"自己管理"の話
となりの雑談を聴いててすごく最近の自分に刺さる話があったので書きます
自分を語りたくなったら不特定多数に出しちゃうのが1番良い
自我が芽生えたのって案外20歳くらいじゃない?ということを最近よく思っていて、話すと意外と共感される気がする
私自身20歳までは自分の感情も考えも他人の言葉や行動を受けて発生するものでしかなかった。こういう言葉を言われて嬉しい、嫌だ、怒られたくない、好かれてるのかな、嫌われてるのかな、、などなど。
自分の輪郭がなく、社会(≒友達や家族)にどっぷり適応することに自分の存在価値を見出していたのて、1人でいる時は人間として成立してなかったように思う。
20歳の私はそれまで通り、人間関係に適応して、円滑に回すことに勤しんでいた。でも、そこにきて初めて「なんか不快だな」「なんでこんなことしてるんだろう」と突然感じはじめた。多分これが自我の芽生えだったんだと思う。
今振り返るとわかるのは、私はそれまで、自分の中に本音があること(つまり自我の存在)を自覚していなかったこと。意思表示や判断することはずっと苦手ではなかったので当時の私はむしろ自分を自我のある人間だと思っていたけれど、今考えると意思がある振る舞いをすることすらも、社会を円滑に回すための手段に過ぎなかった。
そこから社会人2年目ごろまでにかけて、いわゆる「自分のボンネットを開け続ける」時間が続いていた。なぜ自分がこれが苦手で、これをするのが嫌だと思うのか、自分は普通ではないのか、平凡なのか。他者との比較の中で自分の可能性の限界を理解しようとする日々が続いた。一見自分の輪郭がはっきりしてきたように思ったが、やっぱり基本的には新たな社会適応の形を探していて、世間という大きくてコントロールできない渦に、どうやったら不快感少なく巻き込まれていけるかを一生懸命考えてきたと思う。
そして最近、特にここ一年弱、新たな考えに行き着いた。それがまさにこの回で話題になっている「自己管理」の考え方だった。
社会にどれほど適応するのかも、やるもやらないも、できるもできないも、人のせいにするもしないも全部自分で選べること。つまり自分の人生のハンドルは自分で握って生きていくこと。
自分を厳しく監視して社会に適応させようとする考え方は、私が私を生かす責任を結局社会に転嫁しているだけだということ。今までもうっすらとわかっていたけれど、自分の生の責任をとる覚悟ができなくて、なかなか受け入れられなかった。
ではなぜ今自分の人生のハンドルを自分で握る覚悟が少しずつ出てきたか。その理由は「自分を自分でケアできる自信がついてきたから」だと思う。
自信がついたのは、単純に自分をケアする手段をここ数年で格段に増やせたからだ。
友達に会う、家事をする、鍼に通う、オンラインカウンセリングを受ける、本を読む、カーテンをあける。 生活の中の小さな積み重ねから、本当に辛い時の対処法まで、私は1人で暮らし始め稼ぎ始めてから傷付いた自分を回復させるための選択肢をたくさん手にした。
一人暮らしなどもともとやりたかった手段もあれば、ケアしないともうダメになってしまいそうで必死に探した手段もある。
共通して言えるのは、全部私が自分を生かしたくて見つけてきたものであるということ。だから、気がついたら増えていた選択肢を見て、私はいつでも私の味方で居られるかもしれないと思うことができはじめているのだ。
私が私の人生の伴走者になるための準備がやっとできてきたことで、今まで散々耳にしてきた、周りと比べない、自己受容、今を生きる、みたいなマインドセットに関するいろんな言葉が急に腑に落ちてきた。
今までは「自己肯定感が上がれば社会に難なく溶け込める」みたいな気持ちで無いものを生み出そうと頑張ったり頑張れなかったりしていたが、
今は、常に今の自分にあるもので最大限勝負して、たまに折れて、その過程で新たなものを手に入れたりして、その全てを楽しんで生きていきたいなと思っている。そして、伴走者としての私は常に自分をヒアリングして必要なケアをしていく。つまり自己管理をしていく。
こらからもたくさん揺らぐけれど、どうなろうと私の人生には私がついてるので楽しいものになると思う。 そう思いながら迎えるアラサー生活はきっと楽しい。
追記
なんでも無い追記だけど、小学生までは逆に自分を元気づける手段を大量に持っていたかも。
おおまかな進路こそ親に決められたものの、小学生にしてはいきたい道、やりたいことを自分でしっかり決めていた記憶がある
自我って思春期にゆっくり失ってきたものだったのか!?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?