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倍音 音・ことば・身体の文化誌(著:中村明一 春秋社)を読む

今回読んだ本は倍音に関する本なのだが、「倍音」と言われて「なるほど、倍音ね。」と分かる人はどれだけいるのだろうか。僕は少なからず音楽の本を読んだり、音楽をやったりしているのでそれなりに知っている方だと思うが(…結構あやしい)、そういう音楽に積極的に関わろうとしている人以外はあまり馴染みが無いように思える。そこで、自分も改めて勉強する意味も込めてここで少しだけ倍音に関しての基礎知識をおさらいしておこうと思う。

倍音とは「音に含まれる要素の中で最も低い周波数(基音)以外の音のこと」である。そもそも自分たちが聴いている音は多くの場合様々な音が集合してできたものだ。例えば、レギュラーチューニングをしたギターの6弦の開放を弾いて「E」の音を出したとしても、その「E」の基音だけがなっているわけではなくそれに付随して様々な音が出ているのである。その付随して鳴っている音が倍音というものだ。もう少し詳しく見てみよう。

まず大前提として覚えておきたいことは音が「ある媒質の圧力変化が聴覚によってとらえられたもの」であり、それは波の性質を持っているということだ。「ある媒質の圧力変化」というのは、例えば机を叩くとか、ギターの弦を弾くなりして物質を振動させ、それらのエネルギーが空気や水に伝わるということだ。ここでの媒質は空気や水などの音を伝えるもののことである。そして波の性質を持つということは波長と振動数を持つということだ。子供のころなわとびの縄を振り回したことだないだろうか。地面に縄を引き一方の持ち手を持って思いっきり振ると縄が順々に盛り上がっていく様が見られたと思う。その山の幅の長さが波長で、その間隔がどれだけ細かいかというのが振動数である。また音に関して言うとその振動数が音の高さを決めている。ちなみに音量は先の説明でいうと山の高さになる。あらためて整理すると音は波の「振動数」が「音の高さ」を決め、波の「大きさ」が「音量」を決める。

さて倍音の説明に戻ろう。ここに糸をピンと張ったシンプルな弦楽器があるとする。それを弾いてみると、当然弦が揺れて音がでる。その揺れはこんな感じだ。

しかし、弦の揺れ方は一定ではなく、このような揺れ方だけをしているわけではない。他にもその揺れの感覚が短くなったり、乱れたりする。下の画像のように。

そこで先ほどの大前提を思い出して欲しい。音は振動数(波の間隔)が細かくなると音が高くなるのだった。ということは一つの弦を揺らしただけでも多くの高さの音が鳴っていることになるのだ。その中で一番最初の画像のように一番なだらかな揺れのことを基音といい、それ以下の二つの画像たちのようなものを「倍音」というのだ。(ちなみに二つの画像の音は基音を単純に二倍、三倍…としたものなので整数次倍音という。「E」だったら二倍音は「オクターブ上のE」、三倍音は「B」になる。そしてもちろん整数次倍音だけでなく<非整数次倍音>もある)

ざっくりした説明で、わけわからないという人が大半だろう。もしかしたら説明が間違っている部分もあるかもしれない。そこは話半分で受け止めて頂いて、とにかく音は『聞き取っている音高だけが鳴っている音ではない』ということをわかっていただければ幸いである。

それでは改めて本の内容に移ろう。今回読んだ本は「倍音 音・ことば・身体・の文化誌」だ。ストレートなタイトルからわかるように倍音をテーマにした本である。著者は作曲家、尺八演奏家の中村明一(なかむら あきかず)氏。尺八音楽を活動の基礎にしながら、バークリー音楽大学、ニューイングランド音楽大学院で作曲とジャズ理論を学んだり、ロック、ジャズ、現代音楽など幅広い活動をしている人らしい。この本の中に出てくるのだが、中村氏が音楽を始めたきっかけは最初から尺八だったわけでなく、ジミヘンドリックスに衝撃を受けギターを手に取ったからというのが面白い。そして音楽にのめり込んでいった末に尺八と出会ったのである。だからこそ、幅広い活動やこの本の内容が音楽だけにとどまらないものになったのだろう。

そう。この本はサブタイトルにあるように「倍音」が音楽、ことば、文化にどのような影響を与えていて、またどのように利用されてきたかというのが書かれているのである。ここでさらに大雑把に内容をまとめると、音が使われている様々な場面(音楽や会話など)で印象的なものを取り上げ、それが何故印象的なのかを「倍音」という側面から読み解いていき、また西洋と日本の「音の感性」の違いを同じように音楽や言語から検証し、日本文化について理解を深めていくといったものだ。そしてそのキーワードが「倍音」の中でも「整数次倍音」と<非整数次倍音>だ。整数次倍音は波形が規則的でギラギラした音の印象をもつもの。音楽の音と言われてパッと思い浮かぶ音がこれだ。<非整数次倍音>は波形は不規則でカサカサした印象の音を特徴としている。机を叩いたり、風が葉を揺らす音など自然音の独特な響きを形成していたり、言語で言えば子音の音がこれにあたる。これらが音楽や言語にどのように現れてくるのかというのがこの本の面白いところである。

感想。一応、僕は倍音や音に関して予備知識をもっていたつもりだったが、結構馴染みの無い記述も多かったりして読み始めて数章はなかなか読みづらかった。西洋や日本の音楽の特徴や、西欧の人と日本人がどのように脳で音を理解しているかなど、「本当にそうなの?」とか疑ってしまったり、それが上手く理解できなかったりして、読み進めていくのに大変苦労した。しかし、第四章の日本の言語に関する記述で一気に引き込まれた。試しに今、この文章を読んでいる人は

「死」と「師」と「詩」

を発音して欲しい。ゆっくり丁寧に。気づいたことがあるんじゃないだろうか。どれも文字で書けば読み方は「し」だ。しかし、全て違う音の「し」になっているのだ。左から順に「sh」の発音がなくなっていき、母音「i」の音が強くなっていく。この本によれば日本の言語は重大な時ほど<非整数次倍音>(今回だったら子音の「sh」)を強く発音するようになっているらしい。

これを読んだ時の興奮といったらない!同じ「し」でも全部違って、それを僕たち日本人は聞き取っているのだ。これはもしかしたら空気を読むという日本の独特の文化にも影響を与えているかもしれない。知らず知らずの内に人は倍音を聞き分け、その人が元気がないのか、なにか隠しているのかを感じ取る要素として利用しているのだ。また外国の人が日本語を話した時の違和感もそこからくるのかもとか考えられる。(もちろんこの段落に書いたことは僕の妄想だが。)とにかく今まで読みづらかったものがここで一気に繋がったりして最高に気持ちのいいアハ体験だった。

まとめ。この本は音に関する先入観みたいなものを取っ払ってくれる本だった。「日本人は耳が悪い」なんて話があったりするけれど、それはただの一面的な見方で、聴覚の感じ方は文化によって全然違うものなのだと教えられた。それに自分たちが聴いている音にもっと注意を払おうと思った。僕は音楽にしても展開やギミックみたいなところに注目しがちで、肝心の音は置き去りにしていたのかもしれない。まぁあんまり自分はセンスがないと思っているので聞き取れなかったりするのかもしれないが。それでももう少し注意を払おうと思った。(今回はこの本の尺八の部分には触れなかったけれど、尺八のすごさがわかる本でもあるのでそこぜひしっかり読んでいただきたい)

以上、「生涯グータラ気味!」でおなじみのとばりのカシオがお相手しました。

※倍音といえばやっぱりお経ですよね。

参考図書

音律と音階の科学 著:小方厚 講談社

学びなおすと物理はおもしろい 著:牟田淳 ベレ出版



読んでくださってありがとうございます。サポートしていただいたものは、読みたい本がいっぱいあるので、基本的に書籍代に当てたいと思っております!