝国の人々を平等とみなすオスマン主義である。(帝国書院p238 Key Word)
・具体的には、これに基づくギュルハネ勅令の下でタンジマートが進められ、また、西洋の資本主義経済への従属に対抗すべく、ミドハト憲法が制定された。(帝国書院p204)
・しかし、露土戦争を機に憲法は停止され、失敗に終わる。(帝国書院p204,205)
・二つ目が宗教を重視し、近代的イスラーム国家建設を目指す、アフガーニーによって提唱されたパン=イスラーム主義である。(帝国書院p238 Key Word)
・具体的には、憲法を停止したスルタンがこれを利用してムスリムを統合し、帝国の劣勢を覆そうとした。(帝国書院p239)
・しかし、その専制に対して憲法の復活を求める人々が日露戦争での日本の勝利などに鼓舞されて革命を起こし、政権を握ったことでこれも失敗に終わる。(帝国書院p239)
・三つ目が民族としてのトルコ人を重視するトルコ民族主義である。(帝国書院p238 Key Word)
・具体的には、革命政府がこの考え方の下で帝国の存続をはかるべく急速な中央集権化を進めた。(帝国書院p239,東京書籍p320)
・しかし、これは非トルコ系民族の反発を招き、また、それを利用する西洋の干渉も強め、一次大戦の勃発や性格の一因となってしまう。フサイン=マクマホン協定はその一例である。(帝国書院p239,東京書籍p320)
・そして、帝国滅亡後から現代に至るまで、領土、宗教、民族をめぐる考え方の違いは大きな争点となっているのである。(帝国書院p238 Key Word)

こうやって見ると、今回の問題は以下のような構造であると言える。
[前提]→[オスマン主義]→[失敗]→[パン=イスラーム主義]→[失敗]→[トルコ民族主義]→[失敗]=[滅亡]
何とも綺麗な構造である。

くどいようであるが、もう一度解答を用いて今回の内容をまとめてみる。

まず「国内ではサウード家などの地方勢力が自立を見せ、西洋に対してはロンドン会議に象徴されるように劣勢に置かれる中で、オスマン帝国では改革の重要性が認識され」の部分である。これは、国内での地方勢力の自立と西洋に対する劣勢のなかで改革が必要であると考えられるようになった、という前提の部分である。ただこれだけだと抽象的内容しかない文章になってしまうので、「サウード家など」「ロンドン会議に象徴されるように」という形で指定語句=具体を組み込んでいる。

次に「主に三つの考え方が現れた。」である。これが解答の大枠を示している。

そして、「一つ目が領土を重視し、帝国の人々を平等とみなすオスマン主義である。」というように一つ目の抽象的な軸が展開する。

「具体的には、これに基づくギュルハネ勅令の下でタンジマートが進められ、また、西洋の資本主義経済への従属に対抗すべく、ミドハト憲法が制定された。しかし、露土戦争を機に憲法は停止され、失敗に終わる。」であるが、この内容はオスマン主義の具体という位置づけなので、きちんと「具体的には」という言葉を入れている。文章はテンポ良く書こう。
そして、次の軸がスルタンの主導で展開することから、そこにうまく合わせられるように失敗を書くわけである。

「二つ目が宗教を重視し、近代的イスラーム国家建設を目指す、アフガーニーによって提唱されたパン=イスラーム主義である。」
二つ目の抽象的な軸である。

「具体的には、憲法を停止したスルタンがこれを利用してムスリムを統合し、帝国の劣勢を覆そうとした。しかし、その専制に対して憲法の復活を求める人々が日露戦争での日本の勝利などに鼓舞されて革命を起こし、政権を握ったことでこれも失敗に終わる。」
先ほどと同様に「具体的には」と入れて文章の強弱をつける。また、人々を鼓舞したのは日露戦争での日本の勝利だけであるはずはないので、「日本の勝利など」としている。最後は、きちんと革命政府につなげる形で、失敗したことを書こう。

「三つ目が民族としてのトルコ人を重視するトルコ民族主義である。」
最後の軸である。

「具体的には、革命政府がこの考え方の下で帝国の存続をはかるべく急速な中央集権化を進めた。しかし、これは非トルコ系民族の反発を招き、また、それを利用する西洋の干渉も強め、一次大戦の勃発や性格の一因となってしまう。フサイン=マクマホン協定はその一例である。」
これも「具体的には」から文章を始める。そして、トルコ民族主義が一次大戦の勃発や一次大戦の性格に影響を及ぼしたという抽象を書き、その具体という位置づけで「フサイン=マクマホン協定」を使用する。

「結局、大戦に敗れた帝国はセーヴル条約で領土の大半を失い、残存した領土を中心にトルコ共和国が建国された結果、帝国は滅亡した。そして、帝国滅亡後から現代に至るまで、領土、宗教、民族をめぐる考え方の違いは大きな争点となっているのである。」
一次大戦の流れを自然につなぎ、敗戦国となったことを書く。そのまま帝国の滅亡を記述して終了である。最後は歴史を現代まで伸ばしている。

こんな感じであろうか?

一応もう一度予備校の解答速報を載せておく。比較してみてほしい。

〈K〉
18世紀半ばにアラビア半島で復古主義を説くワッハーブ派がサウード家と結び,ワッハーブ王国を建国する一方,ロシアにクリミア半島を奪われた。ナポレオンのエジプト遠征を機にエジプトでムハンマド=アリーが自立し,民族主義の影響を受けたギリシアは,英仏露の支持でロンドン会議で独立した。オスマン帝国はギュルハネ勅令でタンジマート改革を開始し,法の下の平等を保障するオスマン主義でバルカン諸民族の分離を阻止しようとした。クリミア戦争以降の外債累積で財政が破綻し,さらにギリシア正教徒の保護とパン=スラヴ主義を唱えるロシアの干渉でバルカンの民族運動が活発化すると,オスマン帝国はミドハト憲法を制定して立憲君主政を目指した。アブデュルハミト2世は,露土戦争が勃発すると憲法を停止して専制体制を復活し,ベルリン会議でセルビアなどバルカン半島のキリスト教地域が独立すると,アフガーニーが説いたパン=イスラーム主義を利用して内外のムスリムを統合しようとした。日露戦争の影響で青年トルコ革命が起こり立憲政は復活したが,ブルガリアは独立し,伊土戦争やバルカン戦争で領土が縮小すると,政権内でパン=トルコ主義が強まった。アラブ人などの反発が強まるなか,第一次世界大戦でイギリスはフサイン=マクマホン協定でアラブ民族主義を,バルフォア宣言でユダヤ人のシオニズムを利用した。敗戦により締結されたセーヴル条約では英仏が非トルコ人地域を委任統治領として分割し,パレスチナ問題やシリア内戦など現代の諸問題を準備した。その後,オスマン帝国はトルコ革命で滅亡した。

これで解答・解説は以上になる。

私が受験生の時に世界史を教わっていた師匠がおっしゃっていたことがある。
「東大世界史は演奏と同じなんだよ。」
約1年前、普通の受験生であった私にはあまり意味がわからなかった。というよりも、わかろうとしていなかったのであろう。それは、理解できない自分との直面に恐怖心を抱いていたからに他ならない。なんとも腑抜けた話である。
だが、今回解答・解説を作成する中でその意味が少しだけわかったような気がする。結局世界史の解答も、何の変化もなくだらっと書かれていると演奏と同じようにつまらなくなってしまうわけである。

受験生は往々にして、自分の解答をしっかり読んでくれると思い込んでいるが、採点する教授の立場を考えてみてほしい。採点者は、普段読んでいる専門書や論文のレベルとは次元が違うほどレベルが低い答案を、何千枚も読まなければならないのである。こんな地獄のような話があるだろうか?きっと一枚一枚読んでくれているのであろうが、途中で捨てられていても文句は言えまい。そうならないためにも、読んでいる人が心地良い演奏を聴いているように感じる解答を作成することを心掛けたいものである。

それではまた!