先日会った男子学生の話。
ある学校の行事でお笑いライブがあり、それに出させてもらった。
コロナ対策ということで各客席にスペースを設けていて、その関係で全校生徒では見られないので公演回数を増やして行い、普段なら少し話すことができる実行委員的な生徒に会う事もなく、今年は異例のシーズンとなっている。
そんな中、出番が終わり楽屋として使わせてもらっている教室に向かう途中、ひとりの学生が恐る恐る近づいてきた。
手には普段使っているであろうノートを持って、すこし震えながら話しかけてくれた。
「サインしてください。ラバーガールさん、小学生の頃から観ていて好きです!」と。
小学生の頃から観ていた、これは最近よく言われる言葉で、自分の芸歴の長さを感じ毎度ぎょっとする。
まあ高校生なのでたった5,6年前と考えれば当たり前なのだが、
四千頭身さんとか、20代の同業者に言われるとなおさらハッとさせられる。
ぎょっとしたりハッとしたり。
その学生に「ありがとうねえ」なんて答えると続けてこう言った。
「小さいころにはわからなかったボケが今になってわかって本当にすごいなあって思います!」
みたいな事を。
この言葉がなんだか嬉しかった。
たまに、自分が面白いと思う事が、どうしても自分の年相応の事になってしまうので、面白いと思う事が年々古い感覚になってるんじゃないか、若い子に合わせにいってしまってるのではないか、年上に気に入られようとしているんじゃないか、といった不安と戦っているような気がする時がある。
でもこの彼の言葉を聞いたら、
若い子や感性が合わない人も、何年かしたら知識や経験が増えて、今は笑えなったり理解できなかったこともいつかは笑ってくれるんだ、
今の自分がわざわざ合わせにいかなくてもいいんだ、と思えた気がした。
どんなエンターテインメントでも、知識や経験があるからこそ感動できる、という事があると思う。
また、逆に知識があるゆえに「これは現実ではありえない」「昔同じようなものを観た」とつまらなく感じてしまうこともあるので、
「経験がないから感動できる」というどちらのパターンもあるのは確かだ。
どちらにしても、何かを称賛・批判をするのは、自分の経験知識の有無からくるものなので、
何かの発信者にたいして、褒めることはいいとしても、頭ごなしに批判をすることは理不尽だなあ、と感じる。
執筆活動の糧になります。いつもありがとうございます。