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じいちゃんの形見やね

今年の冬、あけましておめでとうを言い合うのが落ち着いてきたころ、じいちゃんが死んだ。
最近米寿のお祝いもできていたし、最後の1週間弱は毎日お見舞いにも行けてたから、私自身、気持ち的にも意外とあっさりしていた。

私の祖父は、昭和一色の、いわゆる亭主関白自分勝手豪快無謀おとこだったらしく、妻である祖母、実子である母・叔母たちはずっと
「あのひとはねえ、ほんとに大変なひとやった」
と、仕方なさそうに笑いながらも、よく嘆いていた。

そんな祖父でも、孫の私には豪快な明るいじいちゃん、だった。
幼少期はよくお世話に来てくれ、もっと食べんと大きくならんよ!と、大盛りを強要される時以外は、基本的に好きだった。
そんなそんな亭主関白自分勝手豪快無謀じいちゃんは、ものづくりが大好きなひとだった。
昔のことはよく知らないけど、私が物心ついてからは皮細工にハマったり、70代あたり?で、“自動トイレットペーパー機”なるものを発明して、特許を取得するために家族がずいぶん苦労していた。
周りからは全然賛同されてなかったけど、いち個人、いち孫的には、
いや、よく作るわ、普通にすごいわ、
と感心する気持ちも少しあった。
そういうことなので、昔から祖父の家には祖父の作業場(しかも結構本格的)があり、夫婦2人で引っ越した小さな平屋の一軒家も、一部屋丸々作業場になり、庭の一角は機材やら工具やら、とにかくそこはごちゃごちゃもので溢れていた。

そういえば、
と、最近そのことを思い出していた。
実は私も小さいころから作業が好きで、すっかり大人になった今、簡単な手仕事をしたいと考えていたところで。
じいちゃんの部屋に残ってるもので、何か使えそうな道具があれば持って帰ろうかなー。
そう思い、ばあちゃんに断りを入れて、部屋を少し捜索させてもらった。

もう何年も入っていなかった祖父の部屋は、想像以上に工具や部品であふれていた。
今の私からすると、結構宝の山にも見えるんだけど、興味のない家族からしたらことば通り“ごみの山”だ。
崩れないように山を漁っていると、刷毛が何本か見つかった。

「ねーばあちゃん、刷毛、1本もらって帰っていい?」
祖母に声をかけると、すぐに、「いいよいいよ!どうせ業者さんに片付けお願いせんといかんちゃから」とokしてくれた。
私の祖母は、何でも、すぐいいよって言ってくれる。
おばあちゃん、ほんと大好き。

「なんに使うとね?」と、祖母。
「んー、最近古い棚を買ったかいよ、木材用の油塗ろうと思ってて」
「あ、そうね」
よくわかっていないのか、あっさり会話は終わり、そのあと支度をして祖母とお弁当をテイクアウトして帰り、父を加えた3人で昼食を食べた。

父に、祖父の部屋から刷毛をもらった話をした。
父自身も、以前祖父の電気ドリルをもらった話をしていたので、
私が刷毛をもらった話をしても嫌な顔はされなかった。
よかった。
話を隣で聞いていた祖母が、私のもらった刷毛を見ながらうんうん、と頷きはじめ、
「じいちゃんの形見やねえ」
そう言われた。


…いやいや、(笑)

なんか、すごくいい話っぽいけど、
ばあちゃん自身、普段じいちゃんの工具の話とか嫌そうに話してるやん!
いらんいらんていつも言ってるやん!
しかも私、そんなにこの刷毛にじいちゃんとの思い出があるわけでもないし、思い入れもないし、
たぶんじいちゃんも、ずっとつけてた時計とか、自分の作った皮の財布とか、そっちの方を形見にして欲しいんじゃない?

そう思ったけど、

「そうやねえ」

そう返しといた。



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