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管理される日(エッセイ)

出来る人間!といえば忙しいスケジュールをサッとこなす人を想像する。

出来る人間は特別秀でた能力があるより、
任されたことをキチンとこなし、付随して
色々な仕事を受け持ったり、日常をこなしたりと割と誰でも出来ることを当たり前にできる人間のことなのだ。
これが意外といない。

私は出来ない側の人間だが、
本気を出せば出来ます。
タイプなのでタチが悪い。

出来ない側の人間なりに何故出来ないのか考えてみた。

第一にやらなきゃいけないことより、
今しか出来ないこと、つまり目先の楽しいことにすぐに囚われてしまうのだ。


楽しいから他の仕事を後回しにするという考え方もあるがどちらかと言うと、期間限定のイベントや、遊びの約束に弱い。
次が無いかもしれない。そう思うと無理しても行きたくなる。

次に大体のことはどうにかなる。と思っている

子供の頃からこういう性格だったので今までの経験上どうにかなったのだから大丈夫だろうと思いがちなのだ。

最後にスケジュール管理がめんどくさい。

スケジュール立てるのにも時間がかかる。
とりあえず仮に入れて置くのが苦手だ。
遊びの予定は遊びだからと割り切れてポンポン入れていけるのだが、やらなきゃいけないことは少し身構えるので簡単にカレンダーに書かないのだ。
逆にやる気のある時は詰め込み過ぎてしまうのだが、、、

つまり出来る人間はスケジュール管理が上手い。スケジュールさえ決まっていれば我々もそっち優先しないとと思う。我々はフリーだから目先の娯楽にハマってしまうのだ。

スケジュールというのは中々難しい。
24時間という限られた時間の中で、以下に浪費しないかが肝だ。
ご飯作ったり、洗い物したり、洗濯したり、、
日常の事をこなすには、より細かいタイムスケジュールが必要だ。

一人暮らしして最近思う、、結構めんどくさい
(お母さんありがとう)

だが、そんな私を見兼ねてなのか最近インスタの広告でご飯を管理してくれるサービスを見つけた。

それはご飯が毎日家に届き、レンジで温めるだけですぐに食べれて、健康管理も行えるというものだ。

メニューも豊富で美味しそうだ。これは普通に便利だと思った。
料金もコンビニくらいだ。量を考えれば少しお得感がある。運んでくれてるわけだし。
と、同時に思った。
これはまさに冷蔵庫をピって押したら
好きな食べ物が出てくる。という子供の頃考えてた妄想と同じだと。

こんな上手い話があっていいのだろうか。
人生の半分くらいの楽しみを占めている食事を手間無く食べれてしまったら、食事の有難みがなくなってしまうんじゃないだろうか。

いつかきっと、身の回りのもの全てが我々を管理していくだろう。いつからか家は我々の管理下ではなく我々を管理する側になっている。

また、ここまで我々は管理されて効率化を図られて人生何をしているのだろうか。
生活感というものが失われつつあるのでは無いだろうか。

人間以外の多くの動物は食事をするために必死だし、人間だっていつ、ひもじい思いをすることになるか分からない。

安全と健康が保証された世界でこれ以上何をして生きていくのだろうか。

生活を割愛させ、遊びと仕事に全力な毎日は
果たして生活と言えるのだろうか。

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