15の私が真正面から「15歳の主張」を聞いてみたら


はじめに

こんなタイトルで失礼します、とある人という者です。
普段は、ボカロを聴いている人間です。
さて今回は、こんなタイトルで始まった通りに「15歳の私が15歳の主張という曲を聞いた」ことの感想ノート、いわば備忘録のようなものです。
夜中に書きなぐってるので、文章が支離滅裂になっているかもしれません。拙い駄文ですが、最後まで見ていってくださると幸いです。


最初に、一つだけ正直に白状させてほしいことがあります。これ無しじゃ、今回のノートは語るのがしんどくなると思います。

私は、傘村トータさん(以下敬称略)の曲があまり好きじゃなかった。ごめんなさい。
これで仮に好きな人がフォローを解除しても、しょうがないと思います。合う合わないの問題なので、合わなかっただけだと思います。

苦手ってだけで、嫌いではないのでそこは誤解しないでください。私は、そんな曲を作るあなたを尊敬しています。
こんな形にしてしまって申し訳ない。


どうして?


その発端はわからないけど、それは唐突だったと思う。
そもそもバラードを聞かないからだったかで、傘村トータを初めて見つけた時に、「贖罪」を聞いてふと思ったことがあった。

それは、「歌詞が苦手だ」ということ。

なにが苦手かと言うと、「穢れなき独白」だったり、「バカにしてくる人へ立ち向かうもの」だったり、そんな穢れなき歌詞だった。
私は感情の吐露を表現するのが極端に下手で、その上、上記の二つに当てはまるような勇気も、穢れなき心もなかった。


私は傘村トータがいろんな人の間で話題になり、曲や、傘村さん自身を推してる人もいて、そのうえで気になって聞いてみて驚いて。
私はこんなこと思いたくなかった。なんで傘村トータの曲に真正面から向き合えないのか。悔しくて泣きそうになった。

フォロワーさんが思ってることを私は何一つとしてそうは思えなくなった。悔しい。
最近だと「晴天を穿つ」が話題になってた。それは聞けなかった。「わからない」「苦手だ」って、そう思いたくなかったから。


前にツイッターで少しだけその一件について漏らしたことがある。

https://twitter.com/seikiri_42/status/1281393686803173377?s=20

https://twitter.com/seikiri_42/status/1281393994333696001?s=20

https://twitter.com/seikiri_42/status/1281406324564090880?s=20


その際に、「LIFE」や「(小説物語シリーズ?)」の曲を薦められ聞いてみるも、やっぱりダメで。

一生聞けなくなるのかな、なんて。聞かず嫌いではなくなったけど聞けなくなるのかな、なんて。

今のボカロシーンを語るならほぼ必須であろう傘村トータの曲を聞けない。
そして、フォロワーがその話をしててもわからなくなる。悲しくなった。


転機


「苦手だ」と思い続けた私は、キャス中にて少数のフォロワーが聞いている状況でそれを白状した。
誰か許してほしかった。あわよくば、私は傘村トータの曲を真正面から向き合いたい。少なくとも「聞かず嫌い」という概念で嫌いにはなりたくなかった。

そういった中で、視聴者と一緒に考えてみてある一つの発想に行き着いた。
「15歳の主張って曲が、傘村トータ曲の中にあるんだけどさ、折角だし今こんな年齢だから聞いてみて真正面からぶつかろう。」
端折ったが、こういうことだった。何故15歳の主張を知っているかというと、とある一人のフォロワーの推し曲だからだ。

だから、今回のノートは厳密に言うと
「傘村トータ曲が苦手な私が真正面から向き合うために、15歳の私の心境で15歳の主張を聞いてみた」ということ。
私の挑戦の備忘録。そして、感情を書き殴って残して置くためのnote。こんなしょうもないことをnoteにしてしまって申し訳ない。

でももう少しだけ、付き合ってほしい。


15歳の私が真正面から「15歳の主張」を聞いたら


簡潔に言うと、「ボカロ曲で珍しく泣いた」。苦手だったけど、どうしようもなくて泣いた。


15歳は、葛藤する歳だ。
みんなが通った道でわかる通り、
例えば、修学旅行があって仲間と笑ったり泣いたり、
高校受験があって、そこにドラマがあったり、
中学の仲間とは結局離れてしまったり、新たな季節の風が吹いたりする。そんな歳。

だから、「もう高校生だから」「受験生だから」「ほぼ大人なんだから」って言われる。
そして、いろんな人の言葉を聞いて、いろんな人の表現を得て成長する、「思春期」という時期も重なってるような一年間。

それをどこまでも一つのピアノで、人間に近く、芯のあるkaoriの歌唱、そして歌詞で表現してる。
傘村トータの曲。いつもの、変わりなき綺麗な曲だった。


歌詞を引用させてもらいながら感想を述べさせてほしい。


勝手なことを言うな
なんにも知らないくせに
あんたの人生観を
私に押し付けるな

そんな安っぽい言葉で
私の生き方を語るな
何の責任も取る気がないのに
人の人生を決めるな

誰よりも他人と比べて
私を苦しめておいて
他人は他人、あんたはあんた、と
都合よく主張を変えるな

肝心なところでは
人を半人前と見なしておいて
私の頼りないところを突いて
もう大人だろ、と言うな

私の人生は私の人生だ
あなたのものじゃない
私が歩いてる
私の人生は私の人生だ
あなたのものじゃない
私が歩いてる

知らないふりをするな
人を縛りつけておいて
私の一部に巣食う
暗闇はあんたのせいだ

人の揚げ足をとるように
言葉尻だけを掬うな
私の優しさを逆手にとって
どこまでもつけあがるな

私にだって強さがあれば
言いたいことだらけだ
でも牙は封じられて
噛み付くことすらできない

中身をみようともせず 型にはめて
人の価値を決めるな
勝手に過剰な期待をしておいて
失望したような顔をするな

私の人生は私の人生だ
あなたのものじゃない
私が歩いてるのに
私の人生が私の人生として
こんなに生きづらい
こんなに息苦しい

私の人生は私の人生だ
あなたのものじゃない
私が歩いてる
私の人生は私の人生だ
私は生きている
私が生きている

私は生きている
私が生きている


確かにこう思う。ここまで綺麗でなくても。

「勝手に私に全部押し付けないでくれ。私の人生だから全部自分で決めさせてほしい、私が生きている人生だから。」

まとめるとこういうことなんだと思う。15の誰もが悩むようなことだ。
少なくとも私は今そう思っているから、とても刺さったし泣いた。
ここまで心がわかるような曲があるか。ここまで苦しみを救うような歌詞が。

ここまでくると、歌詞が苦手じゃなくてこれは、「全部わかられて苦しいのがわかってもらえる故の苦しさ」だった。
全部見透かされているような気がして、苦しかった。嫌いになれないし、苦手にもなれない。こんな曲は。

どこまでも綺麗な言葉で、ピアノで、どこまでも芯があって伸びた声が、全部かみ合って良さを引き立たせていると思った。ずるいなあ。

15の私が聞けて本当に良かったと思う。真正面から向き合おうと思って本当によかった。

おわりに


私はまだこれからも苦手なままだ。きっと。
でも、向き合えてぶつかってみて本当に良かったと思う。少しだけ、興味が沸いた。
でも歌詞が苦手、という感情はきっと消えない。だから、少しずつ、少しずつ聞いていってみようと思う。

この曲を作ってくれてありがとう、今ならそう言える。


これが本人に届くなら、私は謝罪しないといけない。見ようによっては、前半はアンチコメントでしかない。
創作の妨げになる。私はそうしたいわけじゃない。だから謝らないといけない。
私の言葉なんか気にせずに、曲を作ってほしい。あなたを推してる人に向けてほしい。こんなこと言った後で、手のひらを返してるようだけど。

結局のところ、15歳の主張を聞いた15歳は、泣いた。
全部見透かされていたようで。苦しくて、しんどい15歳を救うような曲で、とてもよかった。

そんな曲を書いた傘村トータは凄いと思う。


私の一方的な感情noteと曲感想noteを混ぜてしまって申し訳ない。でも、それ抜きで話すnoteは薄っぺらくなってしまっていたと思う。
あと、隠したくなかった。この感情にウソをついてnoteにするのが嫌だった。ごめんなさい。


最後に、夜に感情だけで書き殴った駄文noteを、ここまで見てくださりありがとうございました。

曲を作ってくれた傘村トータ、並びにnoteという表現方法を提案してくれた海石さん、ありがとうございました。

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