半島の町の名前
3年前から足繁く房総半島に通うようになりました。
最近は車が多いんですが、その前はJR総武線に揺られてとことこ通っていました。私が降り立ったのは「柏」とか「浦安」とか「千葉」とかメジャーどころではなくて、今まで降り立ったことのない駅ばかり。その時途中で通り過ぎる「蘇我」や「鎌取」という名称に、「おおっ」とか「むむっ」とか心の中で小さな声をあげていました。
蘇我とか鎌取とか古代や中世の響き。蘇我は聖徳太子の時代の蘇我氏に由来しているし、鎌取なんて中世っぽいー。そして東京湾を挟んで対岸の神奈川県に同じ地名、似通った地名「曽我」や「鎌倉」があるのも面白い。
やっぱり地名っていろいろなことを教えてくれますね。かつて朝廷のあったところとの往来を示す人名に由来するものや、特にどんな水運で人が往来してきたかを示していたりと、いろいろなことを想像できてほんとに楽しい。
ちなみに蘇我も鎌取も内房側だけど、外房側になると紀伊半島との往来を感じる地名があります。勝浦、白浜、須原(栖原)、千倉などなど。20年くらい前、中国から伝来した醤油の伝播の道を追って、和歌山県の興国寺から湯浅、勝浦、千葉県銚子市と旅をしました。和歌山・太地に代表される捕鯨が、千葉に伝えられたり、海女の漁業文化も黒潮に乗って房総半島に伝えられたと思うと、自分にとって白紙に近かったそれぞれの土地に、血が通うようにひとつの表情が浮かび上がっていきました。
平成時代に合併があったりして、土地の名前をひらがなにしたり、古い地名を廃して新しく名付けたりと、地名から土地の歴史や背景を追いづらくなっています。古地図の記録が大事になってくるだろうなあ、と思います。そのような中、半島はタイムカプセルのように歴史の名残をとどめやすいのかもしれません。
先日、竹の加工を習いに行った君津には、「西粟倉」「東粟倉」という地名があって萌えました。岡山や静岡にも同じ地名があるので、どんな由来があるのだろう、とちょっと気になっています。
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