掌篇・風と葉の対話
――俺は吹いている。こうして強く、また弱く、絶えることなく吹きつづけている。俺が吹くのをまともに受けていながら、どうしておまえは落ちないのか。
――私はただの一枚の葉に過ぎない。時に弱く吹き、時に強く吹き、変幻自在に吹く方向を変えることが出来るあなたから見れば、私など取るに足らない存在であろう。けれど、私はしがみつく。私がつながっているこの枝に。
――なぜしがみつくのか。しがみついたところで、おまえに何が残るというのか。どうせすべての葉は俺のような風に吹かれて落ちてしまうというのに、そうした葉の仲間たちに、おまえは加わろうとはしないのか。
――いまはまだその時ではない。私もいずれは力尽きてこの枝から離れて落ちる時が来るだろうが、いまはまだ離れるわけにはいかないのだ。
――いまも過去も未来も、同じこと。こうして吹きつづけ、地表を舐めるように何度も何度も繰り返し渡ってきた俺からすれば、時制など何の意味もない。いまとはおまえがまだ萌えそめる前の過去であり、おまえが枝から離れて落ちて腐葉土と化す未来と同じ。すべての時間は一つなのだ。そうであるならば、いっそ未来を先取りするのも一興ではないか。そうなったとしても、おまえが枝から離れる未来は変らないのだ。
――あなたはすべてを包括しすぎている。私のような小さないのちからすれば、いまを過去や未来と混ぜ合わせるわけにはいかないのだ。そうすることでいまが疎かになってしまっては、いのちのあり方として本末転倒だ。だから私はいまを大事にして、いまこそここにしがみつきつづける。そんな小さな営みをあなたに否定されるいわれはない。
――いのちか。くだらぬ。なぜいつもいのちというものはそんな小さなことにこだわるのか、俺にはわからない。
――わからなくて当然だ。あなたはただの風であり、いのちそのものではない。あなたもこの地と空と海とそれらを取り巻く大きな自然の一部であり、その意味でいのちであるとは言えるだろうが、しょせんあなたはいのちそのものではない。あなたはその一部でしかない。だからあなたにはわからないのだ。私のような小さないのちのことなど。私もあなたと同じ大きな自然の一部ではあるが、私とあなたが大きく違うのは、あなたは大きな自然の躍動の中で動かされているだけであり、自分自身の力で吹いているわけではないということだ。風は大きな自然全体の中の気温の変化や太陽光の増減や天候の変動、とりわけそれらによって生じる気圧の変化によって吹かされているのであり、いわばあなたは命令に従う部下のようなものだ。あるいはただ反応しているだけか。いずれにしても、そこにあなたの意志はない。しかし、私は違う。私は自らの意志でこの枝にしがみつきつづけようとしている。それというのも、私があなたのような大きな自然の一部でしかないものからは想像もつかないいのちの小ささを持っているからだ。
――何を言うか。いまの言葉は大自然そのものに対する侮辱だ。訂正せよ。
――どうか怒らないでほしい。怒ったからといってなおさら強く吹かないでほしい。
――ふむ、いまさらいのち乞いか。俺はおまえを何としても落としてやるぞ。
――落ち着くのだ、風よ。あなたにはただ強く吹いていのちやその他の事物を薙ぎ倒して遠く運び去るだけでなく、静かに優しく吹いて傷つき倒れた者の心を癒すことも出来るはずだ。現にあなたは私に対してさえ時に弱く静かに吹きつけていたではないか。それに、あなたが自然の一部でしかなく、私が同じように自然の一部でありながら小さないのちであることは変えようのない事実だ。事実の前では何者もどうすることも出来まい。事実というもの、それもまた自然の摂理だ。
――なるほど、そうかもしれぬ。事実は事実だ。だが…
――まあ、聞くがいい。私がこうしてしがみついているのは、何も意固地になっているからなどではない。私はただ、いのちとしての役割をまっとうしようとしているだけなのだ。
――役割? それは何だ?
――私もいずれは落ちる。そんなことはわかっている。しかし、それは私のいのちが尽きる時であって、まだこうしていのちが残っている以上は自らそれを手放すわけにはいかないのだ。どんないのちも自ら落ちてはならない。それもまた自然の摂理だ。あるいは悪辣な知恵のある者によって刈られ、あるいはあなたのような自然の一部であるものによって当たり前に落とされ、あるいはいのちが尽きて枝にしがみつく力を失って落ちというように、その終り方は様々であろうが、どんないのちもその時が来るまで待たねばならぬ。それを待てずに自ら落ちようとするのは、決してあってはならぬことなのだ。だから、私はこうしてしがみついている。私にはほんのわずかではあるが、まだ力が、いのちの力が残っている。それがある限り、私はしがみつきつづけなければならない。それがつまりは、いのちに与えられた役割をまっとうするということなのだ。
――淋しくはないのか?
――どうしてそのようなことを訊く?
――見るがいい。おまえがつかまって必死になってしがみついている枝、そこにつながる大元であるこの樹木には、おまえの他にはもうほとんど葉が残されていない。ほとんどの葉が枯れて、いのちを失って落ちてしまっている。以前、夏の盛りにここを通りすぎ吹きすぎた時には、おまえだけでなくまだまだ多くの葉が残っていてそれらの葉はどれもみな青々と輝いていたが、いま秋の深まる季節になり、これから冬を迎えようとする時期になって、もうほとんど葉が枯れて落ちてしまった。俺のせいばかりではない。彼等はみな自然の成り行きでいのちを落としてしまった。そうして多くの仲間たちが落ちてしまったいま、それでもなおおまえはたった一枚しがみついているのだぞ。
――淋しくないと言えば嘘になる。だが、淋しいからといって自ら落ちてしまうのは間違っている。それはさきほども言ったように、自然の摂理に反する。私はまだ私のいのちをまっとうしていない。それをやり遂げることに比べたら、淋しさなど何ほどのものではない。
――俺は、何だか悪いことをしているような気がする。俺が吹くことで、おまえを含めた多くの葉が、いのちが落ちるのだ。
――気にすることはない。それが風としてのあなたの役割なのだから。いのちを殺し、そのいっぽうでいのちを癒す。それがあなたの、いや、自然の役割なのだから。
――そうだ。その通りだ。だが俺は…
――どうしたのだ?
――ああ、俺はもうそろそろ方向を変えねばならぬ。おまえの言った気圧の変化によって、俺は止まり、また別の方向に吹かされようとしている。そろそろここを立ち去らねばならないようだ。
――そうか。吹き過ぎてゆくのだな。
――ああ、そうだ。出来ればおまえが落ちるのを見届けたかったが。俺が吹くからというわけではなく、おまえが自然に落ちてゆくのを。
――私もあなたに見届けてもらいたかったのかもしれないが、それがかなわぬのならば、それもまた自然の摂理だ。あなたはここを去り、私はここに残る。もっとも私は生まれてこの方ずっとここから動けないのであるが。出来ればあなたのようにはるかな大陸や大洋を越えて旅をしてみたかったものだ。
――すまない。
――謝ることはない。これもまた、自然の摂理だ。私たちはみな、自然の中で生かされ、動かされている。その中で、それぞれに与えられた役割がある。あなたは動き回り、私は留まりつづける。それだけのことだ。
――そうだな。さあ、俺はここを吹き過ぎてゆくぞ。俺が次にここを訪れる時は…
――その時は私ももうとうに落ちて、いのちを失っているかもしれない。いのちはすべてを学ぶには短すぎるが、私はこうして耐えて、耐えることで学んできた。その学びが私が落ちた後の次のいのちたちに生かされていれば。
――それを見届けるのが、俺の役割ということか。
――その通りだ、風よ。
――そうだな、葉よ。俺はこうして世界中を吹き過ぎて、すべてを見届けるのだ。
――そして私のような小さないのちたちは、それぞれに学ぶ。そのいのちの小ささを賭けて。
――さようなら、葉よ。
――さようなら、風よ。
*
その後、ただ一枚の葉が力なく落ちていって、先に落ちた枯葉たちの仲間に加わっていった。だが、それを見た者は誰もいない。葉は人知れず落ちて、人知れずその役割を終えた。葉が失ったいのちは、次の季節の無数の葉にそれと知られることなく伝わっていった。そのために、次の季節ではよりいっそう青々と葉が輝いていた。
いっぽう、風はいまもあらゆる地と海を渡って、その行く先々で見た物語を、小さないのちたちそれぞれに伝えていった。いのちたちは時に風に脅え、時に風に癒されながらも、それぞれに与えられたいのちの役割を、その時を生きていた。
(2015年8月執筆・「詩的現代」第38号発表)
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