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風の強い遠州の道(その2)(東海道を歩く13)

 この日に泊まったホテルは、市街地ではなくロードサイドに立地しています。場所のせいかホテルの朝食会場には仕事の所用で泊まっている人たちが多く居ました。スーツではなく会社の作業着を着ています。これまで歩いてきた沿道の印象では、どちらかといえば静岡市が商業都市という印象を持ったのと比べ、浜松市には産業都市という印象を持っています。同じ静岡県内で同じような規模の政令市でもかなり色彩が異なるのだなと思いました。  昨日のゴールの地、姫街道との追分を探して、そこから再び歩き始めます。ぽつぽつと道のわきには松並木が並びます。道わきを自動車が通り過ぎて、あまり周りの名所や旧跡を楽しみ歩くような景色ではありません。

こうして、たどり着いた浜松の中心市街地についても、どこか活気に欠けるような気がしたのです。朝早い時間のせいもあるのでしょうが、これも静岡市内の中心市街地が華やかで活気のあったのと比べれて、いまいち活気に欠けるなという印象をもったのです。交差点の角には、往事は賑やかだったのでしょう、本屋の跡地が更地になっています。浜松ではかなり中心市街地の空洞化が進んでいるように思います。

 また、浜松の地にはまったく旧い建物はありません。大規模な空襲を受けていて、市街地はほぼ徹底的に破壊されたのだそうです。ちょうど市街地には復興記念館という建物があり、その負の歴史の一端を知ることができるのだろうか?と思い中に入ります。けれど、それは期待はずれでした。どちらかというと浜松の復興をアピールするための施設らしく、帝国軍の拠点があったからとか浜松が空襲を受けた原因などはわからずじまいです。ただし、本田宗一郎がはじめてオートバイを作ったのが、敗戦のわずか翌年のことだったことを知り驚きました。

 浜松の中心街をはずれれば、あまり変わり映えのないバイパス沿いを歩きます。静岡の県民性がかかれた通俗的な本を読んだとき、そこには静岡市付近の保守的な気質と、遠州あたりの先進的な気質が対照的に書かれています。先進的な気質というのは、裏を返せば飽きっぽかったり、旧習や旧い物事にあまり気をかけないことにも繋がるのだろうと思います。遠州に入ってから身体にずっと受け続けている強い風のように、この強い風はそんな移ろいやすいと思われる遠州人の気質を表しているのかな想像してみます。  なおも、バイパス通りは延々と続いています。途中には「麦飯長者の石碑」なるものも立っています。麦飯長者という人は、沿道を通る人たちにせっせと麦飯を振る舞っていたそうです。ふむふむなんて親切な人なのだろうと・・・すこし退屈な歩きの中では、変哲のない案内板の文章に心を留めたりもします。この付近には秋葉神社という名前の神社がたくさん建っていて、調べてみれば、なるほど遠州の地に秋葉神社の本拠地があるそうなのです。

広い境内の神社が現れると、まもなくJR舞阪駅付近にたどり着き、やっと退屈なバイパス道とも離れます。立派な松並木が現れ、舞阪宿が近いことを知ります。  さて、今回の東海道の歩きでは、これから歩く場所についてのくわしい予習はせずに、ぶっつけ本番でもいいか。とどこか鷹揚に構えることにしています。この舞阪宿とその先新居宿の間が舟運によることも知らなえれば、舞阪宿が港町でもあることさえ知りませんでした。宿場の景色をのぞき、行き先を眺めれば道は一直線に港に向かっています。沿道にはいくつかの海苔店が営業しています。中に入ってみます。  店内にはいろんな種類の海苔が売られています。ふだんの食事で海苔はたくさん食べているつもりですが、どれも同じように見えて、なにを買えばいいのかわからずにいると、店員の方が親切に教えてくれました。黒いのりや緑色のり、甘いのりや苦みのあるのり乾のりとか焼きのりとか種類があるそうです。このようにわからない時は、そのまま店員の方の見立てを信じることにしています。紹介していただいた海苔をひとつづつ購入しました。  ホテルで朝食を食べてからなにも食べていないのでここで昼飯。このあたりでただひとつの定食屋らしき店に入ります。和洋中なんでもメニューがあって、近所の人たちで込んでいます。定食を頼むと海苔の酢の物らしい小鉢がついてきました。新鮮なのりだと、海苔そのものに風味もあって噛み応えもあります。美味しい。

 

食堂を出て、北雁木という船着き場の跡をみました。ここから新居宿までの東海道は、浜名湖上を舟で渡るコースになっています。新居宿があるはずの西の方向を眺めますが、浜名湖の先にあるはずの対岸の新居宿は見えません。距離の遠さを感じるところです。  舞阪宿から新居宿までのあるきは、やっぱり強い風を受けながらになります。湖上に鳥居がぽつんと建っています。いくつかの橋をわたると、あたりはいわゆる弁天島と称する島になっています。海岸沿いにマンションやらホテルのような建物があり、ソテツの木も植えられていて、ちょっとした南国ムードを演出しているのでしょうが、寒くて強い風が吹いているこの日、こんな寒い時期に、あまり観光客の姿はありません。ようやく、浜名湖をすぎて対岸へ着きます。道はJR新居駅前を通りますが、とても殺風景な景色です。駅前から10分くらい歩いて、新居の関所に到着します。  対岸の舞阪宿から、この新居関所までは舟で渡ったようで、関所の敷地内には船着き場の跡も復元されています。広い駐車場が整備されていますが、この日は閑散としていました。中に入ります。この関所はもともと幕府直轄であったようですが、のちに吉田藩の管轄に変わったそうです。碓井の関所や箱根の関所のように、山の中にある関所の場合だと、かつてその地が東西を隔てる場所であったことをイメージしやすいのですが、この海に向かう関所というのは、あまりイメージをつかみづらいですね。関所を出て少し歩いた先に新居宿の本陣があります。いまでは静かな小集落になっています。

 この新居宿までで今回の歩きはおしまいです。遠州という土地を歩いてみると、どこかこの土地にはあらゆるものが移ろっていくように感じました。ホンダやヤマハやスズキのように、この地で創業し誰もが知っている大会社に発展した企業がありますが、そこには、たとえば近江商人のような地元と密着する関係はなくて、どちらかというと淡泊な関係のように映ります。名所旧跡はそれなりにあるけれど、この地ではその存在はあまり目立ちません。遠州という土地についてわたしが感じるのは、この地に吹く強い風のように、あらゆるものが移ろっていく地なんだなという印象でした。次回はいよいよ静岡を離れ愛知に入ります。

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