感性的所与を生み出せる場を作ろう

―生物の一種類として人間を見る―

はじめに
 私の投稿をお読みいただいている皆さんには、堅苦しい文章ばかりで申し訳なく思っております。そのおわびに我研究所の庭の草花をご覧頂こうと思って添付しました。この投稿の初回にお伝えした「オータンの森」プロジェクトの中にある「オータンの庭」のご紹介です。下手な説明はさて置いて、見事な花々の競演をお楽しみください。

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これから五月に掛けてオータンの庭はスイセン、ミヤコワスレ、サクラ草、ムラサキハナナ、ジュウニヒトエ、トサミズキ、フクリンニチニチソウ、アークトセカ、ツバキ、ソメイヨシノ、ナニワバラが花開きます。
 以前にも書きましたが、東南アジアで自然破壊の元凶と目されるオイルパーム園での樹幹廃材の有効利用を世界で初めて成功した折、マレイシアとオンドネシアを合わせると、年間1億㎥の廃材が出て来る。これを私の技術で木質材料に使えるようにすれば、製品歩留を50%として年間5000万立米、この製品の単価を1立米10000円としても5000億円の産業が創生され、この1%が特許料として入ってくれば年間50億円。
 この資金を使って他人の助けを借りることなく自然との共生を目指したモデル事業を創設しようと考えたが、誰も受け入れてくれず、“捕らぬ狸の皮算用”に終わっています。しかし、近い将来、人類は自然との共生を図らなければ生存できないことが分かっているので、ここ三雲の2000坪のささやかな空間に多くの人々に声を掛けて具体的な場を創設しようと、その核になる感性的所与を生み出せる場をコツコツと手作りで作ってきました。これが「オータンの森」プロジェクトです。
 このプロジェクトの詳細は、後日お伝えさせて頂きたいと思っています。

□生物の一種類として人間を見る
 前回述べた権威が堕落する図式を考えるには、人間を万物の霊長として他の生物とは異なったものと考えるのではなく、多くの生物の中の一種類に過ぎないと考え、生物学的に見ればかなり分かりやすいかもしれない。一つは、種々の生物が成長していく過程での成長曲線と同じ種類の中での個体差がどのような分布をするかということを表す分布曲線である。人の背丈の伸び方を、横軸に時間を、縦軸に背の高さにして0歳児からプロットしていくと、背丈の伸び量は、はじめはゆっくりと伸びていくが、ある時点から急に伸びだし、その後一定の高さになると止まってしまう。これをグラフに表すと、S字型の曲線になる。さらに、個体別に身長を背の低い者から高い者までその数をプロットすると正規分布することが知られている。ところが、人間の属性として備わっている種々の「欲望」という部分は正規分布から大きく逸脱し、圧倒的多数の利害を優先させる方向にシフトしてしまった。物質文明の発展による際限もない物欲の亢進は、S字型の曲線を定常化させることなく伸ばし続けていく。ITやAIに関わる人型のミュータント達は、人々の心の奥底にある精神的な安寧を求める願望を完全に封鎖してしまったようだ。人間が利害を優先させるかぎりいくら権威が現れたとしても賽の河原の石積みになるのだろう。
 特に、我国のように縄文、弥生時代を加えれば2千年以上に及ぶ長い歴史の過程で、技術や文化のみが輸入され、一度も外国から侵略された経験のない国では、民族の意識に関する正規分布の偏りはほとんど変化せず、遺伝子の中にまで組み込まれ、今日まで伝承されてきたのではなかろうかと思われる。それゆえ、良い意味でも悪い意味でも、個人主義というものは発達せず、国家という一つの権力の枠組みの中で動くことが個人にとって有利であるという意識が圧倒的多数となる。いわば、99.9%の人々が人間本来の感性を全く持たない0.1%の人型ミュータントに支配されやすい民族性を具備しているのである。戦前の軍国主義、戦後のアメリカによる巧妙な日本民族支配はこの民族の特性を見事に把握した戦略で、敗戦により軍国主義の崩壊を目の当たりにした人々は民主主義という新たな全体主義に飛びつき、戦後の日本人は物質文明の走狗となり、権威の出現は封殺されてしまった。

(続く)2020/4/10






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