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秋がそろそろ終わりそうで焦る

最近ベッドに横たわってダラダラとしていることが多い。本当はそんなことをしている場合じゃないけれど、さほど元気もなければ、昨日もやらなかったようなことを今日になってやる気にはならない。

このノートも今ベッドで書いている。この場所というのは本を読むには中途半端に暗くて、眠るためにはいくつかの電気を消さなければならないし、消すとしたらそれは寝る時だからまだ消さないでいる。

近頃からなのか前からなのかは忘れたけれど、たまに深く息を吸うと、どこからともなく甘い匂いが香ってくることがある。本当に出どころが不明なのだけれど、危ない薬品を家に入れた覚えはないから特に危機感も抱いてはない。そのために今、それがどんな匂いであったのかもよく思い出せないでいる。ケーキの生クリームのような香りだった気がする。あるいはクレープ屋の中身みたいな匂いだった気もする。いずれにせよ、フルーティであったり、あるいはキシリトールのような人工甘味料の匂いではなかった。生クリームといえば、僕は少し前にこれでもかというくらいにバニラの香りがするエッセンシャルオイルをあちこちに垂らして、糖尿病を心配しながら肺の中の空気という空気をバニラの甘い匂いで埋めていたことがある。さてはその匂いかと思って、しばらくは開けてなかったバニラのオイル瓶を開けて鼻を近づけてみた。けれど、そこで嗅いだバニラの匂いというのは、少しの柑橘みたいな爽やかな酸味と、花とか果実とか、とにかく甘い匂いがしそうな植物から採取してそうなまろやかな甘味とが組み合わさった香りであって、決して僕がかろうじて覚えているような、生クリームあるいはクレープ屋にあるような香りではなかった。なので、ますますわからないでいる。この匂いがどこからきたのか。あえて知る必要はないかもしれない。脳の錯覚でさえあったのかもしれない。とにかく悪い匂いではないので、特別被害が出たりしない限り僕は何もしないし、そもそも何もできない。

ところで、僕はクレープが好きだ。あのお店の中のむせがえるような甘い匂いも好きだ。でも何よりも僕は、”クレープそのもの”が好き。基本的に僕は甘いものが好きなのだけれど、食べたら食べた分だけ量が減るような、本物の甘いお菓子には、かけた期待以上のものが帰ってきたような記憶があまりない。なので、僕はクレープが好きだし、街中を歩いていて見かけたら必ず買いたいとは思っているけれど、実際に買うかどうかはまた別の話だ。
“クレープそのもの”の何が好きなのかといえば、まずはバナナとか、キャラメルとか、チョコレートとか、単体で食べても美味しいものを全て同時に組み合わせようとするその図々しさだ。そしてそんな図々しさ、「最初から別々でいいじゃん」という言葉を、クレープの薄い皮一枚で全て飲み込んで解決させる包容力というべきか、一つ一つが個性として成り立っているものを、一つしても成立させてしまえるようなリーダーシップがクレープにはあって、それは否応なしの事実として僕に突きつけてくる。
単体として成立しているものは、当然単体として食べたことがあるのだから、僕はバナナを食べて、「あぁバナナを食べたな」と思うし、チョコを食べて「あぁチョコを食べたな」とも思う。バナナを食べた時に、そういえば誰彼はバナナが好きだったなとか、チョコを食べた時に、そういえば何々がなんだったなとか、それぞれについてそれぞれの連想が始まることさえある。でも、クレープは違う。チョコもバナナもキャラメルも、クレープとして食べてしまえたら、それはもうクレープそのものでしかなくなってしまう。個としていたものが、一変して一つの要素でしかなくなってしまう。実に恐ろしくて、だからこそ素晴らしいのだ。
僕たちはクレープの存在を甘くみてはいけない。パフェだって、同じことが言える。長くなるし主張も同じだから割愛。

今日は秋晴れだったけれど、これから寒くなるのかな。そう思うと、気が滅入る。僕は、冬はあまり好きじゃない。寒いのは、痛いのだ。それに寒さを凌ぐためにたくさん服を着れば、それだけ動きづらくなる。暖房はなんだかジメジメするし、僕の住む地域は雪も降らない。
ある日が涼しかった。次の日も涼しくて、その次の日も涼しいと僕は冬の到来を感じて少し落胆する。テレビのニュースだと、明日は夏日が復活とか、どうのこうのといっているけれど、体感する限りでは大した変化はない、ような気がする。

ずっとずっと秋だったらいいのに。季節感要素の夏も交互に入れて、秋夏秋夏。いつまでもどこまでも紅葉が目に入ったらいいし、スーパーに甘い果物がずっとずっと並んでいて欲しい。ほどよく飽きた頃合いに夏に入って、それは梅雨もなくて、セミは鳴くし山は青い。セミ爆弾は存在しない。そんな夏がきてくれたらいい。僕はこの夏どこかで演奏するために久石譲のSummerをギターで練習した。それが似合うような場所で演奏がしたいな。VRCの中だと時折したことがあるけれど、夏が似合うワールドといえばみんな考えることが同じなのか、たいていすでにワールドBGMでSummerは流れてるし、そうでなければ誰かが動画プレイヤーで流してる。

僕の小学生の時代の夏はなんだか微妙だった気がする。近くに遊ぶものがなくて、友達も少なく、絵もギターもやってないからずっとゲームをしてた。いや…ちょこちょこ近所の友達が家に遊びにきてた気もするけれど、人との関わりが苦手で門前払いしてた。今思うと申し訳ないことをした。人との関わりが苦手だったくせして、ああして断るといつも罪悪感で胸がいっぱいだった。
今の僕だったらあの時よりもずっと上手く夏休みを過ごせる気がする。
タイムトラベルしたい。なんなら、トラベルついでに田舎の学校に転移したい。当時のクラスごと。僕は、校舎に侵入した犬と戯れてみたい。その昔滝の下で遊んだ時に、滝壺の近くにあるツルツルした石をずっと持ってた。夏の間だけラムネのビー玉は宝石だった。花火の音はうるさくて、ツクツクボウシの声とぬるい風が服の隙間から通るのを感じたい。セミの抜け殻さえダメなくらいに、虫は苦手だけれど、もし誰かと一緒だったら?いいや、多分それでもダメだな。

僕は秋に終わってほしくないし、涼しめな夏が来てくれたらと思う。

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