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レポ49:樫野埼灯台(2020/1/3)

本州最南端部となる和歌山県の東牟婁(ひがしむろ)郡串本(くしもと)町。太平洋の黒潮が躍る南紀の要衝に立つ夫婦の明治期灯台を訪れました。

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ49:樫野埼灯台(2020/1/3)

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本州最南端部の和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡串本(くしもと)町。

ここは日本の太平洋側を往来する船舶にとって重要な目印となるため、明治初期にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と「改税条約(江戸条約)」で設置を約束した8基のうち、潮岬(しおのみさき)灯台と樫野埼(かしのさき)灯台という2基の灯台が設置されました。

今回は、まず西側を見守る潮岬灯台から訪れました。一帯は吉野熊野国立公園に指定され、熊野灘の荒波を見下ろすように佇んでいます。

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訪問時間が遅かったため灯台敷地内には入れませんでしたが、潮岬灯台は参観灯台のため灯台内部に入り登ることができ、展示室も開放されていて2代目のフレネルレンズを観ることができます。

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今回は日没まで周りをウロウロして灯台を眺めていました。

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日没時刻を迎え、灯台の眼前の岩場から水平線に沈みゆく太陽を見届けるとほぼ同時に、振り返れば灯台の点灯が始まりました。

灯台の光は遠く外洋船にも届けるように「毎15秒に1閃光」とゆっくりと海原を照らしています。

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潮岬灯台は「灯台の父」ことリチャード・ヘンリー・ブラントン氏により設計され建設されました。樫野埼灯台とほぼ同時期の1869年(明治2年)に着工・建設されましたが、点灯させるはずのレンズを輸送中の船が沈没するトラブルなどもあり、仮点灯期間が長く、結局公式な初点灯は1873年(明治6年)ということになっています。

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灯台のすぐ近くには潮御崎神社があります。ちなみに、神社の鳥居の左手に下り階段があり、そこを進むと先ほど日没を眺めた岩場に行くことができます。

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続いて、夜が更ける前に東側を見守る樫野埼灯台へ向かいました。

樫野埼灯台は同じ串本町ですが、和歌山県最大の島「紀伊大島」に渡ります。今では「くしもと大橋」で陸続きになっていますが、かつては渡船が出てました。

樫野埼は、1890年トルコへ向かうエルトゥールル号が近くの樫野埼沖で座礁沈没し乗員600名以上が遭難した際に、村民が総出で救助や看護を行ったことから日本とトルコ友好の地なっています。

そのため駐車場から灯台へ向かう道にはトルコ記念館やエルトゥールル号殉難将士慰霊碑がありました。

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灯台の近くにもトルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの像があります。トルコ大使館より寄贈されたとのこと。

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灯台内部は一般公開していませんが、展望台付きで登れる灯台なのです。しかし時間が遅く展望台の門は残念ながら閉められていました。

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日没後の夕闇に照らされる陰影が幻想的。樫野埼灯台も潮岬灯台と同じくブラントン氏の設計で、初点灯が1870年(明治3年)です。その当時の姿で現存しており、日本最初の石造灯台であり日本最初の回転式閃光灯台とされています。

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エルトゥールル号遭難事件では、海に投げ出された乗員のうち、10名ほどが崖を這い登り灯台まで辿り着きました。当時の灯台守の方が言葉が通じないため国際信号旗で会話し、その通報を受けた住民たちが救護活動に尽力したとされます。

その甲斐あって69名の方が生還したものの、587名が死亡または行方不明という大惨事となりました。明治天皇も政府に可能な限りの支援を指示するなどにより全国に知れ渡ることとなりました。串本町では5年に1度追悼式典が行われています。

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樫野埼灯台の灯質は「毎20秒に2閃光」で、潮岬灯台同様に約34km先の遠洋船にも届く輝きです。閃光レンズは第2等フレネルレンズ。

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灯台の周囲には水仙が咲き乱れており、灯台を彩っていました。この水仙は明治初期の灯台技師であったイギリス人たちが植えたものと言われています。

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今回はともに海上交通の要衝にあり、その歴史的・地理的重要性から初期に建設された2基の夫婦灯台を訪れました。

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村上 記


年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台を訪れる魅力などをお伝えするプロジェクト。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、地元の原風景を護りたいと願う方々の想いを大事にしていきたいです。