アンメット#11を見て
#10を見終わって、ドラマなのに妙に肌で感じていた。
ヒリヒリとではない、何か懐かしいあの感覚と同時に音の存在もあった。
懐かしいあの感覚は曾祖母の病室の光景。
あの時、三瓶先生の言葉がやけに納得できた。
―――――記憶が消えても思いは残る
曾祖母や祖父、祖母で経験した。
柏木さんは病気だが、余命が少ない中での思いだからもしかしたら違うかもしれない。かなり違うかもしれない。
が、年老いた人も脳の老化で記憶は消えていくが思いだけは残っていたような気はした。それはこちらの勝手な解釈かもしれない。
そんなことを感じながらミヤビ先生が倒れた時には衝撃を覚え、いろいろと思いながらあっという間に#11当日になっていた。
恐ろしい、時間の早さ。
#11はリアルタイムで見ていた。
が、もう一度見たい!と、なり、火曜日に1回、水曜日に1回と見た。
その際にXのポストにあった皆さんのいろいろな気づきや、#アンメット裏日記や#アンメットのタグを参考にしながらゆっくりと確認作業のように見ていた。
食事のシーンはおなかが空く。
生きているということはお腹が空くことだと再び感じていた。
そこに美味しく食べているミヤビちゃんがまた食欲を誘ってくるのですよ。星前先生や成増先生の頬張る姿に綾野先生の姿、そこに三瓶先生の前にあるお重のお弁当。
焼肉丼……大将、食べたいです(泣)
食事のシーンを見ながら思ったのですが、このシーンは幸せの構図にも感じる。
一人で食事をするのではない。
病室の一角での食事でもない。
仲間と話し、笑い、和気あいあいなんて贅沢な空間。意外と食事で?なんて思われるかもしれないけど、ミヤビちゃんがグミの話でしていた通り咀嚼のリズミカルな動作は幸せホルモンのセトロニンが分泌されるんだから偉大だと思う。それを画面から感じるのは大きい。
柏木さん(#10)で奥様が食事サポートをしているのが何度か映し出されていた。
介護食も同じで、ゼリータイプも舌でつぶすが咀嚼は必要。
つまり、咀嚼って偉大だ。
三瓶先生とミヤビちゃんが一緒に過ごす時間
余計な言葉、行動、動作がなくて、穏やかに感じた。
説明も不要
敢えて必要と思うのは……ミヤビちゃんの手料理はどんな感じですか?そこが一番知りたいくらい。
美味しいから黙々と食べているのですよね?三瓶先生??
寝てしまったミヤビちゃんを優しくベッドに寝かせるのも、大切な人を守っているというのを感じ取れる。
泣きながらミヤビちゃんが三瓶先生の絵を描く。
どんな感情だったのだろう?
私たちの立ち位置は置いてきぼりにされていない。
勝手に進んでいない、観客ではない。
一緒に体感しているような感覚。
三瓶先生が星前先生に電話した時も、どこかで頼っていることが分かり安堵し、森ちゃんが不安になる姿を見てこちらも不安になった。
大迫教授がタイミングよく登場したのもミヤビ先生が心配なんですね、そうなんですね?
みんながみんな揃ったオペ室を三瓶先生が見つめているのもまるで自分がその場所にいるかのように感じた。完全なる部外者、画面を見ているこちら側があの現場にいるような錯覚。
錯覚も錯覚、でも、あの場所にいるように思えた。
見学者の一人のような感覚。
もう感謝しかない。
伏線回収と言われているシーンも、なんといいますかね……本当に素晴らしかった。
グミはまさかのミヤビちゃんの受け寄りだったんかーい!
婚約者もミヤビちゃんも言ったのかーい!
最後の三瓶先生の『わかりますか?』は手術が成功しているのを口にしているんですよね。
だって、今まで自分の名前をミヤビちゃんに伝えていたのに目が覚めた時は伝えてないのだから。
あの終わり方は……明日に続くということですよね?
明日に
つまり、続き
続編を期待して待っています。
デレクターズカットを見たくて、DVD予約しました。
発売日まで楽しみに過ごそうと思います。
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