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風の冷たい道(東海道を歩く16)

 前回は、暑いさなかの歩きでよりくたびれる行程でした。けれど、テレビを通して伝えられる通俗的なイメージから、これまで、あまり好きな地域ではなかった中京地域に、それまでとは違う一面を見つけて面白いなとも思うようになりました。そして、今回の東海道歩きは岡崎宿から始めます。豊橋駅で降りて名鉄に乗り換え、名鉄の東岡崎駅を再び降ります。立て替え計画もある駅ビルを眺めると、まるで廃墟のような趣です。夏と同じように、街を歩いている人は少ないようです。なにはともあれ、歩き始めます。  多くの城下町では、わざと東海道はわかりずらく鍵状に曲がっています。

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とりわけこの岡崎では、二十七曲がりと称されるほど、わかりづらく道は鍵状に曲がっています。ところどころ道角にたてられている標識を見つけないと、道をたどることさえできません。その標識さえなんども見落としては、周りの景色がおかしいので間違いに気が付いて、道を戻ってはたどりなおす。その繰り返しです。今日は日曜日で、街の中心にある籠田公園ではイベントを始めようとしています。街道はその公園を縦断していますが、これだってよく見なければわかりません。しばらくいくと、国道バイパスをわたる歩道橋をのぼります。やはり愛知はクルマ社会です。信号がなく歩道橋を越えなければ向こう側にいけなくなるケースがめっきり増えました。

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 愛知環状鉄道の高架をくぐると、関東でも売っている、赤味噌のカクキューの工場にぶつかります。30分ごとに区切って締め切っている工場見学には時間があわず、これはあきらめましたが、ちょうどお昼になりました。併設のレストランで食事をしていくことにします。頼むのはもちろん「味噌煮込みうどん」です。濃い味の味噌煮込みは、いつもおまけにご飯をつけたいところなのですが、コレステロールのことを気にして我慢。  首都圏の外食チェーン店のマニュアル化された親切さに慣れると、この地域の外食業の接客は、どちらかというと素っ気ない印象を受けます。そして、唐突に、それぞれの店の仕切りに合わせられたり従わされるところがあるのは、関東の人間は戸惑うところかもしれません。もちろんダメ出しをしているわけでなく、これは好みの問題ですね。隣には、もう一軒の別企業の赤味噌工場があって、張り合っているみたいです。

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  ほどなく、矢作川を渡ります。織田信長と豊臣秀吉の出会いの像というのが橋のたもとにあります。街道は岡崎の街を離れて、住宅地から素っ気ないバイパス道へ変わります。バイパス道にあきた頃にようやく右にそれて旧道にはいると、その先に松並木が見えてきます。岡崎市を離れて安城市に入ります。よく見ると、街道のまわりこそ家が連なっていますが、その後ろに田園風景が広がっているのがよく見えます。とかく工業地帯のイメージが強いこの地域だけど、農業もとても盛んなことがよくわかります。途中にはスーパーマーケットのような巨大なJA直売所が建っていてにぎわっています。  さらに道を進めば、岡崎海軍航空隊という記念碑のある神社にさしかかりました。正直なところ、旧軍に関わるようなこれらもろもろには、あまり関心がないのですが、案内板に簡単な地図があって新旧の建物が重なって表示されています。そこにはかつて滑走路であったあたり、今の三菱自動車の岡崎工場のテストコースと化しているようです。風は寒いものの、天気もよく日差しも明るいこのあたりは、歩いていてとても心地のよい場所です。

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その先を進むと、途中に見事な松が延びているお寺がありました。感心しながらカメラで写していると、下から視線を感じるので、見れば、その視線の先は石の仏像が立っています。まるでこの立派な松の主のようで「無視するな」と言われているよう。あわてて手を合わせお参りします。子供の頃や若い頃は、こういった道ばたの地蔵や塚といったものは、辛気くさく野暮ったいものと決めつけていたのですが、かつての街道を歩いて通った旅人の行程のきつさがわかると、道ばたの地蔵や塚に手を合わせる昔の人の気持ちが身にしみてわかります。 

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 ここでも、巨大なバイパス道がまた立ちふさがりここでも歩道橋を渡ります。ようやく知立宿の案内がありここで宿場に入ったことがわかります。ただし、この「知立」という文字は、この場所では「池鯉鮒」という、まるで当て字のような漢字で表されています。 ぎょうぎょうしい漢字の割に、実際に訪れた宿場町のたたずまいはこじんまりとした静かな街です。歩きすすんでもつぎつぎに右左に寺社が現れます。そのひとつ知立神社を訪れると、ここでもやはり七五三参りの家族連れでいっぱいでした。  知立をすぎると、これまた住宅地からバイパス道に合流。次第に日が傾いてきて、歩くのも疲れてくる時間帯です。つらくなったころにようやく左にそれて、旧道にわかれてひと息つきます。ここでも、近くには名鉄線が併走しています。街道の周りこそ家が建ち並んでいますが、その奥は田園風景が延びています。用を足すために近くの名鉄線の富士松駅に立ち寄りますが、この日は日曜日でまわりの商店もシャッターを閉じたまま。とても閑散とした駅前風景です。

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  旧道からバイパスに合流します。ときどき横道にはずれたり合流したりを繰り返して、ようやく三河国と尾張国の境界、境橋という橋に到達します。なるほど国境らしく、まわりは殺風景な場所です。バイパス道から離れると再び旧道歩きに戻ります。途中には立派な阿野一里塚が建っています。このあたりから、しだいに道ばたに人の姿を眺めることが多くなってきました。豊橋のあたりからずっと、住宅地だろうが商業地だろうが、これまで人の姿をあまり見かけていなかったのです。前後駅のあたりにまで来れば、生協の店やドラッグストアなど、ようやく首都圏でも見かけられる郊外駅の光景に出会えることができました。その光景が珍しく感じるくらい、中京圏の移動はクルマがあたりまえになっていて、どの駅前も閑散としています。にぎやかな首都圏の鉄道駅を想像するとかなり異なっています。 

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 生活道路になっている道をそのまま歩くと、やがて中京競馬場駅にぶつかります。どうやら桶狭間の古戦場跡とされる場所があるとのこと。立ち寄ります。かろうじて日が暮れていないので、古戦場跡とはいってもそれほど怖い雰囲気はありません。隣の敷地には旧い洋館風の建物があります。デイサービスの事務所として使っているようです。となりにはずいぶんと立派な病院があり、その医療法人と関係があるようです。  あたりはすっかり名古屋近郊の住宅地然となってきました。幹線道路らしき道からはずれると、古めかしい建物が道の両側に増えてきます。有松に到着したことがわかります。黒く塗られた壁は、日も暮れてほの暗くなった景色と、とてもよい感じにマッチした暗さなのですが、スマホで写真を撮った感じだと、どうも明るく補正がかかりすぎるきらいがあり、ながめた景色の感じとちょっと違ってしまうのが残念なところ。

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  今日の歩きはここまで。日差しはあっても風の冷たい一日でした。北関東育ちのわたしにとって、秋冬の冷たい風は慣れっこのはずですが、こうやって中京圏でも似たような冷たい風を浴びるのは不思議な感じがします。本日の宿は岡崎に取っていて、暖かい汁物が食べたいと思いつつりの名鉄電車に乗り込みました。

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