メリー・モナークin大原田 第六話
工藤円花の家は、木々の向こうに遠く、海が見える。あの、ほんの少しだけしか見えない水平線に、それでも心が奪われるのは、ここが円花の家だからなのだろうか。
玄関横には広々としたウッドデッキがあって、十数名ほどならそこで踊れるだけの広さがあった。青空の下で踊れる贅沢な作りだ。そこから続く室内は大きな掃き出し窓になっていて、白い壁に囲まれた空間が広がっている。まさに理想のレッスン室だった。
「ちょっと、思ってた以上にすごい豪邸なんですけど……」
久しぶりに連絡をとったら、じゃあ是非うちに遊びにきてよ! と返事が戻ってきた。地元に戻ってフラダンス教室をしていることは知っていたし、海が見える素敵な教室だとSNSでも見てはいたが、流石に盛っているだろうと高を括っていた私は息を呑んだ。盛るどころか、ほんのりと潮風がプラスされたそこは、SNSを凌駕する上質な空間だった。
あの頃感じていた嫉妬心が、またむくむくと湧き上がるのを感じる。もうとっくに閉め出した感情だと思っていたのに、まるでウエスタンドア並みにパカパカと開閉し、あっさり侵入してくるこの感情と、自分の自制心のなさにうんざりする。
「花乃からの連絡、嬉しかった!」
円花は、そんな私の気持ちに全く触れないまま、相変わらず花のような笑顔を散りばめながらコーヒーを持ってきて、レッスン室後方の壁面に沿った長いソファに座るよう勧めた。
円花は、私が幼い頃から習っていたフラ教室のフラシスターだ。そう、歳は同じだが本当の姉妹のようだった。円花と、花乃で『花花コンビ』と周りから称賛され、イベントでも、よく2人で踊っていた。小学4年の時に、ケイキソロで優勝していた私は、姉妹で言うところの姉のような気持ちでいた。全くよくある話だ。あの頃、私は円花より、自分の方が優れたフラダンサーだと思っていた。人を見下すようなダンサーだったのだ。シスターが聞いて呆れる。
焦りが出たのは中学に入ってからだ。体つきが女性らしくなり始める頃、円花のそれは、女性ダンサーの色香を纏い出す。花びらが綻ぶようなしなやかな動き、なめらかな指先、妖艶な視線。それなのに、踊りが終わると、パッと野花のような清純で素朴な普通の女の子に戻る。そのギャップに、誰もが目を奪われるようになった。
高校生になって、オピオのソロ枠と団体枠で大会に出場すると先生が言った。『オピオ』は中高生ほどの年齢のフラダンサーを指す。オピオならではの高度な身体能力を披露できる最後のチャンスだと思った。ソロ枠はひとつ。思ってた通り、円花が選ばれた。それでもまだ、私は、妹を見守る姉のごとく自分の気持ちを律して、心から円花を応援し、自分はソロではなく、オピオチームのリーダーとして団体枠で大会に出場した。
打ちのめされたのは、そのソロでの円花の踊りだった。まるで女神だったのだ。大地のエネルギーをそのまま天に送り出すような、生命力で満ち溢れる彼女のフラは、会場の空気を一変させ、そこはしんと静まり返った後、精霊たちがお祭りでも始めたかと思うほどにどよめいた。
その後の団体フラで、私は、自分の踊りがまるでお遊戯を踊っているように見えるのではないかと動揺した。
審査員席にはハワイからクムフラと呼ばれるフラの指導者が来てきた。クムと名乗れるのはハワイでフラの伝承を受け継ぎ、認められた師範たちだけだ。そのクムフラのいる審査席に視線を送ることも出来なかった。優勝候補と言われていた我がチームが、おそらくは私のせいでギリギリの入賞に終わり、円花はその日、大会の頂点となる総合優勝を果たし、ハワイ留学の切符を掴んだ。
私は、それ以降フラを辞めた。怖くなったのだ。フラしか自慢できるものを持ってなかった自分に。それなのに、何も掴めなかった自分に。
東京の大学を目指したいから。そう理由をつけてフラを辞めると言った日、円花は「応援してる」と言った。その顔は、諦めとも失望とも取れるようななんとも悲しげな表情で、私はその顔を見て、咆哮するように泣いた。
円花が憎いわけじゃない、でももう一緒に踊れない。
あの日、私が放った言葉を最後に、あんなにも同じ時間を過ごした私たちの共通点はあっさりと無くなった。
それでも、東京進学を決めてからは、やるべきことに向き合い、東京で初めての一人暮らしに充足感を覚え、私なりに幸せを感じていた。フラばかりをしてきた私は、外の世界を知ることで、フラを辞めた後悔や、円花と連絡を取らない寂しさも少しずつ忘れていった。
もう一度、円花に打ちのめされたのは2020年、コロナウィルスが蔓延してからだった。その頃、円花はダンサーとしてハワイ留学をしていた。
日本に帰れないのではないだろうか、現地で辛い思いをしていないだろうか。そう、心配していたつもりだった。SNSで検索をして、円花がどうしているかチェックしては、元気そうでいることに安堵した。
その頃私は、田舎に帰るリスクを恐れて、実家に帰れず鬱々と過ごしていた。ニュースで、東京から地方の田舎に戻った人たちが、まるでウィルスの病原菌を持ち込む悪魔のような扱いをされると取り上げられていたからだ。「大丈夫よ」と家族は笑ったが、帰らなければよかったと後悔するようなことがあったらと思うと、身動きが取れなかった。
そんな時だ。
「閉塞的な気持ちを、この映像で癒してもらえたら嬉しいです」
ハワイでの外出禁止令が緩和されるタイミングを見計らって、円花がハワイの海や、ハワイの田舎の風景の配信を始めた。そして、その空気と共に彼女はフラを踊っていた。音楽を流すわけでもなく、ただ、揺蕩うように。
それは、かつての生命力みなぎるフラとはまた違う魅力があった。ウィルスに翻弄され、畏れ、それでも自然に身を任せる他、私たち人間は抗う術を持たない、そういう儚げにも見える円花のフラは、海の音や風の音の混じり合い、溶け合い、人間も自然の一部に過ぎないと訴えているようだった。
部屋の隅で、実家に帰ることもできず、ただ繰り返しSNSを見て、世の中を嘆いている私に、それはあまりにも美しすぎる踊りだった。
円花は、そのSNSの配信を機に、フラダンスのインフルエンサーとして知る人ぞ知る存在になっていった。そして、去年、彼女は地元に戻り、実家を改装してフラダンス教室をオープンさせたのだった。
「フラってそんなに儲かるっけ?」
感動の再会だというのに、口から出たのはそんな言葉だった。自分でも呆れる。
「いや、田舎だし、実家だし、正直かなり援助してもらったよ」
私の言葉に、顔を顰めるでもなく、円花はカラカラと笑って言った。
「どうしても日本でフラを広めたくて。何より日本が恋しかったし、かなり無理して進めた計画ではあるけど、おかげさまで生徒さんは集まってます」
高校生の頃より、ずっと逞しく美しくなった女性がそこにいた。あまりの眩しさに、目を逸らしそうになる。
「で、突然どうしたの? 今、東京で勤めてるんだよね?」
円花は、どこで聞いたか、私の近況を言うと首を傾げて見せた。嫉妬心に振り回されて、肝心なことを忘れていたと、私は居住まいを正して、母親の病気のことと、フラッシュモブをしたいということを話した。
「おばさんが!?」
中学生になる頃まで一緒の教室でレッスンしていたのだ。レッスン時間は違っても、イベントでたびたび一緒に出演していた母の病気について話が及ぶと、円花はショックを隠さずに口を覆った。
「あ、でも、思った以上に元気。お医者さんも驚いてるし、悲観することもないかもしれない」
私がホッとした口ぶりで話すと、
「でも……余命宣告を受けたって……」
「いや、確かに大病なのは間違いないのよ。「あと少し遅かったら」って言われてたし、最悪のケースの話もされてるからね。でも、それは最悪のケースって話。お父さんと真咲には、その最悪のケースだけを伝えてるんだけど」
円花はそれを聞いて胸を撫で下ろす仕草をした。ひとつひとつがキレイな仕草だな、と思う。円花は、おばさんはきっと大丈夫、と、私の目を見つめ、それから「最悪のケースだけ話してるの?」と心配そうに眉をひそめた。
「だって、あの時私が病院に連れて行かなかったら、本当に危なかったもん。少し思い知ればいいのよ。実際、これからすぐに回復できる訳でもないし、5年生存率だって高いわけじゃないんだから、真剣に考えてもらわないと」
本気で心配してるなら、私の言葉だけを信じて終わりにできないはずだ。それを鵜呑みにすること自体、私には信じ難い。悪趣味だとは思うが、父さんにも真咲にも、楽観的な話はまだするつもりはないと円花に伝えると、円花は、花乃らしいと笑った。
「私らしいって、私、どんな性格悪いやつだと思われてるわけ?」
つい口を尖らせる。
「いや、性格悪いっていうより、自分の信じた道を行く感じが」
円花は笑い続けたけど、私は、その言葉にお父さんの面影を見た気がして心臓がヒュッとなった。
「いいね、フラダンスでフラッシュモブ。教室のみんなにも声をかけるよ。おばさんのために最高のフラにしよ! で、もちろん、花乃も踊るのよね?」
その言葉に、もう一度、心臓がヒュッとしたけれど、
「そのつもりでお願いに来たの。私にもレッスンして下さい」
私が頭を下げると、円花は、花が一斉に咲き綻ぶような、満面の笑顔で頷いた。