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レポ75:梶寄港北防波堤灯台(2021/4/30)

大分県の豊後水道に突き出すリアス式海岸の鶴見半島。渦巻く海峡にある漁港の2基の灯台と昔の灯台職員事務所を改装した資料館を訪れました。

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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、自身の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。

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◼️レポ75:梶寄港北防波堤灯台(2021/4/30)

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大分県佐伯(さいき)市の鶴見(つるみ)半島。瀬戸内海と太平洋を分かつ豊後(ぶんご)水道と呼ばれる海道に向かって東へ突き出る形をしており、この半島より南側は外海とされています。

先端北部には豊後大島(おおしま)と呼ばれる有人島があります。その大島を正面に臨むように入江を形成しているのが今回訪れた梶寄(かじよせ)浦です。

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防波堤から内陸部に向かって港を眺めると三方を急峻な山々に囲まれていることが分かり、典型的なリアス式海岸の地形で、ここまでの道のりも非常に入り組んでいました。漁港の防波堤には「梶寄港北防波堤灯台」が立っています。

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梶寄浦はそれほど大きな集落ではありませんが、長い間、交通網は連絡船によるものが主だったようで、道路が開通したのも1982年(昭和57年)だそうです。

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防波堤灯台の奥には小さく赤黒縞模様の「元ノ間(もとのま)灯標」と呼ばれる灯台が見えました。ここから見ると海の上に浮かんでいるようです。

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海岸線伝いに接近を試みますが、満潮近く波も激しいため断念。それでも近付くとしっかりしたコンクリートの足場があることが分かりました。よくこんな場所に建てたなと感心します。
※付近の岩場は非常に滑りやすく、潮の満ち引きも激しい為、無理をせず、ケガなどにお気をつけください

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ここで少し時間を巻き戻しまして、日中、梶寄港からすぐ先の山道を進むと「段々展望所」という景観スポットがありました。ここからは正面の大島との間にある「元ノ間海峡」を一望できます。

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目まぐるしく表情を変える白波。上から俯瞰的に見ると、幅約500mの海峡のど真ん中に立つ元ノ間灯標と周囲の潮の激しさがよく分かります。

この海峡は干潮時と満潮時の海水面の上下で潮がぶつかる場所で、干満差が最大となる大潮の時には約1mもの高低差が生まれるそうです。

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そのため昔から多くの船が座礁する事故が起きており、航海の安全のために建てられました。黒字に赤縞模様は、周囲の山々の深緑に溶け込まないための工夫でしょうか。

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展望所から更に鶴見半島の先に進み、下梶寄浦と呼ばれる場所に来ました。恐らく九州最東端のビーチとキャンプ場です。

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何故ここに来たかというと、ここには灯台ファン必見の施設「水ノ子島海事資料館/渡り鳥館」があるからです。

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水ノ子島灯台というのは後ほどご紹介しますが「九州最東端」にして「日本最大の離島灯台」であり「明治期灯台」という灯台オブ灯台なのです。

そんな水ノ子島灯台と下梶寄浦がどんな関係かというと、かつて水ノ子島灯台の吏員退息所(灯台職員さんの事務所)がココにあったのです。昭和37年(1962年)まで現役で使用され、その退息所跡を資料館にした訳ですね。昔の退息所写真が飾られていました。

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施設内は無料開放されており、自由に閲覧できます。これが水ノ子島灯台のモック。灯台の高さは39mに達します。映画『新・喜びも悲しみも幾年月(1986年)』の撮影時に制作されたそうです。精巧に再現されていますね。

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実際の写真もあった方がイメージが湧くと思うので訪問画像も掲載します。もし他のアングルも興味があれば『灯台電子書籍写真集“Mamori”シリーズ』をご確認ください。

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島は完全に孤立した離島ですので、灯台職員は島の灯台の中で生活するのですが交代する職員や家族が下梶寄の退息所で生活していたとのこと。

資料館には当時の暮らしぶりを再現した部屋がありました。2〜3人で交代勤務を行い、週に一度、水や食料、燃料などを載せ、先ほどのビーチから14.5kmも離れた島に小型の手漕ぎ船で向かったそうですから、灯台での暮らしの過酷さは勿論のこと、辿り着くまでも命懸けだったことは想像に難くありません。

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資料館には他にも水ノ子島灯台の初点灯を伝える電報などの資料や古い漁具などが展示されています。

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そしてもう一つの施設も異色の展示がされている「渡り鳥館」。ここは名前の通り渡り鳥の剥製が展示されているのですが、それらは何と水ノ子島灯台に衝突して死んだ鳥たちなのです。その数、52種550羽!

この鳥たちは佐伯航路標識事務所に勤務されていた灯台職員でありながら剥製技術も持たれていた川原忠武氏が、灯台下に落ちた鳥たちを研究として剥製にしたそうです。

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鳥たちは春と秋の渡りシーズンに豊後水道を通り北上もしくは南下するそうです。渡り鳥は基本、外敵の少ない夜間移動しますが、霧などで視界が悪くなると灯台の光に集まります。その中の一部が不幸にも灯台に衝突してしまったとのこと。

それまで鳥類学者の間では灯台が渡り鳥を誘き寄せる墓場だという説がありましたが、川原氏の研究の結果、事実は真逆で灯台の光は渡り鳥を導いていることが分かりました。鳥が衝突死するのは、日本全国でも周囲に逃げ込む所のない水ノ子島灯台くらいではないか、と氏は語っていました。

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豊後水道に寄り添うこの辺りは外洋から内海への出入り口となり、非常に重要な地域として昔から灯台たちが海の安全を見守っていたことが分かり、非常に勉強となりました。

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村上 記

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