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008_母に無理やり入団させられた思い出のボーイスカウト!

「備えよ常に」
ボーイスカウト創始者のベーデンパウエル卿の言葉です。

こんにちは。トレトロです。名前のとおり、レトロが大好きです。
フリーランスのWebディレクター兼デザイナーをしています。

レトロ好きの仲間の飲み会で、よく昭和50年代(1970年代後半)の話をして「なつかしい!」と、皆で盛り上がっています。

そこで、勝手にレトロなお裾分けということで、
昔の話をnoteにまとめることにしました。

子どもの頃に、突然やってきたブームについて書いていこうかと思います。

あくまで、私の周辺の狭い話となってしまいますが、楽しんでいただけますと幸いです。

さてさて、今回のブームは・・・

ボーイスカウトブーム

皆さんのなかには、1980年代初頭、ボーイスカウトの入団体験に参加された方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

私もその1人で、、、

ある土曜日の午後、母に連れられて行った場所は近所の神社でした。
そこには私と同じくらいの年齢の子供たちと母親たちが集まっていました。
しばらくすると、ネッカチーフをしたお姉さんがやってきて
何やら説明を始めます。

その後、私を含めた子どもたちだけが集められ、母は帰宅。
私がボーイスカウトに入団させられた瞬間でした。

知らない子ばかりでいきなり孤立…

ボーイスカウトは、住んでいる地区によって「第◯団」と団組織があり、
おおよそは、通っている小学校の校区によって分けられているようでした。
神社に残された子供たちは、「〇〇先生が〜」と学校の話をしていましたが、
私には聞き慣れない名前ばかりです。

子どもA:「オマエ、何組?」
私     :「3組」
子どもA:「オレも3組だけど、オマエ見たことないな…」

そうなんです、母は違う校区のボーイスカウトに入団させたのです。
「学校も同じ、放課後も同じ、同じ人と同じ環境ばかりにいるのは
よろしくない、視野を広げて欲しい」と思ってのことだったらしいですが、
小2の子どもにはありがた迷惑なだけでした。

人見知りの激しかった私は、周りの話についていけず
あっという間に孤立してしまい、
なんか暗いやつというレッテルを貼られ、軽く仲間はずれに合うのでした。

まるで子供会のような定期集会(イベント)

厳密に言うと、ボーイスカウトは小6からで
小3-5の3年間はカブスカウトというボーイスカウト予備軍に属します。
ブルーの制服です。(ボーイスカウトは茶色)

私が属したカブスカウト隊は全部で30名ほどで
1チーム5-6人で分けられ、それが6チームほどありました。
普段は、チーム単位で活動します。

チーム構成は、カブスカウトの子どもが5-6人、
そしてデンマザー、デンダッド、デンチーフという
保護者的な年長者が3人付きます。
デンマザーとデンダッドはチームに属している子どもの母親と父親が、
デンチーフはボーイスカウト隊から選抜され一年の交代制で役を担っていました。(後に、私もデンチーフを経験しました)

隔週土曜日だったと思いますが、
コミュニティセンターや図書館の会議室などを借りてチームごとの
定期集会がありました。
当時の小学校は、土曜日は午前で終わりでしたので、
下校後、制服に着替えて集会に参加です。

で、集会では何をしていたのでしょうか?

工作大会みたいなのや、音楽会(歌をうたう)…
工作では、ダンボールを使って椅子やテーブルなどの
家具を作った記憶がありますね。
ほかにも、いろいろやっていたとは思いますが、
思い出せるのはこれくらいです。

あと、日曜日にハイキングや小旅行などに行った憶えがあります。

ハイキングは、お弁当のおにぎりが美味くて好きでした。
スカウト弁当という、ソフトボール大のおにぎりの中に
シャケ、昆布、梅干し、おかかと4種類の具材が入っているんですよ!
これ食べるのが、ほんと楽しみでした。

月に1-2度はカブスカウト隊全員が集まって、
バーベキューやゲーム大会を行います。
夏休みには、キャンプに行くなど、
小学校の子供会に近かったように思います。

子供会にはソフトボール部があり、大会もありましたが、
カブスカウトにもソフトボールやサッカーなどの球技大会があり、
小学校のグランドを丸一日借り切り、さながら運動会のようでした。

よく、「子どもは仲良く馴染むのが早い」とかいわれますが、
人によると思います。
私は、カブスカウトとして過ごした3年間、
正直そこまで馴染めなかったですし、イベント事が憂鬱でしたね。

流されて、半強制的にそのままボーイスカウトに

カブスカウト期間が終わる直前、
脱退するか、ボーイスカウト隊に入隊するか意思を問われた際、
「やめます!」とはっきりとボーイスカウト隊の隊長にお伝えました。

その日の晩、ボーイスカウトの団長(隊長よりエラい人)が
「続けてみないか?」
と私の家にまで説得に来られました。

「今やめるのもったいない」「将来、必ず役に立つ」
と団長が言ってました。

母親は、「わざわざ自宅にまでうちの子を思って来てくれた!」
と感銘を受けたらしく、団長と共に私を説得しはじめました。

はじまったボーイスカウト隊の日々

なんだかんだで、結局ボーイスカウト隊に入隊することになりました。
経緯はよく憶えていません。

ボーイスカウト入隊後は、やることがいろいろ増えました。

技能章という各種スキルの取得。
ハイキング章、救急章といった数十種類以上の章があり、
設定された各項目をクリアすると、ワッペンがもらえ、それを制服の袖に縫い付けていくのです。
例えば、ハイキング章なら「道に迷ったときの対処法」「ハイキングの企画書提出」など全8項目ほどあり、ひとつ一つチームリーダーに教えてもらいクリアしていきます。
章ワッペンは、全体集会の際にボーイスカウト隊の隊長から直々に皆の前でもらえます。

技能章(左)とネッカチーフ(右)
技能章ワッペンは右側の袖に縫い付けました。
ネッカチーフ(通称ネッカチ)は広げると確か70-80cmくらいあって結構大きく
救急用具として三角巾としても使えると教わりました。

その他、ロープ結びや手旗信号、モールス信号、時計なしで時間を測る方法(通称スカウトペース)、地図の読み方など、覚えることが盛りだくさん。

定例イベントの数も若干増えましたが、
大体は、カブスカウトのときと同じくらい。

変わったのは、大騒ぎ系のイベントが増えたかなということ。
体育会系のノリですね。

ボーイスカウト隊は、年長者に大学生の方が多かったので
自然とそうなったのだと思います。
カブスカウトのときは、年長者は父母保護者メインでしたからね。

大きなイベントでは、広大な原っぱで「ネズミの尻尾取り」という
鬼ごっこ的なゲームが恒例行事となっていました。
ギャーギャー叫びながらズボンのお尻ポケットに入れたネッカチを、
尻尾に見立ててチームに分かれて奪い合うというもの。
最後に残った1人が属していたチームの優勝です。

その他、各イベントごとに行われる、なぜか制服の脱がし合いっこしたり、湖に突き落としたりといった、この手のノリは苦手でした。

イベントは大体、午前に出発して山を登ってイベントやって
夕方の4-5時くらいに下山するというスケジュールでした。

定例イベント以外だと、
チームでハイキング計画を実行したり、キャンプに行ったり、
ガールスカウトの方々と合同ハイキングなども企画したりもしました。

ああ、あとデンチーフも経験しましたね。

秘密基地?いろんな拠点があちこちに!

ボーイスカウトには下記のような活動拠点がありました。

●スカウトハウス:川の土手に建てられたかなりボロいプレハブ小屋
ミーティングなどに使うそうですが、ミーティングは基本、コミュニティセンターやリーダーの家で行われるため、ほぼ使われていなかった。
冷蔵庫が置いてありましたが、電気が通っていないためか長い間使われていないようでした。雨漏りもすごかった。

●スカウト倉庫:もともとガレージだった建物を倉庫として流用
キャンプ用備品一式が納められています。
年一回、棚卸しと備品のチェックを行います。

●スカウトグラウンド:普通の公園で、第一と第二の2箇所ありました
主に球技大会の練習に使われます。
夏の夜には花火をしました。

●スカウト広場:とある山の中にある原っぱ
月に2-3回のハイキングやゲーム大会などの大きなイベントでよく使われました。一度付き添いの保護者の方がたばこをポイ捨てし、火事になったことがあります。皆で小便をかけて消したのは良い思い出。

グラウンドと広場以外は、あまり使った記憶がありません。
ハウスに至っては、知らないうちになくなっていました。
秘密基地みたいで好きだったのですが・・

思いのほか過酷だったボーイスカウトのキャンプ

ボーイスカウトの一大イベントはやはりキャンプで、
私はそれが大嫌いでした。
子どもの私には、しごきやいじめに感じられたからです。
楽しくなかった。

夏〜秋にかけて、何回かキャンプが行われます。
チーム単独のものもあれば、合同キャンプもありました。

私は、約30kgほどの荷物を担いでました。
新人や年下は、鍋やらテントやら、自分の荷物以外にキャンプ備品を持たなければならなかったからです。テントが重かったです。
リーダーや年長者のリュックは、私たちのよりひとまわり小さく、
軽そうでした。

当時のキャンプはというと、
荷物担いで、草木が生い茂る道もない山の中に入って行って、
整地するところから始めます。

各チームごとに最適な設営スペースを探し出し、
鉈(なた)で草や枝を刈り、テントスペースと
通路とトイレへの道を作ります。

次に地面を綺麗にします。
石類をすべて避けて、平地にし、テントを張ります。

そして、石を積んでカマドや炊事場を作ってから
薪や水を汲みにいきます。

ほとんど年下や新人の仕事です。

ご飯の準備はするけれど、食事をするのは
先輩方が食べ終わったあと。
当然、ほとんど残っていません。
茶碗にして半分くらいの米と
ほとんど具材のないカレーをいただきます。

食後の片付けや食器類の洗浄も、もちろん新人と年下のお仕事。
川辺に作られた洗い場は、愚痴を言いながら食器を洗う私たち年下や新人たちの憩いの場でした。

ちなみに、食事に関してキャンプに持って行って良いのは、
お米三日分と野菜など具材になるものくらい。
おやつ禁止、その他飲料水の持ち込み禁止でした。
もちろん、ガムや飴類なども禁止。
水は現地で汲んだ水を、カマドで加熱して冷まして飲みます。
(たいていは、ぬるい白湯)

あ、野草なども現地で調達して食べてましたね。
ちゃんと技能章にあるんですよ。食べられる野草の見分け方。

ボーイスカウトの上級、ローバースカウトと言われる大学生や社会人の方々は川という水源に近い場所にひと際大きなテントをはり、本部と名乗っていましたが、その本部から菓子やジュースなどの差し入れをしてくれます。

ですが、菓子はもちろん、ジュースも満足にもらえず、
ジュースなどは、ペットボトルの蓋裏に一杯(ひとくち)だけ。

どんな過酷な状況でも、順応できるようになるための訓練と言われました。

キャンプ初日の夜は、肝試し大会が必ずあり、
全員1箇所に集められ、先輩方から怖い話を強制的に聞かされます。

そして、気持ちが盛り上がってきたところで、
ひとりずつ懐中電灯一本だけ持って、暗闇の中を歩いていきます。
これが、思いのほかきつくて。山道を登って行くんですよ…。
怖いというより、しんどかったなぁ〜

まぁ、でも山の上から見る夜空の星は、
筆舌に尽くし難いものがありましたが。

「暗い=怖い」ではなく、「暗い+しんどい」だったおかげで
暗闇がまったく怖くなりなりましたね。

深夜だョ!全員集合!

深夜、2-3時頃には突然のホイッスルとカンカンカンという
鐘の音が響き渡ります。
なんだなんだと、起きてみれば、訓練でした。
「備えよ常に。」
の訓練。

制服をビシッと着て本部前にチームごとに集合!
厳しい服装チェックが待っています。
襟やネッカチーフが少しでも歪んでいようものならやり直し。
一旦、自チームのテントにもどってから再度本部前に集合。

そして一番集合が遅かったチームは罰が与えられます。
本部用の薪と水汲み要員として1日服役。

この訓練は、いつ行われるのかわからないので、困りもの。

キャンプ2日目のメインイベントは、ハイキングです。
起床後、弁当(おにぎり)と水筒に白湯を入れ準備をします。
そして、チームごとに地図を一枚渡されて、
その地図とおりのコースを歩きます。
途中、チェックポイントがあり、そこで待機している年長者のスカウトの方にサインをもらうというルール。

その地図にはチェックポイントの位置しか書かれていません。
つまり、地図を読んで、どの順番で各ポイントを回れば早くゴールできるか
判断しなければなりません。

また、各チームごとに渡される地図が違い、チェックポイント位置も異なるため道中で出会っても、助言ができないシステムです。

特に夏場は、歩き回ってノドが乾きます。
飲んで許されるのは、朝に用意した水筒の白湯のみ。
当然、足りるわけありません。

途中、自販機でジュースをこっそり買って飲んで
それがバレて、お尻にトレッキングシューズでキックされるという
体罰が与えられました。
そして、夜こっそり飲もうと思って
余分に買っていたジュースまで没収される始末。

訓練中、喉が乾くのは気持ちがたるんでいるからなのだそうです。

その晩、本部に呼ばれました。
軽く、お説教タイムです。
本部には、袋麺やお菓子屋やビール類がテーブルに散乱してました。
灰皿代わりのビール缶には、灰がいっぱい。
宴会?

どうやら、大人になったボーイスカウトは、訓練しなくて良いみたいです。
まぁ、彼らからすれば、単なる付き添いなのでわからなくもないですが。

ある時、あるチームが日暮れになっても戻らなくて、大人たちが探しに行くという事件が起こりました。
最低限、地図とコンパスを使えないとこういうことになります。

キャンプ最終日、メインイベントはキャンプファイヤーです。
ボーイスカウトでは、キャンプファイヤーの際、
必ずすることがありました。

スタンツといわれる5分以内の寸劇。
歌、おどり、コント、漫才…何をしてもOK!
だけど、オチはちゃんとつけないと、「え、終わり?」と
皆をシラけさせてしまいます。

一番おもしろかったチームに賞品が手渡されます。
(賞品が何だったか、忘れてしまいました..)

これが終わると、いよいよ明日は帰れるぞー!!
と、うれしかったものです。

「備えよ常に」 ほんとに、そう。

この新人の頃の経験があって、備えるようになりました。
キャンプに行く際には、隠し食品として必ず粉ジュースと夜食、飴などを持っていくことにしました。水筒も予備で3個携帯するように。
隠し食品はすべて個包装の袋から出して、
アルミホイルやラップに包んで持っていきました。
包み紙などゴミを見られるとすぐにバレてしまうからです。

ただ、夏のキャンプでは飴はドロドロに溶けて引っ付いてしまって
食べにくかったですね。

ちなみに、お夜食は袋麺の「チキンラーメン」です。
これを、夜中にベビースターラーメンのようにかじって食べるのです。
少々しょっぱいですが、お湯を飲むと意外にいけました。

また、夜寝る際には、こっそり制服を着て寝袋に入ります。
深夜の全員集合に備えるためです。制服=パジャマです。
テント設営場所も、本部の近くに。

備えよ常に。

ほんと、備えは大切です。

もしかしたら、このことに気付かせるための
キャンプ訓練だったのかもしれません。

これを3年間続け、私もチームリーダーとなりましたが、
中3になる少し前、中2の冬に、ようやく私はボーイスカウト人生に
幕を降ろすことができました。

(オマケ)大自然とボーイスカウトと

キャンプ以外にもいろんなイベントがあったはずなんですが、
なぜかキャンプの記憶だけが強く印象に残っています。

2年ほど前に、たまたま知り合った現役のボーイスカウト関係者の方が
最近はキャンプも、キャンプ場でしかできない
とおっしゃっていました。

これを裏付ける情報として、
私は大人になってから、社会人アウトドアサークルを主催する機会があり
ハイキングコースとバーベキューができる場所を探しましたが
ほんとにほとんど見つかりませんでした。
一部ありましたが、基本、直火禁止。
つまり、焚き火NGということです。
関係各所に尋ねましたが、マナーが非常に悪くなったのが原因だそうです。

ボーイスカウトで、あのサバイバル感を味わわなくて良いのか〜
と思うと、うらやましい反面、寂しくもあります。

キャンプでは、新人や年下のうちはほとんどの隊員が、
あれらの洗礼を受けてました。

妙な縦割り社会があって、先輩には逆らえない雰囲気が漂い、
母から聞いていた「スカウト同士助け合う」というボーイスカウトのイメージとは違う「主従関係」のような印象でした。

そんな中、同じ境遇の者同士、意気投合してキャンプ中お互いに助け合い
生き抜いてきました。

が、やめていく人も結構いて、
ボーイスカウト隊に入隊後しばらくして、全体集会で円型に丸く並んだとき、その円がやけに小さくなっていました。

あれ?〇〇君は?
知った顔が徐々に減っていきました。

同僚のひとりK君は、私の家のご近所さんで、
私がボーイスカウト隊を抜ける中2の冬までよくハイキング計画を練ったり、キャンプを企画したりしました。
ガールスカウトとのハイキングを計画したのも彼です。

キャンプ中は、常に空腹で、なかなか眠れず
遅くまで恋バナなどで盛り上がることもしばしばありました。
K君は担任の先生が好きだったようです。

私は新人のときに、一度だけストレスのせいか激しい嘔吐とともにたおれてしまい、キャンプをリタイヤした経験があります。

後年知ったことですが、私の所属していた団について
地区全体にとどろくほどの悪い噂が流れていたようです。
おそらくは、一部の者が起こした事件に
いっぱい尾ヒレがついたものだと思われますが…
(あまりに酷い内容なので書けません…)

あながち噂ではなく、本当のことではないのか?
とも思えてきます。

あまりに理不尽な所業に、何度か保護者からクレームが起き
隊長と団長が謝罪にくるような団でしたからねぇ・・


あの日、私の家に来て団長が言った言葉
「将来、必ず役に立つ」
何か役に立ったのかな?どうだろうか・・?

親に無理やり参加させられたボーイスカウトでしたが、
大自然の中で聞いた、あの川の音や風の音、
夜空いっぱいの星に感動したこと、
テントの中でK君と語り明かしたあの日々は
どれも良い思い出です。

社会人になってから、年に1-2回は1人でキャンプに行ってました。
1人でキャンプに行けるくらいには
知識やマナーを学べていたのではないかと思います。


今日のお話はここまでです。
読んでいただきありがとうございました。

次のブームでまたお会いしましょう!

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