死を感じる出来事がなかった人間が死について考えた ~終活できる"幸せ"~

先月、NHK「ドキュメント20min. わたし【終活】しています。」というドキュメンタリーを見た。内容としては20代3人がまだ先であろう"死"を見据えて終活を行っているというものだ。1人は病気をしたことで死を意識するようになったというが、2人はそういう経験はなかったという。何気ない日常の中に終活っぽさをいれる人もいれば、遺書をとにかくお世話になった人たちに届けられるようにとたくさん用意する人もいた。

今のSNSでは「死にます」や「首吊ります」といった自殺をほのめかす投稿がわりとよくされている。これを書いている日も2回似たような投稿を見た。SNSでこういうことを発信することが当たり前とは言わないし、言いたくもないが、珍しいことではなくなってしまった。死にたいという欲を持った人がSNSの発達で続々と表面化しただけとは思いたいが、年々自殺者の数が増えているのが現状だ。

先の番組を見たことやSNSの投稿で「死」とはどういうものなのか興味が出てきた。興味が出てきたと言っても死にたいとかそういうわけではなく、あくまでそう考える時の心理とかが気になった。(じゃあなんで心理学を深く学べるような大学に行かなかったんだと自分に思うことがある)
「自殺」についてざっと調べて見てみると、死ぬ直前までは結構普通に生活していて、ふとした時に決行してしまうらしい。だから止めるにも止められないことが多くなっているそうだ。そうなるとなかなか難しい。
逆に「自然な死」に関しては大体これくらいに死ぬんじゃないかと悟る時が多いであろう。
その死に向き合って、人は終活をする。
でも悟らず、年を取らずして終活をする人がいる。少なくとも3人は。

今回、人間の面白い部分が見れたと素直に思う。
死に方がどうであれ、「死」というものがどういうものかは死んでみないと分からない。でも早かれ遅かれ人間はいずれ死ぬものだから過度に恐れる必要はないのではと個人的には思う。こう言うと、その意見は死を感じることがなかった人間の意見にすぎないと言われるかもしれない。でも、「死」に対する向き合い方って結局ほとんどの人がそういうものなのでは?という気持ちが強い。うーん、「死」ってなんだろうか…
自殺 と 他の死に方 は別物として考える必要があるかもしれないな…うーん…


でも、色々考えたってどうせ死なねえからと思って考えることを止めちゃうんですよね(笑)
一時期ヤバかった時を乗り越えた経験があるんで(笑)

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