自己紹介で話すべきこと〜”名前”について〜

私はブランドの名前も、土地の名前も、芸能人の名前もその人の職業もすぐに忘れる。

例えば、
「〜大学の◯◯と言います。」だけ紹介があってから十分ほどその人と話したとする。
帰ってから記憶に残ってるのは、その人の見た目と声としゃべっていた内容、一言で言えば「どんな人だったか」で、名前も大学も覚えてない。

私が人を紹介するときは大学名とか関係性とかは言わずに「〜に詳しい人」とか「…が好きな人」とかを紹介する。

実際、大学名を教えてからする「大学についての会話」は大して意味あるものではないと思う。大学名が良いからって理由でその大学選んだ人はそもそも中身がない人だと思うし、大学に入るのは、何か興味関心があるからであるか。大学が被ってるからって共通の深く話せる話題なんてないと思うし、(出身地とかも同様)自分の、相手の興味関心のあることについて語った方が良い時間になるのは当たり前だと思う。

「なぜ当たり前か」というと、興味関心のあることに対してはその人の方が他の人より自分より専門性が高い場合が多く学びになる。という単純な理由と、それに対して興味関心のない人に話した時「そもそもこれってどういうこと?」という質問を受けることが多いため、価値観を見直せるきっかけになるから。

だから、自己紹介で話すべきことは「自分が熱量を持って語れるようなこと」や「価値を見直したい、質問して欲しいこと」だと思う。
私は大学名、自分の名前なんて最悪覚えてもらわなくて良いから「どんな考えをしてるのかを知って欲しい」相手にもそう思ってる、「どんな考えをしてるのか知りたい」

出会ってから数時間「名前でちゃんと呼んだ方がいいよ」とアドバイスされたことがある。
正直わたしは二日間一緒にいても名前を覚えてなかった。
失礼だってわかっているし、覚えた方がいいのはわかっているけど。
その人の思考の特徴とかコミュニケーションの特徴とか言ったことなら今でも思い出せるけれど、名前や所属は覚えてない。

名前や所属はその人を形成する1要素であって、その人自身ではないし、名前で呼んだらその人の肩書の方を意識してしまう気がする。
「あぁそっか、この人は〜だから、私より…だし、こういう風に接しなきゃ!」とか思ってしまうのが嫌だ。

心だけ見れば、みんなフラットな関係でいられる。
セクシャリティも障がいも年齢も立場も、考えなくていい。
この人は自分と違うと思いたくない、偏見を持ちたくない。

尊敬するか否かを名前で決めるなんて間違ってる。
その人の価値を決めるのはその人自身で名前や肩書きではないのに。
肩書きがなんだからって非難するのも、肩書きがなんだからって優しくするのも、無条件にその人自身を見ずに「その人に対する言動」を肩書きで決めるのは間違ってる。

「こんなの平等じゃない!」って言ってる人は、「自分の価値を見直したか?」と聞きたい。
「肩書きを理由にしていないか?」
「それを求めてるのは自分自身か?」
なんとなくで権利を求めて、なんとなくで理由をつけて、それっぽいね!それっぽいね!って。

分類するためにも、扱うためにも名前が必要なのはわかるけど、「名前を覚える」は手段でしかない。それ自体に価値はない。
名前のせいでその人自身を見れてないことが多すぎると思う。

そういう理由で名前が覚えられない。というか、覚えたくない。
覚えたとしても、あまり重視したくない。

という私の気持ちをわかってほしい…

以上

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