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誰から見た自分?

おはようございます!ともきです!

先日、車を運転したのですが、初1人高速を体験しました!

終始怖かったです。

前の車についていくことにすごく必死でした。

さて今回は少し思うことがあってこの記事を書いています。

先日こんな言葉を聞きました。

「部下に慕われるようなかっこいい大人になりたいです。私にとってかっこいい大人は、仕事がバリバリできて、周りに気を配れる人です!」と。

これ自体はよく聞くような言葉だと思います。

僕はこの文を見て僕は疑問が湧きました。

「矛盾してね?」

厳密には矛盾というよりごちゃごちゃになっていると思います。

部下目線のかっこいい大人と自分目線のかっこいい大人がごちゃごちゃになっています。

「他人目線の評価」と「自己評価」は難易度が全く違います。

言わずもがな「他人目線の評価」の方が100%難しいです。

どうしてでしょうか?

「他人目線の評価」と「自己評価」

簡単にいうと「他人目線の評価」は他人の期待を100%以上かなえないと評価されないと思います。

しかし、「自己評価」は今この瞬間に評価をバリバリあげることができます。

つまり、「自己評価」なんて無意味な評価であるのです。

ただ、僕は「自己評価」は悪い考え方ではないと思います。

なぜなら「自己評価」は僕の場合モチベーションにつながるからです。

その代わり、自己評価は常にしないと意味がないと思っています。

常に自分に高い理想を掲げて、その理想にたどり着くために自分を常に評価し続けています。

なので、僕は彼のように遠いい未来のことであり、かつ曖昧な「自己評価」はまじで無駄だと思います。

「他人の評価」は「自己評価」の結果である

とはいえ「他人の評価」をどうやってあげるのかと。

僕は「他人の評価」は「自己評価」をやり続けた結果にあると思います。

つまり、「他人の評価」の理想は曖昧に、「自己評価」はめちゃくちゃ具体的にする必要があります。

彼の文章を添削するとこうなります。

「部下に慕われるようなかっこいい大人になりたいです。私はそのような大人になるためにできるだけ周りに気を使う訓練をしています。」

と。

やはり、「自己評価」は理想ではなく、具体的な目標になりますね。

これでやっと「この人は『他人の評価』をあげるための明確な答えがあるのだな」と思えるのです。

最後に

細かいことですが、曖昧に聞こえる人は大体目線がぐちゃぐちゃになっていると思います。

また、話をしていても僕は聞いてしまうかもしれません。

どうやって、君はそれを叶えようとするの?と。

とはいえ、僕自身あまりできていることではないので自戒を合わせての記事でした。

この記事を読んで自分の言葉を考えるきっかけになってくれれば嬉しいです。

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