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骨髄バンクとの出会い 人助けとの出会い(骨髄バンクへの登録 そしてドナーへ)

私の人助けとの出会いは骨髄バンクでした。積極的に人助けをするタイプではありませんでしたが友達の弟が白血病になったのをきっかけに骨髄バンクに登録し2008年に初めて骨髄提供を行いました。骨髄移植を担当してくださった先生が山形大学附属病院の小児科の先生だったこともあり小児科の病棟に入院しました。当時の私は6歳の娘と2歳の息子を持つ33歳の父親だったため子供は大好きでしたが、平日の小児科病棟は小さな子供とお母さんしかいないフロアなので、そこをオッサンの自分がパジャマで歩いていることがとても恥ずかしくて、気まずい思いをしていました。そんな時、入院している小さな子供から笑顔で「こんにちは!」と言われたのです。たったそれだけのことで私の暗い気持ちは一気に消え去ったのでした。病気のため頭にバンダナをしている髪の毛の無い小さな子供。恐らく大変な病気を患っているんだろうなというのが一目見てわかりました。そんな子が私のような、おどおどしているオッサンに笑顔で挨拶してくれる、絶対に優しく、良い子、自分の子どものように小さく、かわいらしい子が病気で入院していることへの理不尽さを強く感じたのと同時に、健康な人には困っている人を助ける義務がある!と初めて強く感じた出来事でした。あの時の子供の笑顔を今でも覚えています。今思えば、病気の小さな子供から大人の私が救われた瞬間でした。そして、これをきっかけに人助けに染まっていくことになったのですが、実はこの骨髄提供の時にもう一つ心に残る出来事がありました。骨髄提供からしばらくたったころに、私が骨髄提供した大人の男性からという手紙を頂きました。手紙はお互いに素性が分からないように名前を伏せた状態で2通までやりとりすることが出来ます。その手紙を開いてみたら、なんと提供した男性の娘さんからの手紙でした。「私のお父さんを救ってくれてありがとうございました。」と書いてありました。実は骨髄提供の話を頂いた際に、私は子どもも小さいこともあり、妻や母親から骨髄提供を反対され、自分でも今回は辞めとこうかなと思ったこともあったのです。それを思い出し、判断を間違えなくて良かった。危なくこの娘の大切なお父さんの命が失われるところだった。自分や自分の娘とも重なり、うわぁ~助かって良かった~と心からホッとしたのを覚えています。これらの経験から私の人助けは始まりました。そして、さらにもう一段深く、人助けへの思いを強くしたのは2回目の骨髄移植の経験からでした。次回に続きます・・・

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