『沈黙する教室』のこと(2)作品タイトル

こんにちは! 映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の拙訳原作『沈黙する教室』(ディートリッヒ・ガルスカ著、アルファベータブックス刊)を紹介したり、改めて考えたりしよう、という読み物シリーズ第三弾です。

前回の投稿で予告していた「第一章の案内」ではなく、本記事では「作品タイトル」について語ります。twitter や映画レビューサイトなどで様々なご意見を目にする「作品タイトル」のふしぎ。私の考えをお話ししたいなと思った次第です。




*注意!ネタバレ!*


(例)原作→映画化→英語→そして日本へ

原語原作と映画邦題でタイトルが違うもの、といえば、とっても興味深いな!と記憶に残っているのが、同じくドイツの映画「帰ってきたヒトラー」です。2012年に発売されたティムール・ベルメシュによる原作小説の題は Er ist wieder daで、「彼が再びそこにいる」という意味。そして英題は Look who's backですから、「おい、誰が戻ったと思う?」というようなニュアンスでしょう。一方の日本語では原作の翻訳書、映画ともに「帰ってきたヒトラー」となっています。


Er ist wieder da  (独題)

** Look who's back**(英題)

帰って来たヒトラー(邦題)


というわけです。

Er ist wieder daすでにそこに「彼」がいるのを誰かが見ている状態で、Er=彼、が wieder=「繰り返し」再び、また、「復原」元どおり、  da=そこ、あそこ にいる。と述べている。そしてあのカバーデザインにより、「彼」が「誰」なのかを想起させのが独題。

Look who's back **ある者が別のある者に注意を促すかのごとく、look=「意識的に」見る、「相手の注意を引く」ほら、なあ、「いらだちを表すことがある」〜を見てみなよ、考えてごらん、と声をかけ、who's back**=誰が、 be back (to doingが隠れている?)戻る、再び(〜し始めている)と続けるのが英題。

帰ってきたヒトラーと人名に状況説明をつけ、ネタバラシはされているものの、ターゲットとなる読者/鑑賞者や作品のテーマが一目でわかる邦題。原書の翻訳が2014年、映画公開が2016年でした。

そう言えば、と思い出したもう一つの例が「愛を読むひと」です。


Der Vorleser(原作独題)

the Reader(英題)

朗読者(原作邦題)

愛を読むひと(映画邦題)


ですから、映画の邦題のみ「愛を」と付け足していることがわかります。


Das schweigende Klassenzimmer の解体

それではいよいよ『沈黙する教室』についてお話しします。まずは文法を元にどう解体するのか、したのか、の説明です。ちょっとそれは興味がないなあ、という方は飛ばしちゃってくださいね。


Das schweigende Klassenzimmer(映画・原作独題)

The silent Revolution(映画英題)

沈黙する教室(原作邦題)

僕たちは希望という名の列車に乗った(映画邦題)


まず Das schweigende Klassenzimmer を分解しましょう。

Das=中性名詞につく定冠詞の一格

schweigende=自動詞 schweigen を現在分詞化したもの。schweigen の意味は ①沈黙している、黙る、口をとじる<きかない>、声<音>をたてない ②(声・音が)やむ、静かになる、静まり返る (『独和大辞典』)です。

Klassenzimmer=(中性名詞)教室

現在分詞の説明はこちらのHPに詳しいので、ぜひご参照ください。簡単に言えば、現在分詞とは動詞を形容詞化したもの、です。ドイツ語の場合は原則「不定形+d」で作ります。英語で言えば「be+〜ing」と似た用法です。schweigendeとeがつくのはドイツ語の形容詞の変化のお話になるのでここでは割愛します。気になる方は先ほどのHPでご確認ください。現在分詞がくっついているので、原題は「現在進行で動詞の行為がなされている名詞」ということがわかります。

例えば google翻訳に入力すると das schweigende Klassenzimmer は「静かな教室」と訳されます。もし私が「静かな教室」を和訳するとしたら、まず思い浮かぶのが das stille Klassenzimmerです。 

still=(形容詞)①静かな、音のしない、(じっと)静止した、動きのない<止まった>; 平穏な ; おとなしい, 物静かな, 無口な; ひっそりした ②無言の、言葉に出さぬ; ひそかな, 人知れぬ(『独和大辞典』)

そして英題のthe silent revolution です。

silent=1a <人が>沈黙した、無言の 1b 〔名の前で〕口に出して言わない、無言の、暗黙の<感情・行為など> 2 <場所などが>静かな、ひっそりした<機械などが>音を立てない (『ウィズダム英和辞典 第4版』)

そして

類義語 quiet と silent......quiet は「静かな」状態を表す最も一般的な語. silent は, 通常であれば騒がしかったり何らかの音声を伴うのに予想外に静かでああったり, もともと無音という前提があってもそれを強調する場合に好んで用いられる(『ウィズダム英和辞典 第4版』三省堂)

とquiet とsilent の違いも辞書で説明されていました。今回参照した辞書以外では、また違った説明がなされているかもしれません。


『沈黙する教室』に決定するまでの検討過程

作品タイトルは顔ですから、悩みました。悩んだ末に「沈黙する教室」となったのにはいくつか理由があります。例えば「静かな教室」や「無言の教室」では、意志を持ち主体的に黙っている印象にならないと考えました。特に「静かな」は空間の状況を表現しているため、能動的なイメージがありません。

そして、schweigen しているのは誰か? なぜschweigen しているのか? が大きなポイントです。ガルスカ氏は、二度の黙祷、尋問の際に仲間を守るためにしたクラスメートたちの沈黙、本音を言わない教師たちの沈黙......と、教室内での様々な沈黙行動を書き残しています。

彼らは、黙祷を捧げている間、国民教育省大臣に罵声を浴びせられている間、尋問を受けている間、扇動した生徒(本当はいないのに)の名前を挙げるよう迫られている間、ただ黙っていたのではなく、頭の中では様々なことを考え、自分で決意した行動を貫いていました。そして、西側へ逃げた生徒一人一人に考えがあったのと同じように、先生方にもその場では披瀝しない過去や、複雑な思いがあったのです。

それらを全て包括したのがタイトルの Das schweigende Klassenzimmer だと、私は考えました。そして原題から逸脱せず、その文脈を最も込められるのが『沈黙する教室』だと結論づけたのです。(字面がカッコイイ、というのもあります。)

また、当初は「沈黙教室」も検討したのですが、やはり行為する/遂行する意志の強さが伝わりにくく、すでにこのタイトルの書籍があったため、ボツ案となりました。因みに、現在英訳のない本作 Das schweigende Klassenzimmer ですが、Amazon で検索してみると、 the silent revolution と題する書籍が何冊も販売されていることがわかります。もしも英訳されたら、どんな題名になるでしょう?

また、多くの方がご指摘されているように、 **Das fliegende Klassenzimmer **と題する、1933年に発表された児童文学作品(『飛ぶ教室』,エーリッヒ・ケストナー著)があります。


画像1



『僕たちは希望という名の列車に乗った』

そして映画邦題の『僕たちは希望という名の列車に乗った』です。英題に比べても、非常に創造的なタイトルであることがわかります。

翻訳以外のお仕事の場で映画のフライヤーを渡した時、自分よりも歳上の上司は「タイトル長いなぁ!」とぼやき、大学生アルバイトさんは「タイトルもチラシもおしゃれ!」と興味を持ってくれたようでした。

映画の邦題には、「誰に届けたいのか」が顕著に現れている、と私は考えています。映画のマーケティングや宣伝広報に関わったことはありませんから、あくまでも憶測です。

映画の内容を鑑みても、できるならば中・高校生に、せめて大学生に観てもらいたいと大人たちは考えるのではないでしょうか。ガルスカ氏も高校の先生をしていらした方ですから、きっと同じ思いをお持ちだったと想像します。

『僕たちは希望という名の列車に乗った』というタイトルを今の10-20代の方たちが素敵だと思い、映画館に足を運んでくれたらとても嬉しいです。映画館鑑賞経験の未熟な青少年にとって、シネマ・コンプレックスでない映画館は、「足を踏み入れ難い場所」かもしれません。

例えば、私自身がそうでした。初めて一人で映画を観たのは高校三年生の夏、閉館してしまったバウスシアターでした。あの時の不安、観終わった後の充足感、そしてちょっと大人になったな、という自信。そんな初めてを今の若者たちがこの映画で体験して下さったら、とても嬉しいです。(わたし、今ではドイツの小劇場だって一人で入れますよ!笑)



誰の物語なのだろう?

映画タイトルの主語が「僕たち」ではなく「彼ら」だったらと考えてみましょう。

彼らは希望という名の列車に乗った」

いかがですか?わたしはもう大人ですから、青少年を見送る立場です。原作を読んで頂ければわかるように、当時の新教員たちは、まだ30代でした。彼らの一部は「希望という名の列車」に乗りました。乗れなかった/乗らなかった大人もいました。それは数字が証明しています。


壁を作るまでは毎日2000人程度の国民が国を去っていました。これは1949年に東ドイツが建国されてからずっと続いており、全体では約200万人にものぼりました。(ドイツ連邦共和国大使館総領事館HP「ベルリンの壁Q&A」)


「僕たち」の視点で「僕たち」のことが語られていく。映画では、最後、列車に乗った「僕たち」が希望へ向かっていきます。この映画は常に「僕たち」の物語なのですね。

私が「彼ら」と同じ境遇にあったとして、私は「僕たち」の一員になっただろうか?

原作には「僕たち」にならなかった同級生のその後、そして再会も記録されています。映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』と原作『沈黙する教室』の両方を楽しんでいただけたら幸いです。


-次回予告-

次回は第一章のご紹介をします。よろしくお付き合いくださいませ。

Bis dann!  またね!



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