こころともつかないけれどたゆたうよこのこころとの住処さがして

ふとおもう 悩みの種の 切除って 何科に行けば いいのだろうか。
閉じれとも まぶたのうらに すみついた かげの足跡 不意に揺らげば、
梅雨あけて 夏を見んとす この命 そこまでもつか 確信はない。
病気とか あったわけでは ないけれど そこはかとなく やな感じする。
だから今 草葉に向かい うそぶいた こわいさみしい その他もろもろ。
すごいだろ これがにんげん 煩悩さ 種坊主には 抱えきれない。

なんとなく俳句に折句、仕込みたい。ごめんむずすぎ。いまあきらめた。

フレンドが 結構すごい 良いポエム を書いてたから 僕も書きたい。
そう思い 書いてるノート 文全て 短歌調に なってることを、
君は今 気づくだろうか 正直ね めちゃむずだから もうやめたい。
字余りしても この際いいや。
ホントはね もっと切ない 言の葉を 綴ろうとして がんばったけど、
あまりにも この書き方に 慣れないから うまく言葉が でてこないんだ。
心意気 だけはさながら 明治歌人 僕はこういう 文をかきたい。

ほんとうに あたしでいいの? ずぼらだし 傘もこんなに たくさんあるし

まほぴ(岡本真帆)

なによこれ あまりに良すぎ なんかもう いいやってなる みじめに思う。

この部屋で死んだら発見者は何を避けて何なら踏むんだろうか

佐伯紺『いつでも急な雨に備えて』

何食えば こんな文章 書けるのだ ぼくはもうだめ これ以上は、
下の句が おもいつかない 上の句も  しかしふしぎと やめられない。
ときにきみ 福沢諭吉 を知ってる とおもうけれど かれのしるした、
教科書が 僕は気に入ってる その名をば 世界国尽 地理の教科書。
内容が いちから十まで 七五調 リズム合わせて 読むと楽しい。

でもすごい 偏見だらけで なんだかな と思うことも あるっちゃある。
新聞に 書かれた悪口 秀逸だ「ほらを福沢 嘘を諭吉」
昔から こういうものは 変わらんな なんの話を してたんだっけ。
ああそうだ 儚い文を 書きたいね そんな話を したかったんだ。
よくよくと 考えてみれば これってさ 本末転倒な気がするな。
短きに 歌って描く 人模様 長文はもう 短歌じゃなくていい。

ここからは自由律だ!もう知らねえ。押韻がどうした、係り結びなんてでろでろにほどいてやる。古典で習った伊勢物語とかみたいに長々と地の文が続いた後のクライマックスに短歌を持ってきたほうがたぶん一番読み物としては盛り上がる。思えば現代にああいう構成ってみかけないけど誰もやらないのかしら。

あとね、普通に詩って、書きたいんですよ。英語でポエットですね。誰だってそういう時期はあると思うんだ。でもねえ、僕はリア友がインスタのストーリーに長いポエムを投稿してるのをみると、いつもゾワっとしちゃうんだ。そのゾワゾワを覚えてるから、なんだかんだ書くのに抵抗がある。結局恥ずかしくなるタイプのポエムと、一種の感傷を引き起こす詩との間の区別があまりつかない。
その手の話でいったら僕はこれがすき

題材最悪だけど、よい。こういうの書きたいねえ。

また日を改めようと思う。

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