マーケティングはどこへ向かうのか
普段、思っていることを文字にしてないなと思いつつ備忘録的に始めてみました。
最近マーケティングやらデータとブランドやらとは何かを語る機会が非常に多いのですが、そんなものは立場や所属するものでいくらでも見方が変わると思いつつ、帰結するところは「それ金出して買いたいと思う?」という終わりなき問いと純粋な自己否定を突き詰めることであると思っている。
そして金を出すのはもちろん"人"である。
人の消費行動には大別すると2種類が存在する。
①お金で買えるものに対する消費
-モノ・サービスなど得ることで充足に繋がるもの
-それ自身(モノ・サービス)ができることが簡単に予想できるもの
②お金で買えないものに対する消費
(正確には買えたと明確にわからないもの)
-将来的な健康や病気への予防
-スキルなど定義化しづらいもの
-漠とした感情に対するもの
①は従来型のマーケティングファネルプロセスの最適化で行っていけばそれなりの成果を上げることができる。なぜなら、単純に分かりやすいからだ。
その代わりとても競争激化しやすいし、そのために打ち手(たとえば広告やプロモーション)が重要になってくる。
②はその見えにくいものの可視化から、つまり信頼性を用いた主張がないと正しいビジネスにならない。
それはよく"××の××%が実感"というような表現をされるものが分かりやすいかもしれない。逆にあり過ぎても怪しいビジネスに見えかねない。
上記2点の消費行動において、潜在的な顧客とどのように接点をとればよいか?
答えはもちろん「それ金出して買いたいと思う?」への回答があることだ。
いずれにせよ強烈なビジョンや製品・サービス力を見せられるか、
もしくはそれがないと"ヤバいのではないか"という疑心・必要性をわからせるものである。
より分かりやすい言うと、「無くても困らないものに如何に"それなり"の理由を言えるか」、である。
"それなり"、というのは人によって置かれてる環境が違うため人には人なりのという意味である。(個々に違う事情に必然性や蓋然性をもたらせるか)
そのためには人なりの"なり"を掴むことができないと芯を喰ったご提案ができない。
買ってもらうハードルが高くなる一方で、
市況としては同意が取れた以外のデータが扱いづらくなることも予想される。
つまり、どのように納得してデータを提供してくれるかという環境自体から創り出して行かないといけない。
それは同意してもらうに至る手前にかなりの投資が必要になることを意味する。逆をいえば、そこへの投資から適切な効果を生み出せば、同意さえとれれば購入に至るコストは下げられるとも言える。
また、購入してもらうことがゴールではなく、サブスクリプションビジネスに見られる"買い続けてもらうビジネス"がこの市況においてはマッチすることが想定される。
なぜならば、単品購入に対する利益率ではそれまでにかけた納得させるためのコストを回収できないこと、仮に回収を見込んでそこまで製品金額を引き上げるに足る魅力を見せづらい情報環境だからだ。
例えば今ここで、水を新発売しても売る、というのは難しい。そして、売れ続けるようにするのも難しい。
だが、毎週水が日本の各地の水どころから届く月額サービスと言ったら興味が出てこないだろうか?
さらにそれが2週間無料、興味があったら続けてね、という建て付けだったら、ぐっと心理ハードルは下がるだろう。
ポイントはこのハードルを下げる体験に耐えるビジネス構造にすることだ。
これらの手法は"2 STEP"型と呼ばれる。
主に通販で培われた手法だが最早すべてのものがEC化してる世界では普遍的な考えになりつつある。
上記の"なり"と"2STEP"をとらまえ、「お金を出したいな」と思わせることができるものがマーケティングヒットメーカーになっていくだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?