雑記:「自分とゲームと友達の、切っても切れない話」

ぼくはゲームが下手だ。

今までやりこんだゲームをあげていくとしても、
コンパスは銅アイコンを取れるとこすら行かなかった。最高は多分S5をキャリーで連れてってもらっただけ。
apexはプラチナ床ペロ、ヴァロは最高ゴル3で、他ゲーなんてもう見る影もなく弱かったから、ランクとか付けないでエンジョイ勢だよ笑、なーんていって誤魔化してた。

ただ沢山ゲームをやって、色んな話はできても、所詮強いところの話なんて全然わかってなかったし、キャリーとかランカーとかいうそんな強いひとを指す言葉とはもう全然、程遠かった人生。強いゲーマーをみて、あーこうなりたいなとデスク前で燻り、泣いた日もあった。

でもゲームは好きだ。


すごく、大好きだと思う。
今じゃもう、無い人生が考えられないぐらいには。

ゲームが好きなのは、下手は下手なりに頑張ってたっていう思い出補正的なのもあると思うし、なにより周りに優しい人が多かったのもあると思う。てか優しい人が多かったのほうがデカい。

いや、今思い返してみると、人に恵まれすぎていたような気もしている。恩人が多すぎて体からはみ出ちゃうわ。

ぼくがバチくそにキレまくって機嫌悪くなったり、上手くいかなくて愚図りだしたりとあう赤ちゃんもビックリのクソムーブをカマしても、なんだかんだ遊んでくれる人々。
お母さんかな?まじでごめん、ありがとう。

それと、弱くてもゲームというものは基本楽しいもんで、調子が良ければ、世の中で1番ではなくても、その試合で1番になれる。
多分ずっとやってればね。絶対じゃないけど

それに合わせてノリいい仲間が「おっ、この試合1番やん、やるやん笑」なーんて言った日には、その言葉を胸に抱えて気持ちよく寝れるだろう。スヤスヤやで。


だから嫌いになるとこまで行かなかったんだと思う。
やってた人が、とかやってたゲームが、とか、まあ諸々考慮できるところはあるだろうけど、無難に嫌いにならず、どうにかなってきた。


まあただ無難にとはいっても、ゲームが嫌いにならなかっただけで、0じゃない。

思い出すだけで苦い記憶(例えばモメたとか、試合の構成や方向でいがみ合ったとか)も沢山あるし、なによりもはや思い出したくないことすら沢山ある。そりゃ人生もそうなら何だってそうだったら、もちろんゲームだってそうなる。世知辛いねえ。

そんなときに、その都度色んな人と遊んで、笑って、話す度に、どうにかなってきた。
例を挙げるとするならば、ある人は慰め、ある人は気晴らしに別ゲームにて全部の敵を一緒に薙ぎ倒して、ある人は私の話を気が済むまで聞いてくれた。

そのぼくがダメになった時の、色んな気持ちの重さの比重を受け持ってくれた人達(今いるひとも、今いないひとも含めて)に、ぼくは今、感謝以上に何かしないとはいけないんだろうな、と思う。

まあこういうの、大体救った側は全然気付いてないんだろうけど。
というかそんなつもりで助けてるやつとか、きっと一人もいない。

なぜなら先述したように、みんな(善性の塊みたいな)いい人で、人に恵まれすぎていたから。
そのせい(おかげ?)で、恩着せがましいぐらいにぼくは永遠に「だって恩人だしなあ」と言っているけど、みんなは疑問に思って「そうかなあ?」等と言っている。

気付いてないだけでずっと救われてたぞ!その優しさで、ずっと救われてきていたのに!


…なーんて、思っている。
でもその言葉の裏にはこの1000文字くらいの気持ちが籠っているなんて、口が裂けても言えない。言ってもキツイぐらいに重すぎる。ダル重じゃなくて、キツ重やね。

だからこうやって文字に起こしている。

バレたらクソ恥ずかしい黒歴史ノートと同じ感じだ。でもいずれ、悟られていくものだから、バレるのが早まるだけ。ならギリ無傷。


まあなんだろう、そういうやつらのおかげで、今もゲームが嫌いにならないでいる。

だからこれからもきっと、誰かに救われ続けているだろうし、まあそうじゃなくてもゲームが嫌いになることはないだろうなと思う。

だってそういう人たちのおかげで、体にゲームなしの生活は無理って刻まれちゃったから。
血肉になるのは、衣食住、そしてゲーム。
同じぐらい、大切。

もちろん、遊んでくれる人々もめっちゃ大事。

これからもね、程よく、体調崩さん程度にゲームやりたいなぁって思う。みんなとバカやって遊んでたい、ずっと心はガキンチョのままでいい。そう思う。

とりあえずやり込めるゲームとか、これからも色んな友達作りを頑張ろうと思う。
友達100人どころか、ゆくゆくは1000人ぐらい。もはやひとつの国出来そうな気がしてきた。
頑張ってみよ。

これからもどうか、よろしく。

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