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途切れない道(東海道を歩く18)

前回に桑名宿まで歩いてから1年以上が経ちました。その間に続いた移動制限によって、すっかり遠出すること自体を忌避する気持ちが増えてしまいました。そんな中で今回の歩きは出かけたのでした。自宅から桑名まで向かう行きの新幹線も、乗り換えた在来線も、乗っている間は適度に空いていて、感染さわぎが起きるまでの、いつも混雑した車中にくらべれば実は快適だったりするのが皮肉なものです。前回のゴールである桑名市の市立博物館を目指します。

 桑名駅とその駅前は、JRと近鉄や複数の路線が乗り入れていて、駅前には立派なバスターミナルもる、かなり大きな規模なのですが、あまり活気をかんじることがなかったのは前回とおなじです。こうして街道を歩いてみると、旧い市街地の広がりが相当の規模であったことがわかるし、その旧い街の中心は駅ではなくて、かつての七里の渡しが行き来していた湊であったこともわかります。仏壇店や布団店など、何百年続いているのであろう老舗が、現役でのれんを構えているのをながめるだけでも、かつての賑わいの名残を鋸としています。ここ桑名でも、他と同じように街道は鍵状にねじ曲がっています。

 しばらく行くと、旧い建物はほぼなくなったものの、街道筋の雰囲気はそのまま残されています。旧跡がなければ、ここでは宿場の内と外がそれほど明確に区別されてはいません。さらに歩いていくと、目の前に員弁川の堤防がたちふさがります。この川には渡しでなく木橋があったらしく、堤防脇の案内板にかかれていました。もちろん現存はしないので、迂回し現代の橋を渡ります。渡ってもこれまでと変わらない、おなじような旧道沿いの住宅街が続きます。遠くに山々をながめることができますが、東日本や中日本のような厳しい山々というよりは、穏やかな山容に見えます。

 やがて、桑名市を抜けて朝日町に移ります。この朝日町という町は、かなり小さな自治体のよう。平成の大合併を経た現代でも、単独の自治体として生き残りました。その理由の一端は、少し街道をすすんだ道のわきに有った「東芝」と名の付いた大きな事業所の存在です。いわゆる企業城下町なのですね。この朝日町もそうですが、三重県では東海道の案内が整っています。これまでの道で迷うことは、ほとんど有りません。朝日町の中心を抜けると、だんだんと人家も途切れがちになります。遠にあった山々も近くなってきます。どうやら、桑名を中心とする地域とか生活圏を抜けて、四日市を中心とする地域や生活圏に入ろうとしています。四日市市内に入ります。その象徴のように「力石」と称する石が道脇に飾られています。

 四日市市内にはいると住宅地はだんだんとごみごみとした雰囲気に変わっていきます。この日は風もなく温かい日で、とぎれることのない住宅地にぽつぽつとした一里塚や常夜灯が沿道にちらほら。伊勢神宮がある伊勢の国ですから、神社やら神道ばかりが目立つのかと想像しましたが、そんなことはなく、思ったよりも寺が多い地域ですね。四日市内に入りながらも、四日市宿までの距離はかなり歩くようです。おなじような住宅地が途切れることなく続き、少し飽きてきた頃、遠くに工場の煙突が見えるようになれば、まもなく四日市の宿に到着します。

 地元でなければ、四日市は工業都市のイメージが強いと思いますが、街道筋を歩く限りそのような印象は薄いようです。ここでは街道が街の中心街を貫いていてアーケードがかけられています。ただ、今は立派な中心街に人はまばらで、普段どおりに営業している飲食店も少ないようです。結局は飲食ビルのなかに有るそば屋で名物でも何でもない食事をとります。工業都市というイメージからは、がつがつでがさつな街を想像しますが、まったくそんな事はありませんでした。近隣の愛知や岐阜と比べてもむしろおとなしい印象が強い。WEB検索すると、なるほど「三重の県民性はおとなしめ」と書いてるのもあり、さもありなんとは思います。

 四日市宿をすぎたのが午後3時で、次の石薬師宿までを今日の内に歩くつもりです。日が暮れるまでに到着できるか?不安なのですが先に進みます。四日市の中心街を抜けると、やがて右となりに並行して、四日市あすなろう鉄道の線路が見えていきます。このあすなろう鉄道は、一般的な鉄道よりも狭い軽便鉄道の生き残りで、国内でもほかに2~3路線しか存在しないという珍しいものです。歩いていると意外なほど頻繁に電車が行き交っています。その一方で、こちらの旧道には、せまい道幅にも関わらず、とぎれることなく自動車が往来していて、すこし歩きづらい行程です。 左手にあすなろう鉄道の内部駅をすぎると、ようやく住宅がとぎれます。ここで旧道はバイパス道に切断されわかりづらくなっていますが、これを進んで杖衡坂という坂をのぼります。その台地の上にでると、これまでとがらっと雰囲気が変わります。吹いてくる風は冷たくなり、道の周りの景色が一変します。このあたりが四日市と鈴鹿市の境界のようです。交通機関で簡単に移動できる現代ではあまり体感しないことなのですが、歩きの旅だと、こうした地域区分や生活圏の境界というものがリアルに感じることができるのが面白いところです。四日市と桑名であれば川を境にしてわけ隔てられるし、四日市と鈴鹿市の場合は、坂と台地を境にしてに分け隔てられます。ただし、このあたりの右隣は1号バイパス道路で非常に殺風景です。この風景そのものが戸塚宿から藤沢宿に抜けるまでの風景ととても似ているなと思いました。

 遠くで見えるの太陽がどんどん地面に近づいてきます。競争するように真っ暗になるまえに何とか、石薬師宿に滑り込みました。日暮れ前の宿場町はとても静かな集落です。本陣跡も簡単な案内板があるばかりでした。佐々木信綱という詩人にゆかりがある土地らしく、記念館の建物と、隣にはこぢんまりとした趣のある建物が残っています。宿場名の由来ともなっている石薬師寺をお参りし、ここでちょうど日暮れ時になりました。

 本日の歩きはここで終わりです。ただし、この日の宿が近隣に無く、川向こうの鈴鹿市中心街の宿を予約しています。すでに日は落ちたまっくらな田園の道を怖がりながら歩きました。

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