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親愛なる君へ。立ち日が近い春の日

涙の匂いと鼻水の味が、好きじゃない。
泣いていた瞬間の今までを。
今までも、今も未熟なこと全て、思い出してしまう。

幼かった日も、(自転車の補助輪がとれず転んで泣いた日も)まだ青かった日も、(他人のように振る舞えず省かれた一日も)

「子供大人」の今も。
大人として生きているのに、内側に住まう幼い私はピンクのうさぎ人形を持って内側で泣いているときがある。
よろこびかたが幼いときも、彼女は内側で喜んでいる。
内側の、私。
まだ幼くても、世界に光が降り注ぐ毎日に躍動していた頃。
世界に光が降り注いでほしいと偽善(うそ)ぶいて、結局変わればいいのにと思うのが、表の私だ。なかなか、大人らしくなく中学生の生意気盛りのままであると思う。

──涙は押し寄せる記憶と感情と匂い、鼻水の啜った時の味、で。
悲しくなる、というより。
やるせなくなる。
ただ、思いがキツくあふれる。心の臓がぶち破れそうに、高鳴る。

大嫌いなわけでもない。
なつかしいなあという、思いもあふれてくるから。

泣くほど嬉しかったこと、
泣くほど悔しかったこと。
泣くほど苦しかったこと、
泣くほど悲しかったこと。

今でこそ治療で、心のレンズに一枚膜を貼ったように、感受を、やや鈍らせて生きているけれど。
それはそれだ。そうしなければ泣くこともできなかった、生き抜くことができなかった。

生きてゆくのは、
手放していくと同時に、だれかと補いながら。
感情のうねりという洪水なんて、しょっちゅうだから。

私は、今日が一番若く元気な私。
人間や生き物、みんなそうだ。そういうもんだよ。
だからせめて、私のつむぐお話や言葉が、
誰かのカタムスビした心を少しでも、ゆるくほどけますように。

一つ、またね。
またね、いとおしい言葉。言葉一つで約束。またね。

またねを言って会えなくなるかもしれない存在もあるけれど。じゃあそれら全部忘れないでいいよ。
出会えた奇跡、来世まで持っていこう。

胸にある痛みも傷もかさぶたも、治らないままでいい。
今はそっとフタをしておこう? 自然になるまで。

他人の優しさに甘えすぎて、自分が厭になるたび。
誰もが懸念して言わなかった言葉、「そのままでいいよ」「あなたのままで」と言ってくれた、あなた。

またね。
遠い空で映って澄まし顔のあなたにも、元気な文字で手紙を書くよ。

あなたが忘れられないのは、まだ苦しいことだけど、忘れてしまう方がずっと切ないと教えてくれた、たいせつな、あなたたち。
忘れてしまったら、どれだけ楽か、でも。
そうなってしまったら「何か」が足りないのだと、この胸が叫ぶんだ。
それと、忘れた私は、もう私ではないのかもしれないとも思うんだ。

あなたなしで生きてる私も、祷りを手向けて覚えて生きている。全部忘れてしまったら、私は私じゃないだろう。

最後の言葉を覚えているよ。
「またね、また明日。」

今、あなたがここに居てくれる気がする。

親愛なる君へ 若輩な私より

ps,大好物だった、マックのポテトを供えます。

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