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愛する猫を「安楽死」させました

【注】最後の、余計なお世話な質問に対する答えの部分だけ有料にしました。本編は無料です。


昨年末に,町の多くの人から約10年間愛されていた地域猫(私は「くろちゃん」と呼んでいたので,以後そのように呼びます)が顔に大怪我をしていたところを保護し,病院に連れていきました。最初に見た時の印象は(顔の四分の一が消えている…)でした。

検査の結果,くろちゃんは怪我をしていたのではなく,扁平上皮癌(皮膚癌の一種)が自壊し,膿みと出血に苦しんでいたことがわかりました。

その状態で再び外に出す決断は私には難しく,また,癌の進行が進み過ぎていて「手術も,抗癌剤も,放射線も,やれないことはないが効果は望めない」というのが獣医師の判断でしたので,くろちゃんには「緩和ケア」をして残された時間を我が家で過ごしてもらうことにしました。

抗生剤と痛み止めのおかげで一時期は元気を取り戻したかのように見えましたが,それでも癌は日々巨大化を続け,自壊し,最終的には顔が半分になってしまったかのような衰えぶりでした。保護時に3.7kgあった体重は,2.7kgまで落ちてしまいました。

激しい痛みのせいなのか顔つきはどんどん厳しくなり,毎日毎日,撫でながら「くろちゃんはかわいいよ」と声をかけていましたが,これは私が自分でそう思い込むように言っていた側面は否定できません。

くろちゃんは本当に可愛い子でした。

野良猫時代,初めて会った時から,くろちゃんのほうから寄ってきました。「くろちゃん,こんにちは」とあいさつすれば「にゃん」と答えてくれる子でした。足にすりすりしてきてくれましたし,お腹を見せて甘えることもありました。

うちにお迎えしてからのくろちゃんは,病魔のせいか,以前の愛嬌たっぷりのくろちゃんではありませんでした。それでも私はくろちゃんのことが大好きでした。

私にはくろちゃんに対して「負い目」があります。

くろちゃんを家族にしようと思ったのに,しなかったのです。それもそのような判断が少なくとも2回ありました。もし,早めに家族にして我が家で暮らしてもらっていたら,くろちゃんは扁平上皮癌にならなかったかもしれないのです。というのも,この癌は常に紫外線に当たっている外猫に多く発症するものだからです。

癌を発症していたとしても,一緒に暮らしていれば早期発見をして,回復を見込める治療ができたかもしれません。

くろちゃんを家族にしようと検討した最初は,2018年の春のことでした。「ペット可」の物件に引っ越した直後です。

外猫を家に迎えることをどう思うか,適当に検索して見つけた保護猫団体の人に電話で相談しました。「素人にはおすすめできない」というのがその回答で,もしお迎えするならば1週間など期間を限定して,問題行動等がないか試してみて,猫と人間の双方にとってハッピーかどうかを考え,無理そうなら「リリース」するように,とアドバイスされました。

これでちょっと尻込みしてしまいました。また,(飼うならやっぱり子猫からがいいかな)と思っていたこともあります。実際,この数日後にツイッターで里親募集されていた茶トラの子猫(生後間もなく母猫からはぐれてしまっていたのを優しいご家族に保護してもらった子)をお迎えしました。この子は「きなこ」と名付けました。

次にくろちゃんを家族に迎えることを検討したのは,きなこをお迎えして約1年後のことでした。きなこがあまりにも甘えん坊で,寂しがり屋なので「お友だち」を迎えることを考えていました。

この時もくろちゃんを候補に考えていましたが(猫エイズや白血病などの病気を持っているかも)(大人猫同士はうまくいかないかも)と考えて,結局は子猫を迎えることにしました。この子は「ぽてと」と名付けました。

結果論ですが,昨年末にくろちゃんを保護した際に検査したところ,病気は持っていませんでした。きなことくろちゃんの相性は,よくもなく悪くもなく,といったところでした。

外猫時代のくろちゃんとの大切な思い出として,こんなこともありました。

飼っていたリクガメが闘病生活の末に亡くなったとき,私はショックで深夜の街を泣きながら徘徊しました。いつもの場所で久しぶりにくろちゃんに遭遇しました。2月の寒い夜のことです。

くろちゃんは私を気遣ってか,またはとてもお腹がすいていたのか,私にずっとついてきました。普段はついてくると言っても十数メートルくらいのことでしたが,この時はなんと,うちの前までついてきました。結構な距離があります。

このとき,くろちゃんは私にとって「特別な猫」になりました。いや,特別な猫だったら家族として迎えるべきだっただろうとのご批判は当然ですし,私もそう思います。あの日,あの時に戻りたいです。抱きかかえて室内に連れていくべきでした(ただ,保護時にわかったことですが,くろちゃんは抱っこされるのが本当に嫌いで,激しく抵抗されて諦めていた可能性もあります)。

くろちゃんの闘病生活は過酷でした。

想像してみてください。顔の四分の一,三分の一,最終的には半分近くから常に膿みが出て,出血もある生活を。当然,癌の痛みもあります。食がどんんどん細くなっていました。

左耳の中にできた癌は拡大を続け,顔の左目より外側はほぼ癌になりました。神経がやられていて,左目は閉じることができなくて,常に開きっぱなしでした。

憎らしい悪性腫瘍は,顔の内側では脳に達し,亡くなる数日前からは足腰が立たなくなり,ぐったりと寝そべることしかできなくなりました。

これより前から何もないところで転倒するようになっていましたが,トイレに行こうと立ち上がろうとして失敗し,そのまま失禁してしまい,本当に悲しそうな顔を見せて以降,くろちゃんから「生きる意志」が消えたように感じました。

前の晩には15分近く水を飲み続け,よろめき,失禁してしまいましたが,それでも立ち上がることはできていました。

先ほど「亡くなる」と書きましたが,タイトルにある通り,くろちゃんは安楽死による死でした。

獣医師からは「(最終的には)安楽死も考えたほうがいい局面が来るかもしれない」と早い段階から言われていて,それが近づいていることも度々話題になっていました。

立ち上がることができなくなってから,私から主治医に状況を説明した上で「楽にしてあげてもらえませんか」とお願いをしました。「その状態ならもって2日くらいなので,家で送り出してあげたらどうか」と言われ,承諾しました。安楽死にも安くない費用(後述)がかかることを配慮してくれたのかもしれません。

前脚は硬直し,体温はどんどん低下していましたが,その「2日」が経過してもくろちゃんは生きていました。すごい生命力です。

私は我慢できなくなりました。我ながら酷すぎて許せないのですが「もう死んでほしい」と思ってしまいました。くろちゃんのためを思ってでもありますが,看病疲れでそう思ってしまったことも否定できません。勝手に保護しておいて,死んでほしいと思うなんて,自分が本当に許せません。

主治医に再度電話をし,「もう耐えられない。見ていられない。死んでほしいとまで思ってしまった。楽にしてあげてほしい」と泣きながら訴えました。

その後,少し落ち着いて状況を説明し,「では,今夜の終業後に,ご希望でしたら,楽にしてあげましょう」との回答を得ました。

自分でお願いしておきながら「安楽死」の三文字が怖くなり,少し考えさせてくれと電話を切りました。

大好きなちゅーるをあげてみて,食べたら家で看取ろうと思い,試してみました。食べませんでした。それどころか,顔を背けられました。

他の好きだったフードで試してもダメでした。妻にもやってもらいましたが,食べませんでした。くろちゃんは苦しげに一声鳴きました。

「今夜,楽にしてあげてください」と連絡し,病院に連れていきました。獣医師からは「この様子だと脳がかなり癌に侵されていて,脳死に近い状態です」と言われました。

猫の安楽死は,まず深い麻酔をかけ,その後で心臓を止める薬を注入します。

麻酔をかけました。麻酔をかける前と後で,様子はまったく変わりませんでした。(そうか,もう意識はほぼなかったのか)と,少し安心しました。この2日間,思っていたほど苦しんでなくてよかったと感じたからです。

心臓を止める薬を注入しました。予定量を注入しても,くろちゃんの心臓は止まりませんでした。「外で10年以上生きてきただけあって,すごい生命力です」と主治医も驚いていました。

ここで私は「やっぱりやめてくれ! 安楽死を中止してくれ!」と叫びたいのを必死に抑えていました。

予定量の倍を注入したところで,くろちゃんの心臓は止まりました。

この生命力があったら,手術や放射線などの積極的な治療を施していればもっと一緒にいられたのかもしれないなと思いましたが,もうどうにもなりません。

くろちゃんが亡くなった後,お寺に火葬の予約をしなければとiPhoneを取り出しましたが,4桁のパスコードをなかなか思い出すことができませんでした。なんとかロックを解除した後も,電話をどうかけたらいいのか,しばらくわかりませんでした。


最期の日々に,私はくろちゃんにこんなことを話しかけていました。

「くろちゃん,今までありがとうね」

「くろちゃん,大好きだよ」

「くろちゃん,もうすぐ天国に行けるよ」

「くろちゃん,また会おうね」

このような声かけをしているうちに,私はこんなふうに考えるようになりました。

猫は死んだら天国に行ける。そこでの生活に満足しすればずっといてもいいし,もし飽きたら生まれ変わって元の世界に帰ることもできる。

私が死んでも行先は天国ではなく地獄だから,そのときは「分かれ道」まで会いに来てほしいな。でも,本音を言うと,すぐに猫に生まれ変わって戻ってきてほしいな。そのときは最初から一緒に暮らしたいと思ってるけど,くろちゃんはどうかな?

こう話しかけていたときはもう,くろちゃんの意識はなく,聞こえていなかったと思います。


安楽死の決断に関しては,まったく後悔していません。むしろ,1日遅かったくらいだと考えています。

しかし,何度も検討したのに結局は家族としてお迎えしなかったことや,保護した後の治療方針や日々の接し方に関しては,ああすればよかった,こうすればよかったと後悔の念が無限に生まれてきます。

くろちゃんが亡くなって以降,いや亡くなる数日前から,毎日泣いています。

あれだけ毎日かいでいた,膿みが出すにおいを忘れてしまったことに泣き,(そうだ,病院通いに使ったキャリーケースにはにおいが残っているかも)と思い試してみたら少し残っていて泣き,スマホの写真や動画を見ては泣いています。

くろちゃんが外猫時代によくいた石垣の前を通るときも泣いてしまいます。

しかし,この悲しみもだんだん薄れていくのが人間というものです。その薄情さにも泣けてきます。


ここまで,自分の気持ちを整理する意味で,わーっと書き出してみました。推敲していないのでわかりにくいところが多々あるかもしれません。すみません。

短い間でしたが,くろちゃんとひとつ屋根の下で暮らせて幸せでした。これからはずっと一緒です。

名前が「くろまめ」となっているのは,女の子の名前が「くろ」なのはちょっと可哀想なのではとの声が家族から出て,我が家にお迎えした時に付けた名前です。本名は「くろまめ」で愛称が「くろちゃん」です。


「治療費とかけっこうかかるでしょう?」という質問を何度かいただきました。「答えたら一部負担してくれるの?あ?」とキレることはせずに「まあ,そこそこかかりますね」と対応してきましたが,以下,有料部分に約3カ月間の闘病生活に要した,だいたいの費用を書いておきます。

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