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能力とは?

小泉進次郎氏の能力はいかにと問う声が喧しいが、その当否や是非はさておき、能力というものについてスポットを当てると、ほとんど突き詰められてないと感じることが多い。
以下他人を俎上に乗せると角が立つので、私自身のことについて述べる。
完全な自分語りになってるので、苦手な人は読まない方がいいかもしれない。

私の能力を自己評価すると、瞬発力や発想力は別にして、カテゴリー的にはセンスで笑わす芸人に近い。

例えば、横断歩道上の園児がこちら向きで驚いた表情をしている写真があったとしよう。これを見せられたら、手前側から園児に車が迫っていると想像するのが普通だろう。
だがお笑い芸人は、この先入観を覆して笑いを取る。
しかも一流どころは即答で。

このとき何をやっているかというと、横断歩道-驚いてる-園児-自動車、という鎖を一旦バラバラにし、そこから一つから複数、またはその他写真に写り込んでる物体を数個取り出して、別の連想を働かせている。
芸人である以上の笑わせなければならないので、当然その条件も加味しながら。

このとき、関連が近すぎても遠すぎてもいけない。
繋がっていないようでギリギリ繋がってるラインを捉えたときに、センス芸人の面白さが表れる。

私がここ、noteでしていることもこれに近いと言える。
つまり、先入観を崩してギリギリ繋がる別ルートを提示している。
この別ルートが結構な割合で、いかにも真実に見えてしまうことがあるが、それはちょっと違う。
と言っても私自身、書いているときは真実だと思っているのだが、しかし実際は先入観を疑わせるためのビックリ箱、といったところが妥当だろう。

では、このビックリ箱を作る作業は楽しいか? と問われれば楽しい。
が、この代償なのだろう、人間関係や日常生活において当たり前がよくわからなくて判断が遅れ、支障をきたすことがよくある。
これには本当に困っている。

つまりタネを明かせば何のことはない、当たり前との距離感が普通の人より遠いがゆえに、相対的に当たり前を疑えるハードルが低い。その欠点とも長所ともなる特性を発揮しているだけなのだ。

子供の頃からそうだったから、一生付き合っていくしかないだろう。
不幸とも思ってないが、無い物ねだりでチャッチャと行動できたらなと思うことはよくある。

纏めに入るが、上記で示したように能力というものについて、他人との大雑把な比較で満足するのではなく、どんな能力か具体的に限定した方が絶対に良い。
でないと、他人についても自分についても、過大評価と過小評価の間で右往左往し、傷ついたり傷つけられたりすることになるのがオチだ。

まず手始めに、各自自分自身のことから始めるのが良いだろう。
誰しも他人より自分のことは詳しいはずだから。

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