山崎(序から1の冒頭)

山崎

 山崎の坂を降りる途中で、足を投げ出して引き返した。自転車は、みずからが運ぶ進行方向とはべつの方向を付けくわえられたから、ハンドルだけのばあいよりも親切な迂回がたすけられた。地面、黒い押し詰めた硬さと駐車場の粒の大きい砂利が、それぞれのあいだにある本当のコンクリートを許している。さかのぼってみたら、公道でのルールを違反して坂をすっ飛ばしていると警察に止められてしまった人は、そのあと調べたら東京都か神奈川県かで、イヤホンを片方だけつけているのはオーケーらしかった。調べ物の確からしさは結局そのサイトの見映えによる?ずっとずっとそのようなことにこだわるだけの機能にのっとられるきっかけを、山崎の坂、きびすを返す瞬間が持っていたのだった。この迂回とは、ピンセット様のもので、数えることができるくらいの大きさだった。投げ出した足はこのいま感得した能力にのっとってみると一本だったのだ。スニーカーの底では、往来の粒を交換するいちばがあっても、わだちにもならない、9月くらいの山崎であるとの、物品たちの環境だった。

 いつか、待ち合わせをしているときにべつで連絡が来て、今日会う予定ではない友達が、成果をあげたと連絡が来た。完成品が完成した。
 携わっている人の顔が鼻メガネをつけてもいい。打ち上げ、しょっぱいクラッカーに開けられた穴はジャムを通さない。ねばねばしたものにも粒度があるイメージは、砂場の砂をお古のザルに通した記憶に由来があるらしいけど、しかしジャムはおおまかにいって静止しているのが違うのだった。ジャムの上にチーズを乗せて、カレンダー通り、楽しいパーティをやった。クリスマスの25日、彼は大声で歌ったかと思えば服を脱いで何人もいる。カタカナのものだけを顔を赤くして食べた。洗い物が増えないように使い捨てのコップをコンビニで買ってきて、バーベキューみたいになるし紙よりは箔がつく感じがする、ビニールのやつにした。二つの差額は40円くらい。財布に小銭が余ったかと思えば計画的に減らす、一週間くらいかかる調整が一晩で終わった。ロールケーキがかなり余ってしまって、パサパサになってしまったが、みんなの顔にむかって反応していたら食べられていた。
 スジはおくさんから「あれ、賞味期限もう一週間すぎてたよ」と聞いて「やばいやつじゃん」とかえす。一個で売ってるロールケーキはかなりリッチな食べ物だから、チーズか?といういきおいのみちみちの生クリームがフォークの股にはまって、唇の弾性で抜く。打ち上げでは余るようなほうを買って、そして余っていたのを覚えているらしく、正しくは、余ったからそういう性質のケーキであって、そうじゃないケーキがスジの家にあったかどうかは、想像することだけができること。
 ワイシャツにインドカレーがついてしまったので、かぎられた休憩時間をさらにかぎり、かなり行かない方にあるオリヒカに急いでいくようなことになったという。ミスが発覚するまえからいままで、耳にはお気に入りの音楽の白い無線のエアポッズがささっていた。店員がはなから覚えていることしかいわないというふうにスジはこの店を覚えていたから、再生しない機能もあるものの、支払いだけを済ませたが、そしてだから走ったとは聞かなかった。
 新しいワイシャツは、新しいだけでなく、汚れてしまったほうの代わりとするべく、当然スジのセンスにかなうものでもあり、そのあとも着てきていいるのをみた。再生を止めるどころか、接続を切ってからでないと仕事をしてはならない。ふたがしまる音がするとき、ケースのなかで最もひびいているのだろう、そこに入るのには大きすぎる人物には、音の会場との距離があったが、早足で消費した道程とくらべてもしょうがないし、そもそもスジはパーティにはいなかった。スジは実在していて、何かに抗うようにひょうきんであり、軽口を好んだ。溜まった水がひげと混ざり、スジの顔のあごはひそかに傷んでしまうこともあったかもしれない。

 恋をしている人からのメッセージがあってドキドキしてきた。
 友達の完成品を口実にしたパーティ、スジ、そうやって数えられる思い出からは保留というか、独立したタイミングで、集中して取りくむことになるだろう。さて、そして、やりとりは簡単なものになっただった。このそっけなさの美学は危ない。この親密さは一人分しかない。

 簡単な電話のほうは親密さを表現せずに、事務的なものに終始する。坂をもう一度登る、ちょうど運転はしていないのでそのまま挨拶で電話が終わった。
 短く切った爪だから指の腹を邪魔することなくプラスチックのフィルムの上をすべっていた。横着で親指だけ外した手袋が油断している犬みたいだった。経験していない別れが残っているせいか、電話口でで告げられたことは重大な悲しみを装った。こういう気持ちになるのかとその人は思った。イヤホンをまず、片方捨ててやろうか?合法とされているらしい姿になって、音楽を聞きながら、自転車を漕ぐ?中断されることで撃鉄は落とされた。水のような意志ではない、撃鉄に相当する決断で、そしてこれもまったく一人分しかなく、僕はなにも言葉に言わなかった。
 山崎の坂から一本入った道では大勢の喫煙者たちが落としていったタバコがみんなの習慣をかもしていた。自転車のスタンドが端っこをゴムで覆われて役目を発揮していた。
 見える限りの吸い殻を、半分くらい飲んだ100円のお茶と混ぜて死後の世界にきた。いまは税率が変わって100円きっかりでは無くなってしまった代わりに、種類が増えた。

 死は生と同じ期間、この場合28年間あるとわかった。山崎のあたりはもとより人口があるわけでもないので、街の人出も似たりよったりだった。前任の恒星の死も、あと数億年残っているようだったので、しばらくずっと明るい。地球はまだ死んでいないので、自転とかはなく、夜になったりはしない。けれど、土地よりも遅く生まれ、土地に先立った木とかが転々としているので、穴だらけの底に落ちたらどうなるんだろう。僕が会った死人はその時間のほとんどを移動につかうと山崎さんは話した。
「歩きながら考えるんです」

「まずは死んだそのときのことをふりかえるんだよ。あなたみたいに、自分で死ぬっていうばあいだと何に納得していなかったのかをふりかえってみるとか聞いてますよ。ただ、聞いていると、意外にこれは感傷的なものじゃないという人が多い気がするんです。」

「これはここを通っていく人たちに話を聞いて、なんとなくそんなようなパターンがあるなっていうくらいのものだけども。20年くらい死んできて、僕もそう聞いていろんなとこに行ったりしたこともありましたが、けっきょく僕はみんなみたいにうごき回るより、通りすがりの人と話すのがいまは楽しいんですよ。」

「生きてるときは、いつ死ぬかわからなかったけど、いまは残り時間がはっきりしてるじゃない。こうなっても僕の人間が変わるわけじゃなくて、そんなにアクティブでもなかったんで、僕は損得勘定じゃないけど、まあ混みあう感じでもないんだけどここにちらほらくる人と話したいかなあってね。それなりに、この土地に愛着もあるしね。なんせ山崎に住む山崎でしたから。ダジャレなんだけどね。」

「あとね、解釈の問題があるんですよ。僕は、アスファルトが死んでいるってのがわからないので、地面が結構穴ぼこだらけなんで、家とかはまあなんとなく壊れたら死んでる感じがするけども、にしても長距離移動はちょっとかったるいんですよね」
 
「議会っていうのがあって、そういうことを話しあっている人たちもいますよ。アスファルトで言えば、あの人たちは、どこまで死んでいるとするのか、命がないということが「死」ってこととすれば、無機物はそうじゃないか、いやでも、生きていたものが生きなくなってこそ死じゃないか、こんな具合で話しあい。僕も最初はふんふんって聞いてたけど、まあもういいかと思っています。」

「ありがとうございます。暇なので行ってみようかなと思います。」

 指令が飛びかうことによって自転車に乗ることができているけれど、ことさらそれを意識するのはばかばかしい。コマンダーにはかたちがないにしても、なんとなくすごく小さいのだろう。近くでやってるところまで教えてくれた山崎さんに一言お礼をする。
 
 

 1 市役所

 私が死んだのかと思った。もはや、私が死んだのかと思ったが、そうやって表現するにしたって、この表現をどうこうする準備ができているかわからない、というか考えたくない?ので、本当に私が死ぬまで、言わないな、と思い直したのだろう。あのあとのもろもろの急ぎの手続きが終わって、職場に戻るには、三ヶ月くらいかかった。コンタクトも切れたので買いにいったら、眼科にも行ってくださいということになり、保険証がすっごい薄いので、ぐっと取り出そうとしすぎてそのポケットの中身まるまる落としそうになったり、よく泣いちゃうのをぬぐうから指が濡れてるせいかな?と、冷静に、限界なのかもしれないという表示が私の生活を占めていく。

((本当に不定期で)続く)
(2022.2~)

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